第23話 彼と俺のヨクボウ関係。

「どうした? 何かあった?」

 ひどく不機嫌な顔を隠しもせずに帰宅したけいを見るなり、蓮川はすかわが螢の元へと飛んできた。

(こういうところは勘が鋭いな)

 自分の気持ちも良く理解できてないくせに、蓮川は人の機微には鋭く反応する。

芙美ふみさんに、よるに手を出すって言われました」

「はぁ!?」

 蓮川がいつもより半オクターブくらい高い声を上げた。

「俺と芙美が?」

「過去に関係あったんですよね?」

「いや、その、関係はあったけど、一度きりで芙美とはなにもない!」

「でも、他の女性たちと違って付き合いを断ってないじゃないですか」

「それは……」

 蓮川は顔色を悪くして目を泳がせる。

 そういうところを見ると、それがあまり誠実な話ではないことは理解しているようだ。

「……本当に芙美とは1度だけだ。関係が続いているのは、あくまでも友人としてで、それ以上でもそれ以下でもない」

 蓮川は自分の額を手のひらで抑えて目線を伏せてはいるが、落ち着いた声で続ける。

「二度目を求められなかったから、そのことはもうすべて終わっていると思っていた……」

「はぁああああああ――」

 螢が大きな声でため息を吐くと、蓮川はびくっと体を震わせた。

「け、螢?」

「蓮川さん、あなた人の恋心を甘く見すぎじゃないですか?」

「こ、恋心!?」

「あなたが好きだから、あなたが1度限りって言うのを守り続ける人もいるんですよ。ほかでもない好きなあなたの言うことだから」

「それは……」

「メイやあなたを刺したような連中ばかりがあなたを利用してたんじゃない。あなたが好きで、あなたに触れてほしくて、黙ってあなたの言葉を飲み込んだ人だって当然いたんだよ」

 螢は芙美に対してより蓮川への怒りの方が強かった。

 芙美は本当に彼の言葉の通り「夜のことはどうでもいい」のだろう。

 でも、芙美以外に1度だけで終わった人たち全てがそうだとは限らない。

 むしろ終わりたくなかった人の方が多かったんじゃないだろうか。

 嫌われたくなくて、蓮川の言葉に従うしかなかったのでは――。

「あなたは――」

「俺は――恋愛感情がわからない。求められても、何を返せばいいのかわからない」

 螢の言葉を遮り、蓮川は苦いものでも吐き出すように言った。

「それを俺に向けられても、俺はそれが何かわからない。返すべきものが何なんのか、返すべきなのかすらわからない――それが俺にとって必要なのかもわからない」

「あなたの中で、性行為は暴力と同じ。破壊と支配と同じ。性行為を制御するために、それに紐づけられた恋愛感情を切り捨てた」

「そもそも、それが俺の中にあったのかもわからない……」

 蓮川は顔をあげる。

「俺が感じる欲望はその命を奪い我がものとすることの喜びだけだ」

 その言葉に螢は背筋を震わせる。

 この人に愛情はない。愛するという概念がすでに歪んでいる。

 慈しみ尊ぶものではなく、凌辱し破壊し支配するもの。

(でも、それがこの人の愛情……)

 螢が望む――の形。

 螢自身にもそれを何と呼ぶのかはわからないが、自身の命を差し出しても得たい執着。

 苦しみと痛みと耐えきることができた時だけに許される何か。

「だから、それを求められても困る」

「俺がそれを望んでも?」

「え?」

 螢は蓮川が自分の顔を覆うように当てている手をそっと引きはがすように掴んだ。

「この手で、俺の――僕の首を絞めて……」

 あの夜にキスした時のように。強く。

 あの息の詰まる苦しさとガンガンと頭が脈打つような痛み、絡めあう舌の熱、何もかもが劣情を煽る。

「僕は……」

「それが、螢の――」

 蓮川が何か言ったが途中で聞こえなくなった。

 螢がつかんでいた手がいつの間にか首に触れて、蓮川の顔が螢の瞳を覗き込む。

 唇が触れて、ぐっと首が絞められた。

「んっ……う……」

 途端に視界が狭まる。息ができず、こめかみが強く脈打つ。痛み、息苦しさ――血管が破れそうな気持ち良さ。

(このまま……)

 うっとりと目を閉じようとするのを、蓮川が阻む。

「俺を見ろ」

「…………」

 目を開き、目の前にいる蓮川を見る。

 欲に滾ったギラギラした瞳が、物欲しげに螢を見ている。

(欲しがられている……)

 苦痛を快感に変えて悶えるような自分が求められている。

 さらに蓮川が喉をしめる手に力を入れると、声にならない息が漏れてきゅうっと喉がなった。

 頑張って目を開こうとするが、どんどん視野が狭くなってゆく。

 暗い影が瞳を侵してくるようだ。

(ああ……)

 唇が再び合わせられ、喉の奥を犯すように舌が入り込んでくる。

(息が……音が……)

 ぐちゅぐちゅという音が脳まで響く。

(夜……)

 蓮川を見つめながら、螢は意識を失った。



「……螢……」

 誰かに呼ばれた気がして、目を覚ました。

「ん……」

 ゆっくり目を開けると、蓮川の顔が見える。

「ぼク……」

 声を出そうとしたが、喉がひりひりと掠れて上手く声が出ない。

「今はしゃべるな。これを飲めるか?」

 ペットボトルにストローをさしたものを差し出された。

 螢は横になったままで、少しだけそれを吸う。

 喉に流れ込んだ水が心地よい。

「……気絶、してました?」

 螢は何とか声を出して言った。

 蓮川に首を絞められ気を失った。

 頭痛も体と脳に響き渡る鼓動も今は落ち着いているけど、喉が砂でも飲んだように痛み声が出しづらい。

「数分だけ」

 蓮川は螢の頬をゆっくりと撫でながら言った。

 その手つきは今までになく優しく温かい。

 どうやら蓮川の部屋のベッドに横たえられているようだ。蓮川が運んでくれたんだろう。

「体を拭いてやる時間もなくて、気持ち悪いままだろう?」

 そう言ってさらに頬を撫でた。

(この人、こんな風に人がいつくしめるのか……)

 そんなことを考えながら、螢はその手の温もりに目を閉じる。

「俺は、いつか螢を殺してしまいそうだ……」

 囁くような蓮川の言葉に、螢は背筋を震わせた。

(殺される――)

 背筋を震わせるのは恐怖ではない。

 代えようのない愉悦。

(性欲が破壊衝動に直結した認知の男の――執着)

 恋心とは呼ばない。それ以上に生々しく本能的な衝動で螢を欲する気持ち。

 ゆるゆると頬を撫でる手の指先をぎゅっとつかむ。

(この男を手に入れる……)

 ゆっくりと目を開くと、欲に濡れた眼がみえた。

 蓮川は殺したくて、殺したくて、殺したくて仕方がない。

 螢は愛されたくて、愛されたくて、愛されたくて仕方がない。

 痛みはわかりやすい愛。その痛みが刻まれるたびに、相手の執着と欲望を可視化して感じる。

 殴られて、縛りあげられて、鞭で肌を打たれ、首を絞めて息を奪う。

 頭を揺らすような衝撃と、身動きも許されず囚われる喜び、肌を裂かんばかりに走る痛みは火であぶるように、きつく固く締められる指が意識を――命を奪う。

 言葉なんて信じられない。温い優しさは万人に分け与えられる褒賞。愛していると囁く言葉は流行歌になるほど世界中に溢れている。

(そんなもの、何も信じるに値しない)

 蓮川は暴力に支配されている。暴力でしかその欲望が満たせない。

 だが、それは甘美な快感であると同時に、モラルと理想を裏切る苦痛でもある。

 殴りたくない、でも殴りたい。

傷つけたい、でも傷つけたくない。

 殺したい、でも殺したくない。

 蓮川の中では叩き込まれた理性と、欲望のままに踊りたい感情が常にぶつかっている。

 それを少しでも緩和させるための方法が、蓮川の「ルール」だ。

(蓮川さんの殺意はぎりぎりまで苦しんだ末の発露。愛の言葉ほど安くはない……)

 気軽にささやかれる愛よりも重い――殺意。

 それこそが螢の求めるもの。

 体に心に刻まれる苦痛と欲情。それこそが螢の「愛」だった。

 蓮川も暴力に認知が歪んでいるが、螢も同じように歪んでいる。


◆◆◆


「う、ぐぅっ……」

 こみあげる胃液を床にぶちまけた。

 それでも暴力は止まらない。

 殴られ、蹴られ、踏みつけられ、気が遠のく度に激痛と衝撃に引き戻される。

「ははっ、こいつ勃起してるぜ!」

「マゾでホモとか救われねぇな!」

 男たちがゲスな声で嗤い合うのが響く。

 同じ制服を着た男たちが、ゲラゲラ笑いながら螢に暴行を加える。

 きっかけは些細なことだった。

 男ばかりの生活の中で、自分たちと少し違う臭いを螢から感じ取った。

 それは本当に些細なことで、彼らと違うというだけで、彼らに何の損もないことなのに、違うことが許せない彼らは娯楽のように暴力を振るう。

 酒を飲むより高揚し、殴る拳の痛みも感じなくなるほど、暴力に酔わされてたがが外れている。

「反吐はいて勃起するような変態野郎は教育が必要だよなぁ!」

「連隊中にお前の変態写真も回してやるぜ」

「死ねよ! ホモ野郎! 気持ちわりぃんだよ! 身の程を知れ!」

 男たちが罵倒してくる言葉に意味など存在しない。

 ただ感情の赴くままに、薄っぺらな語彙の中から貧相な言葉を感情的に叩きつけているだけのことだ。

(だが、やばい……)

 すでに動かなくなった腕と足は確実に骨折している。

 腹をかばって丸くなっているが、同じところを執拗に蹴りつけてくるために肋骨が悲鳴を上げている。

 内臓をやられると回復に時間がかかる――いや、下手をしたら回復できない怪我になる。

 もう何時間もやられているような気がするが、まだ数分かもしれない。

 時間が短くても長くても、ダメージは相当だ。

 暴力に酔っているうえに、日々、国家のために鍛錬を積んでいる男たちだ。蹴り一発ですら容赦がない。

「ぐっ……」

 また鳩尾につま先が食い込み、体が震えて胃液を吐き出す。

(このままでは……)

 意識を保っているのがつらい。

(もう……)

今このまま意識を失って抵抗をやめても、彼らの暴力は収まらないだろう。

 抵抗のない身体に、力の限りの暴力を叩きこまれてしまえば、螢の体は終わってしまう。

「がっ……」

 頭を蹴られた。

「おいおいまだ動くのかよ! しつけぇな! マゾが!」

 その罵りは今に始まったことではない。

 だが、最後に聞きたいセリフでもない。

(このまま……)

 だんだん体が冷たくなってゆく。

 それと同時に痛みが遠のき始める。

 ジージーとセミが鳴くような耳鳴り。

 まるで体が凍ってゆくようだ。

「――晴山はるやま!」

 誰かが螢の名前を呼んだ。

「…………」

 名を呼ばれたら返さねばならない返事が声になることはできなかった。



 晴山 螢は元自衛官だ。

 部隊内で起こった酒の上での乱闘騒ぎに巻き込まれ、その時の怪我がもとで退役した。

 運良く後遺症はなかったが、怪我が完治するのに3か月を要するほどの重症だった。

 螢を殴った連中は、全員、懲戒処分となったと聞いている。

 だが、螢にとってそんなことはどうでもよかった。

 螢を暴行した連中の顔ももう覚えていない。

 男だったこと、同僚だったこと、半年ほどを同じ隊舎の部屋で過ごしたことくらいしかない。

 そんなことより、螢を苛むものがあった。

「僕の……身体……」

 螢は覚ました病院のベッドの上で、打ち身やケガの燃えるような熱に炙られる感覚とあの身体が凍ってゆく感覚を繰り返し思い出していた。

「熱い……」

 性的な刺激は一切ないのに、熱が螢を滾らせるのだ。

恋人との逢瀬やAVの扇情的なシーンを思い出しても何も感じるものはないのに、この熱に炙られると瞬時に体が燃え上がる。

 滾る自身に触れても何も感じない。感覚も鈍く、快感を得ることはできない。

 なのに、息が詰まるような苦しさと脈打つ痛みによる熱を思い出すだけで果てそうになる。

「そんな……」

 汚れた手のひらを見て呆然とする。

 息をするのも辛いくらい苦しいのに、黙って痛みを感じていると再び身体が熱くなる。

 螢の身体は壊れてしまったのか――いや、壊れたのは身体じゃない。

「心……」

 螢の心は狂ってしまった。

 疼くような熱に苛まれながら、螢は――。


―― 続

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