第21話 彼と俺のエスエム関係。

「こうして見ると壮観ですね……」

 けいはリビングに広がる光景に目を瞠った。

「すまないな。古い縄は処分してしまったんで、下ごしらえがいるんだ」

 仕事から帰宅してリビングに入るなり、大量の縄に出迎えられた。蓮川がステージのために縄の準備をしているのだった。

室内物干しがいくつも並べられて、そこには麻縄がかけられていた。ピンと張った状態で干さなくてはならないらしく、水の入ったペットボトルを重しにしている。

 キッチンではどこから持ってきたのか大きな寸胴で麻縄が煮られていて、当の蓮川はすかわは干されている縄の真ん中で蜜蝋を片手に縄を鞣していた。

 事前に話はされていたが、こうして改めてみるとかなりの量だ。

 緊縛は7~8メートルほどの縄を何本も使用する。有名な亀甲縛りなどは1本でもできるが、それでも一人縛るのに体格にもよるが数メートル必要だ。

 女性を縛るときはもう少し短いだろうが、今回のショーではそこそこの体格の男二人を縛るので、少し長めに用意しているようだ。

 しかも、螢と芙美ふみは両者とも吊りがOKなので、かなり大掛かりな縄になる。

 螢はリビング中に広げられた縄を上手くよけながら、床に座っている蓮川の近くのソファに腰かけた。

「蓮川さんって、縄の色、いつも暗い色ですよね」

 蓮川は晒の縄を藍で染めたものを使うのだという。確かに、ステージで使ってたのは青みのある暗い色の縄だった。

「元々、赤が好きではないんだが、螢を縛るならこの色だなって思って」

「あ……」

 思わず言葉に詰まってしまった。

 そんな隙を見逃してはもらえない。

 デリカシーがないなと思うが、そういう強引なところがあるのも嫌いでないから困る。

「……いいのか?」

 そんな螢の様子を見て、蓮川が心配そうに聞いてきた。

 螢は前に蓮川を拒んでいる。その後に自分以外を縛るのは嫌だと伝えているが、螢自身がどうしたいのかは何も言ってない。

「やるって言ったのは俺ですよ」

「そうだけど、本意じゃなかったんじゃないか?」

 こういうところは鋭いなと思う。

 きっと芙美への対抗心のようなものを感じているところも悟られているかもしれない。

「そういうのを隠さずに言ってくれないか?」

「……そういうところSっぽいですよね」

 サディストは支配欲が強い人が多い。

「そうだね。サディストである自覚はあるから無理強いはしないようにコントロールはするけど、少しずつ俺に慣れてもらいたいかな。キミが俺を独占したいように」

 蓮川はまっすぐに目を見て話してくる。

「これ以上踏み込まれたくなかったらそう言ってほしいんだ。セーフワードを決めておくのでもいいよ」

 セーフワードとはSMプレイでこれ以上は止めてほしいという時に言うワードで、その言葉が出た時点でどんな状態であってもすべてを中止するものだ。

「セーフワード……」

 螢もSMプレイの経験はあるので、いつもなら「やめて」とか「いやだ」なんて言葉をセーフワードにしていた。

 今回も同じ言葉にしようかと思ったが、ふっと違う言葉が脳裏をよぎった。

「じゃあ、セーフワードは『つらい』にします」

 螢が一番言わないように心掛けている言葉。

 その言葉をこぼすと、何もかもが終わってしまうような気持になる。

 どうしてそんな言葉をセーフワードにと思うが、できれば蓮川に対して拒否することをしないようにしたかったのだ。

「それで、いいの?」

 縄を置いて立ち上がった蓮川が螢の隣に座る。

 頬に手が触れる。少し甘い蝋の匂いがした。

「大丈夫です。それに、ステージに上がるのも嫌じゃありません」

「…………」

「俺が望むものは俺が勝ち取ります。だから、蓮川さんは蓮川さんのままでいて――」

 不意に蓮川に抱きしめられた。

 やわらかく、恐る恐るといった感じだが、しっかりと腕を回されている。

「蓮川、さん?」

「いい子だ、螢」

 螢は抱きしめられたまま、ゆっくりと頭を撫でられる。

 暖かな体温と蓮川のつけている少しスモーキーな香水の匂いを感じた。

 腕の中はゆるゆると眠くなるような心地さ。

(この人、こんな風に触ることもできるんだな)

 そう思いながら、前に舞台裏で強引にされたキスを思い出した。

 首を締めあげられて、息を奪い取られて、死ぬ寸前の状態のキス。

 戯れなどと言う優しさはない。硬い指先が首筋に食い込み、すぐに血流が止まり、頭の奥が脈打つように痛む。

 でも、それがたまらなく気持ちよかった。

 優しく生ぬるい腕の中でそんなことを思い出した。

 しばらく髪を撫でていた手が、するっと頬に添えられて、真面目な顔をした蓮川の顔が近づいてきた。

 重ねられた唇が少しひやりとして、何故か螢は安堵した。

 優しくされるのは嫌いじゃない。でも不安になる。

 触れているところは暖かいのに、その背中がひどく寒いような不安に付きまとわれる。

「螢?」

 唇が離れて、螢の顔を見た蓮川が心配そうに名を呼んだ。

「俺は……あなたの何になりたいんだろう?」

「…………」

「あなたは、俺とどうなりたいんですか?」

 螢の言葉に蓮川は目を瞠った。

「俺はキミを支配したい。自分だけのものにしたい」

「あなたのモノにして、それから?」

「……ずっと、隣に置いておきたい」

 シンプルな願い。でもその目は欲望で暗く澱んで見える。

 居てほしいじゃない、置いておきたい。

 そんな些細な言葉が螢にはうれしい。

 優しくされるより、物のように執着されて、そこにいることを許されるのがうれしい。

 きっと、螢が壊れて何もできなくなっても、螢が螢でいる限り、蓮川はそこに置いてくれるかもしれない。

 ゾクゾクと背筋を愉悦が駆け抜ける。

(この人ならばいつか――)

 螢の口には出せない望みを叶えてくれるかもしれない。

 そんなことを考えながら、今度は蓮川の唇に螢からキスを返した。

 やはり、蓮川の唇は少し冷たいままだった。



 欲望なんていらないと思うことがある。

 殺されてもいいと思うくらいの恋がしたいと思ったことがある。

 それは恋じゃないと誰かに言われた。

 それは執着とか妄執と言うものだと言われた。


「俺、工事現場の大型クレーンの一番高い所から全裸で逆さ吊りになりたいんですよね」

 酒を飲みながら、けいとそんな話をする。

「肉体的な苦痛と快感はもちろんだけど、それをしてくれる信頼感とかそれを許してくれる許容とか……そういうのも全部含めてされてみたい」

「お前はロマンチストだなぁ……」

 恵はそう言って苦笑した。

 恵の席の隣には高邑たかむらがいて、涼しげな顔をしてずっと恵を見つめている。

サディストにも色々あるが、マゾヒストにもいろいろある。

螢は身体的な苦痛を重要に思うが、高邑は拘束を重要に思っている。

だからその苦しみを求める気持ちのようなものは共通して理解できるが、その方法に固執する気持ちは理解しづらい。

螢からしたら、ただ束縛されるだけでは満足できない。むしろ束縛だけではエゴを感じる。苦痛を与えられて、その苦痛を受け入れて、螢はそこに愛を感じる。

「俺は命を奪いかねない行為を犯してでも俺を欲してもらえるのがうれしい」

 SMプレイのほとんどは一歩間違えれば命に係わる。

 それを受けるのも命懸けだが、それをするのも人生がかかっている。

 法律やモラルに逆らうようなことをしても、そうせずにはいられないところに思いを感じるのだ。

「お前はどう思うんだ? 高邑」

「私ですか?」

 恵に話を振られて、高邑は少し考える素振りをした。

「そうですね――私は私を鞭打つ恵さんが美しいのでそれだけで幸せです」

 ふはっと恵は噴き出すようにして笑った。

「恵さんは人を苦しめるのがお好きで、そのお好きなことを自分が一身に受けられるのも幸せです」

「そういう割にはお前は苦しそうにしないね」

「苦痛ではありませんので」

 螢としてはそれでは本末転倒ではないだろうかと思うが、本人たちはそれで満足なのだろう。

 弁護士と言う社会的地位も高い職業についているが、高邑の生活はかなりガチガチに恵に管理されている。

 高邑に自由はほとんどない。衣食住全て恵の指示に従い、常に恵の好みであり、恵のためにだけ行動していた。

 高邑が螢を助けたり、蓮川の事件を受け持ったりするのは、偏に恵の為でしかない。

 すべてが恵のために――それがブレることはない。

「高邑さん、幸せですか?」

「はい。もちろんです」

 ほとんど表情のない高邑の頬がほんの少し緩む。

 こんな風に自分と合うパートナーと巡り合うのはとても稀有なことだ。

 サディストとマゾヒストが凸凹がぴったりと合うようなものではない。

 むしろ、パートナーなど欲しくないサディストや、パートナーに注文の多いマゾヒストも多い。マゾヒストに至っては個人で完結してしまうのも少なくない。

 肉体的苦痛と精神的支配。殴りたい人と殴られたい人の出会いというように単純なことではないのだ。

 特に行為にだけ興味の強いタイプのサディストには許容力が乏しく、マゾヒストを飼うことすらできないただの暴力装置もいる。

 螢が今まで出会ってきたサディストにはそのタイプが多い。

 マッチングアプリやネットで特殊な性嗜好を持つ者同士が巡り会いやすくなったとしても、その分、趣味の違いすぎる存在も増えている。

 同じ拳を振るう者でも、その目的が何なのかによって受ける側も変わってくる。

(支配されたい、許されたい、愛したい、愛されたい、受け止められたい)

 こんな気持ちがぐるぐるとめぐる。

 そんなのは恋愛をしていれば誰もが感じることかもしれない。

 そこに特殊な性嗜好が伴うだけで、話がぐっと面倒くさくなる。

 支配しようとするならば、支配するに値すると証明してほしい。

 殴りたいと思うなら、それを受け入れられるようにしてほしい。

 優しさは信じられない、痛みはつながりを感じづらい、悲しいのは話が違う。

「お前が選んだ相手だろう? お前が何とかするしかないぞ」

 恵が言う。

「私はお前を気持ち良くすることはできるが、恋人になることはない。お前は望むのも痛みという快感だけではない。そこに共通の意味を感じられる相手だと思ったからお前は選んだんじゃないのか?」

「……蓮川さんと俺は共通の意味を持ってると思いますか?」

「深い所ではな。ただ、あいつはそれを自覚できていない。都合の良い道具とすることで我慢することしか考えていない」

「…………」

「でも、あいつもお前がいいと言ったんだ。分からせてやれ、思い知らせてやれ、あいつがずっと逃げてきたものを目の前に突き付けて、お前ならそれを受けとめると見せてやるんだ」

 恵の言葉は強い。

 だがそれだからこそ響くのかもしれない。

「お二人にはお世話になってばかりです」

 サディストとマゾヒストという一見真逆な存在でありながら、この二人は良く似ている。同じベクトル、同じ意味の考えを共有しているということはなんだろう。

「まぁ、手は焼くかもしれないな。パートナーに関してはあいつは圧倒的に初心者だ。童貞に等しい」

 お前が頑張るしかないんだと言われて、螢は苦笑しながらも「頑張ります」といった。


―― 続

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