彼と俺の××××関係。

第18話 彼と俺のシンライ関係。

 けいは、自分の手を握って涙をこぼした蓮川はすかわに驚いた。

 それと同時に、蓮川が本気で漫然と死んでゆこうとしていたのだと気がついた。

「あなたは助かったんです」

 そう言った螢の言葉に肯き、声を詰まらせ涙を流している。

 前に入院して螢が駆けつけた時は、目覚めた蓮川はぼんやりとした顔をしていた。

 まだ麻酔が効いているのかとも思っていたが、そうではなく、生きていた、助かった自覚が薄かったのかもしれない。

 それどころか、また生きていたと失望すらしていたのかもしれない。

 女に刺されるような事態になるまで放置するのも、興味がない以上に、こうなることを予想していたとすれば、蓮川の中では終わらせてくれることを、積極的にではないにしろ望んでいたのかもしれない。

(すべては俺の推測だけど……)

 多分、螢の推測は当たっている。

 歪んでいるとは思っていた。でも、あんなめちゃくちゃな自己ルールをかしてもこの世界で生きて行こうとしているのだと思っていた。

 それがあのルールは蓮川にとって緩慢な自殺装置のようなものだったのだ。

(危なかった……)

 嗚咽を漏らす蓮川を見て、螢は怖くなり、より強く手を握った。

(この人の手を離さなくてよかった)

 たとえ握り返されなくても、差し伸べてくる度にその手を取ってよかった。

 蓮川の傍にいて、本当に良かった。

 今回、メイに襲われてついた傷は、前回刺された時より明らかに酷い傷だった。

 それは蓮川が自分の身を庇わないからだ。

(むしろ、今回は盾にまでしてきた)

 螢を守ろうとしたと言うよりは、最初から蓮川は螢さえ守れれば良かったのかもしれない。

 躊躇いもせずにメイの前に飛び出してきた時を思い出す。

 あの時の蓮川の顔は見えなかったが、その背は揺らぐことなく立ちふさがった。

 メイに刺されても、その手を放さず、一緒に倒れこんだのだ。

 突き飛ばすこともできたはず、むしろ本来ならばそちらの方が正しい。

 メイは蓮川や螢より背も低く体格も華奢だ。多分、本気で殴り飛ばしたらそれで終わりだ。

 それなのに、蓮川は刺されることを選んだ。

 たとえ庇うために立ちふさがっても、その刃を受け入れる必要はないのに。

(メイのことを解決して、俺を解放して、自分は死んで楽になるって?)

 螢の中にふつふつと怒りの感情が湧いてくる。

 そんなに簡単に楽になんてしてやらない。

 そんな風に逃げようとしても逃がしてなんかやらない。

(ふざけんなよ……)

 人間は世界で1人きりで生きているわけじゃない。

 蓮川がやり捨ててきた女の子たちだって、蓮川を支えるものの一部だったのだ。

 こうなったら、蓮川にはとことん生きてもらう。

 なんでそんなに躍起になるのか不思議だったが、考えれば簡単なことだ。

(俺はあなたの命令オーダーに従ったんだ、その俺を置いて一人で死に逃げなんてさせない)

 螢がその言葉に従う事で証を立てたように、命令オーダーしたのならば、命令オーダーを下した蓮川も同じものを背負うべきじゃないのか。

 強引な考え方だったが、蓮川を欲しいと思う気持ちに従えばそうなるしかなかった。

 けいの話を信じるならば、蓮川の千人斬りは誇張でもないらしい。

(千人の最後の一人になるか、千人の中に埋もれて消えるか……)

 螢は千人の最後の一人になって、蓮川を手に入れるしかないのだ。



 翌日、螢は恵に呼び出された。

 前に高邑たかむらに連れて来られたのとはまた別のカフェに呼び出され、店に入ると恵と高邑が待ち構えていた。

恵が言うままに向かいのソファに座り、紅茶を店員にオーダーしてから恵の様子を見る。

 恵が珍しくタバコを吸っている。ひどく機嫌が悪そうだ。

 螢は恵に呼び出されてきたのだが、恵を見た瞬間にその機嫌の悪さに胆が冷えた。

(俺、何もやらかしてないよな……)

 友人としての付き合いはもうそこそこ長いと思うが、ここまで機嫌の悪い恵を見たことがない。

 元々愛想が良い方ではない――正直、不愛想な方だが、あれでも普段は愛想が良いのだと思い知らされるほど、今の恵は不機嫌さMAXだ。

「高邑から聞いてるよ。助かったらしいな、あいつ」

「た、助かりました……」

「螢、お前に怪我は?」

「あ、あ、ありません……」

「そうか」

 そこまで言って、綺麗な所作でタバコをくわえ、ふーっと煙を吐き出した。

 すかさず高邑が灰皿を差し出し、恵は無言で灰を落とす。

(沈黙がキツイ……)

 どうやら螢に怒っているようではなさそうだったが、ビリビリと怒気で肌が焼かれるような気持になる。

「お前も来るか?」

「え?」

 突然言われた。

「ど、どこに?」

「敵討ち」

「え?」

 もう一度聞き返してしまった。

(カタキウチって、敵討ちだろうか?)

「お前と蓮川を売った奴がいるんだよ」

 恵は思いっきり嫌そうな顔をする。

 螢と蓮川を売った奴。――そう言われて、一人の人物の顔が思い浮かぶ。

「……黒井さん」

 バーテンの黒井はメイが店にやってきた時、カウンターの中にいた――はずだった。

 螢が警察への通報を頼もうとカウンターを見た時には姿がなかったのだ。

 その事がずっと心に引っかかっていた。

「お前たちが店に来たタイミングで、メイがあの店に現れたのは、黒井がメイに連絡したからだ」

「…………」

 驚きはしなかった。

 黒井はメイのことをよく知っていた。勤めている店、人気の嬢であること。

「メイはずっと黒井に匿われてたようだな」

 なるほど、と思った。

 多分、男女の関係だったのだろう。

 不思議ではない。蓮川には振られていたが、メイは店では人気の嬢で、美人だしスタイルもよかった。

「馬鹿なことをしたもんだよ」

 恵が吐き捨てるように言った。

 メイは店を裏切って金まで持ち逃げした。

 それを黒井が知らなかったわけはないだろう。

 すぐに金をもって店のオーナーに謝りに行けば、何とかなったかもしれない。

 しかし、黒井はそれをしなかった。

 メイを匿い、金も返していない。それは共犯者とみなされても仕方のないことだった。

「黒井さんのところに行くんですか?」

 螢が恐る恐る尋ねると、恵は眉間のしわを深くして言った。

「黒井には貸しがあってね。私の顔をつぶしてくれたお礼をしなきゃならない」

「ああ……」

 恵は黒井の店の常連だった。

 多分、早々に黒井との関係に気が付いていたのかもしれない。

 恵がオーナーたちにメイを突き出すのは簡単だったろう。黒井のところにいると一言いえばそれで終わりだ。

 だが、恵はそれをしなかったのではないだろうか。

 黒井に黙っていてくれと頼まれたら、恵は少しくらい待つだろう。

 それなのに――。

「黒井さんはどうなるんですか?」

「私は何もしないよ。罰することも、も」

 黒井はクモの糸を失ったのだ。

 夜の世界は金で動く。金でしくじるのは何よりも許されない。

 恵がどこまで影響力を持つのかはわからないが、誰かが庇えば対応は変わるかもしれない。金は取られるだろうが、猶予が生まれるかもしれない。

 しかし、恵は「何もしない」と言った。

「どうする? 一緒に見に行くか?」

「……止めておきます。蓮川さんの見舞いにも行かなきゃならないんで」

「そうか。――懸命だ」

 恵はそういうと灰皿でひねりつぶすようにタバコを消すと、高邑に合図して立ち上がる。

 高邑は手慣れた仕草でコートを広げ、恵も当たり前のように袖を通した。

 命令すら言葉にしない。

 支配するものと支配されるもの。

 徹底された関係。

 これ以上ない信頼の証。

「蓮川が退院したら連絡させろ。警察の相手はコレがする」

 コレというだけで、高邑が螢にお辞儀をした。

「後ほど、病室に寄らせていただきます」

「ありがとうございます」

 螢も立ち上がり、店を出て行こうとしている恵に頭を下げて見送った。

 これでメイのことはすべて終わるのだ。

 あとはメイが殺人未遂で起訴されたとしても、多少の事情聴取があるだけで自分たちはほぼ関わることはないだろう。

 蓮川のすごいところはメイに全く興味がないところだ。

 こんなことになって、自分を殺そうとして怪我までさせられても、メイのことは「どうでもいい」と言う。

(蓮川さんの中の特別な人ってどんな存在なんだろう……)

 恵と高邑が二人そろって店を出て行くのを見送りながら思う。

(俺は蓮川さんとどうなりたいんだろう……)

 螢は蓮川とどんな関係になれるのだろう。



「起き上がって大丈夫なんですか?」

 螢が病室に戻ると、蓮川はベッドを起こして起き上がってタブレットを見ていた。

「ああ、少しなら大丈夫らしい。仕事の連絡が来てたからメールチェックをしてたんだよ」

 蓮川はそう言うと手にしていたタブレットを膝の上において、ふぅっとため息を吐いた。

 傷は深くなかったとはいえ範囲は広く、痛み止めも回復の妨げになるため最低限しか使用されていない。

「そろそろ仕事は終わりにして、ベッド倒しますよ」

 螢はそう言って、膝の上に置かれたタブレットを受け取ってテーブルに移すと、リモコンでベッドの角度を変え始める。

「今日はもう診察も検査も終わりですよね? 食事まで時間があるし少し休んだほうがいいですよ」

「……君がいるのに昼寝をするのはもったいないな」

「俺のせいで傷の治りが遅くなるなら、もう見舞いに来るのはやめます」

「それは困る」

 くすくすと笑いながら軽口を叩きあう。

 こういった軽口は二人で生活し始めてからよくあることだった。

 まるで螢が蓮川のことを尻に敷いているようだが、それはそういうロールプレイングでしかないこともわかっている。今は螢が面倒を見ているから、そういう役割になっているだけ。

(退院したら、どうしよう)

 螢は蓮川の最後の一人になると決めたが、どこまで踏み込んだらよいのかがわからずにいる。蓮川が螢に何を望んでいるのかがわからないのだ。

 そんなことを螢が考えていると、ふいに蓮川が真顔になって言った。

「……螢、俺と一緒に暮らさないか?」

「え?」

 まるでプロポーズのような言葉。

 螢はドキッとするが、自分たちはそんな関係だっただろうかと躊躇う。

「こんなことになってしまったけど、君と二人で暮らしていて……なんというか居心地がよかったんだ。俺はこんな人間だけど、仕事はとりあえずしているし、生活をシェアするにあたって問題はないと思う」

「……俺も仕事はしてるので大丈夫だと思います」

「それはOKってこと?」

 蓮川は螢の言葉に表情を明るくする。

 螢にとっても渡りに船だ。蓮川との関係を強めるには一緒に暮らすのはいい手段だと思う。

 だけど、そんなに関係を進めてよいとも思えない。

「あ、いや、そのっ……ちょっと考えさせてください。俺も真面目に考えるんで」

「あ、ああ、そうしてくれると嬉しい」

 螢が返答を保留したことで蓮川は少ししょんぼりとした。 

 しかし、簡単に踏み込んでくる蓮川には警戒しなくてはならない。

 ここでホイホイと同棲にOKして、飽きたらやり捨てされるようでは困るのだ。

 蓮川にはその危険性が十分にある。

 螢が答えを保留したせいか、蓮川もそれ以上この話はせずに話題を変えてしまった。

(まだ俺達には足りないものがある……)

 螢にもそれが何なのか、ぼんやりと見えてきたような気がした。


―― 続

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