第20話 彼と俺のユウワク関係。

 蓮川はすかわとの同棲は非常に快適だった。

 退院後に新居もすんなりと決まり、引っ越してからもトラブルはない。

 蓮川もけいも通勤の縛りのない仕事だったので新居は立地で選んだが、単身者用賃貸に住んでいた螢にはファミリータイプの居住空間のゆとりも快適だった。

「すごいな。料理できるんだ」

 転居して1週間は片付けなどでごたごたしていたために外食で済ませていたが、螢はもともと自炊派なので食事をつくったら感心された。

 むしろ蓮川は食事にこだわりがあるタイプではなく、放っておけば毎日エナジーバーで済ませるくらい食生活は壊滅的だった。

「食事は作ってなかったんですか?」

「食事は外食が多いんだ。在宅で仕事を始めたのは前に刺された時からで、それまではオフィスで適当に済ませてた」

 ダイニングテーブルで向かい合って座り、並べられた料理を二人で食べる。

 蓮川は煮物の里いもを一つ食べて「おいしい」とつぶやいた。

 確かに蓮川が外食しているところをよく見かけた。当然、女が一緒だったけれども。

「俺は体が資本なんで食事は基本的に自炊なんです。その食事でいいなら食事は俺の担当でいいですよ」

 そう言うと、蓮川が目を瞠った。

「……なんですか、その顔」

「いや、なんか新鮮だなと思って」

 ホテルで一緒に暮らしてた時はデリバリーと外食だよりだった。お互いの家事能力は新居に移ってから知ったのだ。

 螢は家事全般は得意だったので慣れるまでは一通り引き受けてもいいかなと思っていたが、蓮川も掃除や洗濯は完璧だった。

 聞けば、生活の基本は医療少年院とその後に頼っていた支援センターで覚えたのだという。

 医療少年院に入院していたことは蓮川からも聞かされていたが、そんなこともやるのかと驚いた。

(9人の女の殺人未遂)

 全員が非常に運よく助かったが、首を絞めると言う行為を犯して殺意がないは通用しなかったようだ。

(これが蓮川さんの原罪)

首絞め以外では素行不良が見られず、専門家による鑑定の結果、医療少年院での治療となった。

 首を絞めること、相手の命がわが手にあること、苦しみゆがむ顔、満たされる支配欲と加虐行為。性的快感と加害行為が結び付き、認知にゆがみがでてしまった。

 それを治療するために、精神科医との面談や箱庭療法など本人もどういう意味があるのかよくわからない治療をこなし、認知のゆがみは解消しなかったがそれをコントロールする術は学んだ。

(でも、人間はそんなに単純じゃない)

 自分が被虐趣味であるからわかる。

 お腹が空いたら食欲がわくように、痛みを感じると性欲が沸き上がる。

 支配されることで、自分が解放される。

 だが、それらはすべて単純な話ではない。サディストとマゾヒストがいても、そこが合致するかはわからない。

(単純に体だけの事なら簡単なのにな……)

 その簡単を追い求めてしまったのが蓮川だ。

(この人と、そんな複雑な関係を結べるのかな)

 一緒に暮らし始めたのはいいきっかけになるだろうか?

 もっと互いを知りあったら何かが動くだろうか?

「ご馳走様」

 螢の作った食事をすべて平らげて、蓮川は美味しかったと言って笑った。

 この笑顔の裏にあるものが何なのか、螢には理解できるのだろうか?



 人を信じるというのは難しい。

 信じるためにはどうしたら良いのかと考えた結果、螢はその人を知るしかないと思った。

 その点では蓮川は各仕事をするタイプではないので、わかりやすいかと思ったのだが――。


「初めまして。芙美ふみって言います」

 蓮川に紹介された青年――芙美の第一印象は「美人」だった。

 身長は螢と同じくらいだが全体的に線が細く、艶やかな黒髪と透けるような白い肌。少し吊り目がちな瞳は表情によって涼しげにも愛らしくも変わる。

「この間言っていたイベントの主宰だ」

 蓮川の隣に立つ芙美は、そう紹介されてにっこりとほほ笑んだ。

 螢が蓮川に自分以外を縛らないでほしいと願った時に、唯一断れないというイベントについては聞かされていた。

 そのイベントの打ち合わせに行くというので見送ろうとしたら、店で飲みながら話すから一緒に行くかと誘われた。

 それについてきたのは螢だったが、早くも後悔しそうな気配が漂っている。

(これは……)

 綺麗な顔にごまかされそうだが、螢へ向ける芙美の笑顔に含まれているのは挑戦的な笑み。

(この人もまさか蓮川さんのお相手の一人なんじゃ……)

 蓮川はバイセクシュアルだと聞いているが美人顔が好きだ。男らしいとか女らしいとか、そういう性差のようなものには全く興味がないようで、螢がいつも見かけていたお相手は、男にしろ女にしろ色白の美人が多い。

 なんというか、見た目は清楚で美人顔、だがその奥には妖艶な色気を含むような、二面性のありそうなタイプ。

 現に目の前にいる芙美は線は細い美人顔だが女性っぽさはない。声は澄んでいるが低く、骨格はしっかりと男で全体的に凛々しく見える。

(間違いなく蓮川さんの好みのタイプだ)

 芙美を見ていると非常に不安な気持ちになる。

 芙美と言う人間をよく知らないが、螢の心をかき乱すには十分なくらいの親しさを蓮川に対して見せている。

よるのお友達を紹介してもらうのは初めてだね」

「そうだったか?」

 お似合いの二人――と思いたくないが、二人を見ているとその言葉が頭から抜けない。

 しかも、蓮川に対して名前呼び。二人の関係はよく知らないが、イベント主宰と緊縛師と言う関係にしては親しげだ。

(こういう風に考えるの嫌だな)

 基本的に嫉妬は百害あって一利なしだと螢は思っている。

 嫉妬は冷静な思考を失うし、ゆがんだ行動に結びつく。

(落ち着け……俺……)

 螢は感情的な人間だ。それを何とか理性的に取り繕って生きている自覚もある。

 だから感情を大事にしたいとも思う。

「……螢?」

 蓮川に名を呼ばれて、螢はハッと我に返った。

「ああ、ごめん、ちょっと考え事してた」

「大丈夫か?」

 蓮川は何かを察したのか真顔になっている。

「大丈夫。――芙美さんもすみません」

「いいえぇ、こちらも大丈夫ですよ」

 芙美はにこっと綺麗な顔でほほ笑んだ。

「あ、そうだ! ねぇ、夜、螢くんにもイベントに出てもらえないかな?」

「え?」

「は?」

 螢と蓮川は同時に目を瞠った。

「前に夜のショーで螢くんがパートナーしてた時を観たんだけど、あれすごく良かったから、是非お願いしたいな」

「おい、ちょっと待てよ」

「ねぇ、いいでしょ? 蓮川のパートナーの中じゃ、螢くんマジで断トツだったから」

 芙美は螢の両手をしっかりと握ってぶんぶんと振りながら「いいでしょ?」と繰り返してくる。

「無理を言うな。こいつは素人なんだぞ」

 蓮川は螢と芙美の間に割って入るようにして二人を引き離した。

「えー! 夜はステージに上げてたのに」

 夜と呼びながら、蓮川に文句を言うその様子すら親しげに見える。

「螢くんはダメ? 良い身体してるし、吊りもOKなんだよね? 是非、出て欲しいな」

 再び手を握られた。

 何と答えていいかわからず、螢は思わず蓮川の方を見た。

 蓮川は芙美を見ていた。

「いいですよ。出ます」

「ほんと!」

「え? おいっ、螢……」

「お誕生日なんですよね? 俺からのお祝いってことで」

 螢は芙美の眼を見てはっきりと言った。

「螢……」

 蓮川が螢の名を呼ぶが、螢はそちらを見なかった。

「とはいえ、あんまりハードなのはNGで。俺も仕事があるんで、縄痕を残したくないんですよ」

「いいよ、いいよ! じゃあ、気持ちソフトめにシナリオ考えるね。やった楽しみ!」

 芙美は大喜びだ。

 イベント時のステージはすべて芙美がプロデュースするのだという。

「僕の好きなものしかない特別ステージなんだ。よろしくね」

 僕の好きなもの。

 芙美の言葉が螢の胸に棘のように刺さった。


「悪いな、螢までステージに出ることになって」

 あの後、芙美と打ち合わせのために場所を移して、軽く飲みながらの話になった。

 芙美は別の打ち合わせがあると言って、早々に店を後にしたが、蓮川と螢は残ってもう少し飲むことにしたのだ。

 そして、打ち合わせに使用したテーブル席からカウンターに移動して飲み始めると間もなく蓮川が謝ってきたのだ。

「どうして、蓮川さんが謝るんですか?」

「俺が連れてきたから、こんなことに」

「いいんですよ、俺が出るって言ったんですから」

 螢は蓮川の方を見て笑顔で話しているが、自分でも目が笑ってないのがわかる。

 蓮川が螢に謝ってきたのも気に障った。

 隠そうと思ってもそれが目に出てしまう。

「螢……」

 蓮川は困ったような顔をする。

 螢は自分を落ち着かせるように深呼吸をして、小さくため息もついてから蓮川の方に体ごと向き直った。

「大丈夫って言いたいけど、今は言えない。でも、俺には文句を言う権利がない」

 螢は蓮川の手を拒んでいる。それなのに嫉妬だけ押し付けるのは筋が違うと思っている。

 蓮川はその言葉を聞いて難しい顔をしたが、すぐに少し優しく笑って返した。

「螢がそう思うなら、その気持ちを尊重する。だが、嫌なことがあるなら言ってほしい。言葉無くして相互理解は無理だ」

「……わかった」

 言葉無くして――と言うのは螢だって思う。

 だが、なんと言葉にして伝えたらいいのかわからない。

(好きとか嫌いで終わるなら簡単なのにな……)

 でも、それでは蓮川は手に入らない。一時の快楽を共にできても、そこで終わってしまうだろう。

 最後の一人になる。

 その気持ちに変わりはない。

 そんなことを考えていると、不意に先ほどの芙美の言葉がよみがえる。

『僕の好きなものしかない特別なステージなんだ』

 胸に棘がチクチクと刺さる。

 僕の好きなもの。その言葉がすごく強く感じる。

 螢はもう一度ため息をついて、手にしていたグラスの酒の残りをぐっと飲みほした。


―― 続

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