第22話 彼と俺のサンカク関係。
幾度も思い悩んで、同じところで足踏みをしている自分を歯がゆく思いながらも、
ただ、何事もそう簡単には行かない。
螢の目下の悩みは
「僕のブランディングは間違ってなかったでしょ?」
イベントの衣装合わせということで芙美にスタジオに呼び出された。芙美は
「ふふ……いいねぇ」
細身の黒いシャツに黒のフレアパンツ、黒いハイヒールに黒いベールという黒づくめの蓮川を見て、芙美は満足そうに微笑んだ。
服装だけだと女性的だが、蓮川が身に着けると見え方が全然違う。
身長の高い蓮川がハイヒールを履くと更に高身長になって圧を感じるほどなのだが、繊細なヒールを履いて歩くため、動きがいつもより慎重になる。ただ、それはぎこちなさなどではなく、バランスをとるために無駄な動きが無くなるため、滑るような仕草は優雅にすら見えた。
決して華奢ではないが、どこか中性的で無機質な感じがする。女でもなく、男でもなく、どこか怖い。
これが蓮川がステージに上がるときの定番スタイルだと聞いていたが、最初にこれをコーディネートしたのは芙美なのだという。
「本当は黒いシルクレースの手袋って感じなんだけど、縄を使うには手袋は向かないしね。ネイルもいいかなと思うんだけど……」
「爪を塗るのは気持ち悪い」
「ネイルは慣れないと違和感あるからなぁ……」
ネイルを拒否する蓮川の様子に、芙美は肩をすくめた。
「僕はね、縛られるものが美しいのは当たり前だと思ってるけど、それを施す側も同じく美しくあるべきだと思ってるんだ」
芙美は今度は螢を上から下まで見て「螢くんもいいね」と言った。
螢は白いシャツに白い細めのパンツというシンプルな格好だった。
パンツは少しストレッチが効いていて、普通に立っているとそこまでは目立たないが、動くと脚の線の盛り上がりなどが良く見えるつくりになっていた。
「螢くんは体がすごい出来てるから裸もいいなって思ったんだけど、あえて少し隠して現実世界の男って感じにしてみたんだ」
芙美は螢に着せたシャツの背中のラインを見て仕上がりを確認しながら話を続けた。
「
芙美の中にはストーリーがあるのだという。
芙美が主催するイベントの客層は8割が女の子なのだという。これはハプバーやSMクラブなどでのイベントとしては異例な客層だった。
(確かに、蓮川さんのショーは女性客が多かったな……)
過去に一度だけ見た蓮川のショーの客席を思い出す。
あの時は螢は客ではなくステージに上がってしまったので、客席の反応はほとんどわからない。
だが、芙美の言う得体のしれない存在に恋してしまうというのは何となくわかる。
衣装を着けた蓮川は中性的で優雅であるが、どこか本能に訴えてくるような怖さがある。綺麗だけど得体がしれない、そんなものに対する畏怖。
(でもその畏怖に魅かれる……)
得体のしれないその存在に凌辱される期待。
それを想像すると、快感にぞくっと背筋が震える。
「そして、螢くんも支配欲をそそる……」
芙美の螢を見る目が少し変わる。
「きれいに鍛えられた筋肉、強い肉体を持っている。意志のはっきりした性格が端正な顔に出ている。そういうものを支配したい。弱くもなく、華奢でもなく、哀れでもないからこそ、踏みつけて支配したい」
芙美の言葉に、思わず蓮川の方を見る。
ベールをかぶり顔を隠した蓮川の表情はわからないが、じっと螢を見ていることだけは強く感じる。
「M性は別に弱くないんだよね。Sに支配されて喜ぶなんてこともない。Sに支配されて喜ぶときは、自分が認めた相手にすべてを許された時だから。ただ粗暴なだけの相手なら、こっちが喉元を食いちぎってやる」
あーんと口を開けて見せた芙美の歯は、犬歯だけが獣のように尖って見えた。
「ふふっ、これね、インプラントなんだ。獣みたいでしょう?」
笑う芙美の口元の真っ白い犬歯と赤い舌が艶めかしい。
芙美には魅力がある。
本人はM性なのだと言っているが、Sとしても十分にやれそうだ。
そんなどっちつかずなところが魅力的に見える。支配したい、支配されたい。そんな気持ちを揺さぶられるようだ。
(魅かれる……)
そして、蓮川が一番最初にイベントで縛ったのが芙美なのだという。
もちろんそれが初めての緊縛ではない。そんな簡単にできるものでもないので、人に見せられるようになるにはそれなりに場数をこなさなくては無理だ。
だから、一番最初の相手というわけでもないし、ただショーでアテンドされたモデルだというだけのことだと思っていたのだが――。
(蓮川夜という男の顔をつくったのはこの人だ……)
蓮川がSMの世界に踏み込んだきっかけは恵だが、Sとしての顔をつくったのは間違いなく芙美だ。
蓮川はたぶんそこまで意識していない。似合うと言われた服をそのまま来ているだけのようにも思う。だけど、芙美はそれをうまく利用している。
(理想の顔のS……)
美しく魅力的で、得体が知れなくて、魅かれずにはいられない。
螢はステージの上から手を差し伸べられた時を思い出す。
あの手に誘われた時の気持ち、あれは間違いなく芙美のつくった蓮川に魅かれたのだ。
そんなことを考えると、胸の奥がチリチリする。
蓮川を刺した女たちですら蓮川に何かを残すことはできなかったのに、芙美はしっかりと蓮川に跡を残している。
それがたまらなく、悔しい。
螢が思わず自分のシャツの胸を掴んでしまうと、芙美がその手に手を重ねてきた。
「ふふっ……いい顔するよね、螢くん。夜にはもったいない」
「え?」
芙美の顔が螢の顔を覗き込もうとした瞬間、視界が真っ黒に閉ざされた。
「えっ! なに!?」
「ダメだ」
蓮川の声が聞こえた。少し苛立っているような声。
その声と同時に真っ暗な中で抱きしめられた。
「は、蓮川さん!?」
慌てる螢を笑うように芙美の声が聞こえる。
「わー、男の嫉妬って醜い! 僕のステージではそういうのやめてよね」
けらけらと笑いながら声が遠のいて行く。どうやら芙美は部屋を出て行ったようだ。
ふうっとため息が聞こえて、視界が明るくなった。
どうやら背後から蓮川に黒いベールをかぶせられていたようだった。
「蓮川さん?」
蓮川はベールの下に目隠しのようなリボンを目のところに巻いていたが、それを越えて視線を感じるようにじっと螢を見つめていた。
「……すまない」
「……外しますよ?」
謝る蓮川の目隠しのようなリボンを螢が外すと、蓮川はすっと視線をそらせた。
拗ねているような、バツが悪いような、そんな感じだ。
「どうして謝るんです?」
「螢と芙美との会話の邪魔をした」
「……何故、邪魔したんです?」
「……わからない。咄嗟だった」
顔を見ると、本当に蓮川はわかっていないようだ。
戸惑いと居心地の悪さのようなものに視線を泳がせている。
時々、蓮川はこういう表情を見せるが――それが芝居なのか、本当に分からないのか。
「嫉妬?」
「…………」
わからないのか。
嫉妬していたのは螢の方だったというのに。
(自分の気持ちも、俺の気持ちもわからない。でも、それならば――)
蓮川夜の中身を作り上げるのは――。
「それは嫉妬だよ。俺を好きなら、覚えておいてほしい」
「嫉妬……」
「俺を欲しいと思うなら、俺を独占したいと思うなら、そういう気持ちも覚えて、自覚してほしい。そして、もっと俺を欲しがって」
その言葉で蓮川は螢を凝視する。だが、その目に感情は読めない。
「俺は蓮川さん――あなたが心の中で守っているものを暴き出して、それを以って支配されたいんだ」
必死になって蓮川が守るもの。自分を自分足らしめるもの。社会性とモラルへの従属。
――
螢を凝視している瞳孔がきゅっと小さくなった。
蓮川の理性が拒否している。
だが、それを蓮川の感情は拒んでいる。
「……怖い子だ」
「いい子って言ってくださいよ。いつもみたいに」
螢は自分を凝視する蓮川の頬を包むように両手を添える。
そして、ゆっくりと引き寄せて、唇を合わせた。
「いい子でしょう?」
螢は笑顔を見せた。
俺が欲しいなら、俺が喜ぶことをして。
ただ、それだけだから。
「螢くんって面白い」
「え?」
オープンカフェの木陰の席で、螢と芙美は向かい合って座っている。
衣装を着替えて帰ろうとしたところを芙美に引き留められた。蓮川とは別に打ち合わせがしたいと言われ、蓮川は先に帰されてしまったのだ。
向かい合って座って改めて芙美を見ると、芙美はきれいな顔をしている。
夜の街の住人とは思えないくらいさわやかな青年という感じだ。
聞けば、螢と同い年なのだという。童顔の螢もすごく若く見られるが、童顔でもないのに芙美は中性的で若く見える。
そんなさわやか美人くんはストレートに話題を切り出してきた。
「螢くん、夜の恋人になりたいの?」
「っ!?」
螢は目を瞠った。
何を言い出すんだ? と思うが、この二人の間に共通する話題はこれしか無いともいえる。
「ストレートですね……」
螢はどう答えたものか一瞬ためらって返した。
「ふふっ、でも僕たちの間の話題って言ったらコレじゃない?」
「まぁ、そうですけど」
「で? 夜の恋人志願?」
芙美は話題を濁すつもりはないようだ。
「志願じゃなくて、恋人だと思っています」
「ふんふん、一緒に暮らしてるんだもんね」
「……なんか含ませた言い方しますね」
「だって、夜には沢山いるじゃない?」
恋人が。
声はしなかったが、そう言う形に芙美の形の良い唇が動いた。
「今はいませんよ。俺が最後になるんで」
「おおっ! すっごい自信!」
芙美は笑顔を崩さない。さわやかで綺麗な美人顔で、意地の悪いことを言う。
その感情が顔に出たのか、意外にも芙美は謝ってきた。
「ごめん、ごめん、ちょっと揶揄っちゃった。夜が誰かを紹介してくるなんて本当に初めてだったんだもん」
「……いえ、大丈夫です」
「本当にごめん。僕、螢くんに嫌われたくないんだ」
「え?」
芙美は甘そうな生クリームのたっぷり乗ったアイスラテのストローを咥える。
獣の下が唇からちらりと覗く。
「僕はあんまり遠回しなこと好きじゃないから言うね。僕、螢くんが気に入ってるんだ」
「気に入っている?」
「好き。言ったでしょ、僕の今度のステージは僕の好きなものだけのステージ」
「それは……」
確かにそう言われた。
だが、それは蓮川の事ではないのか?
「螢くんが好きじゃなければ、僕は自分のステージには誘わないよ。特に次のステージは僕の誕生日の特別だからね」
「それは……どうも」
何と答えていいかわからず曖昧な返事を返すと、今度は芙美がムッとした顔を見せた。
「僕の恋人にならない?」
「え?」
とんでもないことを言われた。
「いや、それは、俺には……」
「螢くんは夜の恋人。でも同時に螢くんが僕の恋人になっても気にしないよ? それはそれ、これはこれ」
蓮川という恋人、芙美という恋人。それはそれ、これはこれ。
SMのパートナー間には時々そういう人もいる。SMパートナーと恋人は別とか、妻は別とか。
「螢くんが僕の恋人になるなら、僕は夜に手を出さない。それなら、どう?」
嫌なことを言う。
螢の表情が歪む。
「……聞き捨てならない話ですね」
「まぁ、僕はそこまで夜に興味ないけどね」
芙美はしれっと返した。
その顔に苛立ちはみじんもない。
(揶揄われたのか……)
螢は用心深く芙美の顔を見つめながら、自分の頼んだアイスコーヒーをひと口飲んだ。
―― 続
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