第19話 彼と俺のドウセイ関係。
一時的なものとはいえ、すでに一緒に暮らしていたので、この延長線上であれば問題はないだろうと
(でも、問題はそこじゃない)
生活をシェアするのは問題ない。
問題は蓮川と螢がどういう関係でそこに収まるのかということだ。
(恋人同士……)
そうなりたい。
(主従関係……)
そこまでの信頼関係がない。
(俺は蓮川さんとどうなりたいのか?)
蓮川さんに信頼してもらって、螢も信頼できるようになりたい。
すべての関係はその上に築かれるものだ。
(蓮川さんを信じてない?)
信頼関係というのは信用するとかしないとかそういう気持ちだけの問題じゃない。
信用してますって言って、それだけで関係は築けない。
「難しい……」
信用を築くには細かなことを積み上げてゆくしかないのだろう。
でもどうしたらいいのか。
思考が停止しているのかと思うくらい、ぐるぐると考えが空回りしている。
「つまり、
涼しい顔をした
「う……はい。多分」
イイエとは言えないが、ハイとも言い難い。
「蓮川さんの日頃の行動をお伺いする限り、それも仕方のないことかと思います」
散々ぐるぐると悩んだ末に、高邑に話を聞いてもらうことになった。
流石に悩み事相談に呼び出すことはできないが、運良く、蓮川の件で高邑に会う要件ができた。
ここぞとばかりに引き留めて話し始めて、今に至る。
高邑は螢の話を黙って聞いていたが、螢が離し終わるとため息を一つ吐いて、呆れたように冒頭のセリフとなった。
「アドバイスというほどではありませんが、考え方を変えるべきかと思います」
「考え方を変える?」
「信頼がないから行動に出れない。ではなく、信頼を得るために行動する。です」
見ているだけでは何も得られない。もし何かを必要とするならば、それを得るために行動を起こすべきという。
「そうなんですけど……俺としては一緒に住むこと自体、結構な決め事なんで……」
「一緒に住むことで、何か失うものでもあるのですか?」
「それは……」
「ないのであれば、そこまでリスクの高い行動ではないのはありませんか」
相手を信頼できるようになるために、一緒に暮らしてみる。
螢の気持ち的には真逆だが、実際、今一緒に暮らしていてデメリットは感じていない。
むしろ、蓮川は入院してた時の方が女を連れ込んだりしていて問題だらけだった。
「行動する価値……ありそうですかね」
「行動を価値あるものにできるかどうかは、それこそ晴山さんの行動次第ですね」
涼しげな顔で紅茶のカップに口をつけている高邑をじっと見る。
「恵さんのこと、信じてますか?」
あの二人の後姿を見たら、信じているに決まっているのに、どうしても聞いてみたかったのだ。
「……そうですね。今この瞬間は信用しています」
「え?」
高邑の答えは少し予想していたのと違った。
「今この瞬間は信用しています。ですが、この先、未来に関してはわかりません。信頼というのは裏切られないことを約束するものではありません」
「それは信頼なんですか?」
「言葉遊びではありませんが、信用は過去の経験や実績から相手を信じること。信頼は信用の度合いが十分に深まっていること。信頼は無条件で相手を信じているものも含まれる」
「信頼は無条件に信じている状態……」
「相手を信じるに値する行動を互いに積み上げるために提示は続けています」
「無条件でこの人ならって思うことはないんですか?」
螢の言葉を聞いて、高邑は苦笑した。
「晴山さんならそんな不安定な関係に耐えられますか?」
不安定な関係。
無条件で安堵できる関係は確かに素晴らしいだろう。
だが、螢にはその関係では無理だとわかる。
「……無理、ですね」
螢はMだ。
相手に束縛されて初めて安心を感じる。
束縛されていればそれを感じることができても、束縛が解かれたら途端に不安になる。
行為の上でも、精神的にも、強く束縛を望む。
そして、束縛されたい気持ちと同時に、強く束縛したいとも思う。
絶対に逃げない相手に縛られて、殺されたらそれ以上幸せなことはない。
「私も晴山さんと同じ性なので、望むことはわかります。お互いに束縛しあって心中でもすればいいかもしれませんが、世の中はそんなに簡単ではない」
高邑の言葉に強く共感する。
一緒に死ねたら最高だが、それではその一瞬で終わってしまう。
だから、互いに生きて、互いに縛りあいたい。
「まずは、信用を得るために細かなことを積み重ねることだと思います。何か劇的なことが起こって、神の天啓でも与えられるようにいきなり信用は生まれません」
「……そうですね」
何もせずに信用を得ることはできない。
それは螢にとっても同じことだ。
蓮川に信じてもらうためにも、螢は行動するべきだろう。
「一緒に暮らしてみようかなと思います」
「良いと思います。晴山さんにとっても――蓮川さんにとっても」
「そう……ですかね?」
「死なないように見張らないと、あの人、死に逃げしますよ」
「……はい」
現実的は話だ。
高邑には前にも言われた。蓮川のあの女に対する態度は緩慢的な自殺だと。
今のままでは間違いなく死ぬだろう。
こんな生活が続けられるわけがないのだから。
「そんなことは俺がさせません」
「……本当に頼むぞ」
「え?」
向かいに座る高邑以外の声が割って入った。
「恵さん!?」
声の方を振り返るとスーツ姿の恵が立っていた。
「遅いから迎えに来た」
そう言ったが、どうやら店内にいて、こちらの様子を見ていたようだ。
すっと高邑が立ち上がり、椅子を引いて恵を座らせる。高邑は何も言わずにその隣に座り店員を呼んだ。
その流れるような一連に、螢はいつも感心する。
高邑は恵のことをよく考えていて、どんな時でも態度に躊躇いがない。
だが、それは恵も一緒で、高邑の一方通行ではないことを感じさせる。
「なんだ? 理想の関係ではなくて失望したか?」
じっと恵を見てしまっていたせいか、恵は目を眇めるようにして笑みをつくると螢に聞いた。
恵はどこから話を聞いていたんだろう? もしかしたら最初から聞いていたのかもしれない。
「いえ……」
「理想の関係なんてものは机上の空論だ。現実はもっと地道で面倒くさいことをコツコツ積み重ねるしかないんだよ」
「どのくらい積み重ねたら、信用できるんでしょう?」
螢が思わずそうこぼすと、恵は呆れた顔になる。
なんだかいたたまれなくて、螢は目線を伏せてしまった。
「そんなことを言ってるうちは全く信用できないままだろうな」
「…………」
「お前は蓮川を信用する気なんかないんだよ」
ハッとなって顔を上げると、恵は真顔で螢を見ていた。
「自分を裏切らない安全なお人形を探してるなら、あいつの相手はやめることだ。あいつはひどく壊れていて、しかも治ることはない。あいつに執着されたら、お前は死ぬまで付きまとわれるぞ」
「え?」
蓮川が螢に執着することなんかあるんだろうか?
そもそも蓮川は何かに執着するというところがあるように思えない。
恋愛感情も支配欲も執着もなく、淡々と来るものを受け入れ、自分のルールで切り捨てているのではないか?
螢がそう言うと、恵は少し苦笑した。
「逆だよ。蓮川は支配欲も執着も人一倍強い。それを本人がわかっているから、人と関わらないようにしてるんだ」
どうでもいいもの以外に手を付けたら、自分が抑えられなくなる。
一回限りのルールは実は縛りでも何でもない。ただ女たちのとトラブル回避のための言い訳でしかない。
本当の縛りは「欲しいものをつくらない」だったのだ。
「お前はもう奴の手を取ったと思ってたんだが違うのか?」
「俺は……」
嗚咽を漏らして、涙も拭わず自分の手を握っていた蓮川を思い出す。
すとんと何かが自分の中ではまった。
「お前は蓮川が欲しくないの?」
「欲しいです」
今度は言葉がすぐに出た。
「じゃあ、まず動くべきはお前だろ」
「そうですね……」
今度は螢が苦笑する。
結局、動きもせずにあれこれ望んでいた自分の尻を二人が蹴飛ばしてくれたのだ。
まずは動け、自分で手に入れろ。
「とりあえず、新居決まったらご報告します」
「そうだな。その時は転居祝いをしてやるよ」
恵はそういうとニッと笑った。
「一緒に暮らします」
恵と高邑と別れたその足で、螢は蓮川の病室へ向かった。
そして個室の扉を開くなり言ったのだった。
「あ、ありがとう」
ベッドの背もたれを上げてタブレットを見ていた蓮川は、鳩が豆鉄砲を食らった顔というのだろうか、どこか呆然としたような様子で答えた。
「とりあえず、退院したら俺の部屋に来ますか? 蓮川さんの家に行きますか? それとも新居探します?」
螢は蓮川のベットの隣に座ると、自分のタブレットで住宅情報を開いて見せる。
蓮川はそんな螢の様子を黙ってみている。
「それとも、同棲やめます?」
「いや、それはない」
そこは即答してもらえた。
(まずはそれで満足か)
同棲の申し出は蓮川の冗談ではなかったということだ。
小さなことだが、螢にとってその反応はうれしかった。
(こうやって、積み重ねていくんだな……)
単純な話だが、恵たちと話してから、だいぶ気持ちが変わっている。
(悩むより、慣れろか)
螢はでもでもだってと怖気づいていた自分に苦笑する。
「本当に……いいのか?」
それまでフリーズしていた蓮川が心配そうに訊ねてきた。
「女でも男でも部屋に連れ込んだら同棲は即解消だけどね」
「それはない……ようにする。螢と一緒にホテルで生活し始めてから、そういう関係とは縁を切ったんだ。もう連絡もしていない」
「でも、蓮川さんモテるからなぁ。恵さんと二人で焼肉に行ったとき、恵さんがトイレに行って席に戻ってきたら蓮川さんの隣に女がいた話、聞いたよ?」
「恵……」
蓮川は頭を抱えてしまったが、螢は続けた。
「あと、緊縛師をやめてほしい」
前にショーを見て思ったが、蓮川はなかなかの売れっ子だ。聞けばAVなどでも緊縛をしていて、知名度も高い。
でも、もう蓮川が自分以外の人間を縛るは嫌だった。
蓮川に縛られた時から、あの手を縄を鞭を、自分以外に振るってほしくなかった。
「緊縛師をやめてほしいの?」
「……俺以外の人間を縛らないでほしい」
螢は正直に胸の内を打ち明けた。
ここで隠す必要はない。嫌なものは嫌だとはっきりと伝えなくては。
「いい子だ」
蓮川はそう言うと螢の方へ手を伸ばしてそっと頭を撫でた。
これは蓮川の癖なのだろうか。
蓮川は螢を褒めるときに必ず「いい子」と言う。
子供扱いとも感じなくもないが、その仕草には十分に甘さを含んでおり、螢は黙ってそれを受け入れる。
「その願いをすぐに聞いてやりたいが、一件だけ断れないショーがある。それだけ許してもらえるか?」
「俺も同行してくれるなら。……それ、俺じゃダメなの?」
「主宰が誕生日で、そのイベントにゲストで呼ばれてるんだ。前に世話になったことがあって断れない」
「わかった」
「それで最後にする」
頭を撫でていた手が頬に滑る。ゆっくりと撫でられるその暖かな感触に螢は少しだけ頭を預けた。
螢の中にある恋心のようなものが少しだけ疼く。
「……螢が納得するまで行為はしないが、時々こうして触れることは許してもらえるか?」
蓮川は手のひらに頭を預けてくる螢を見ながら聞いてきた。
螢は一度、蓮川からの誘いというか行為を断っている。
あの時はなし崩し的にそうなるのを恐れて断ったが、螢だって嫌いなわけじゃない。
(でも、ここは慎重に……かな)
螢が望むものはわかった。でも、蓮川が望むものがわからない。
ほかの女と繋がる術を切ったというのは、螢が思うことに近しいものを蓮川も求めてくれているのだろうか?
(焦ったらだめだ……)
欲しいものは決まったが、気持ちを打ち明ける気にはまだなれない。
螢はそっと目を閉じて、「いいよ」とだけ小さくつぶやいた。
―― 続
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