第14話 蓮川 夜の気持ち。

「お前、よく私の前に顔が出せたな」

 蓮川はすかわに呼び出され、高邑たかむらを伴って現れたけいは不機嫌も露わに席に付いた。

「お怒りはごもっとも。だが、話が出来るのがお前しかいないんだ」

 蓮川は座ったままだが膝に手をつき頭を下げた。

 恵は入院中の蓮川に代わって弁護士を手配したり、示談交渉などを手伝ってくれていた。

 以前、別の女に刺された時も同じように助けてもらった蓮川は、さすがに二度目とあって申し開きの言葉もない。

「……螢はお前のところにいるんだな?」

「ああ、俺と一緒に避難している」

「しかし、あのクソ女、とち狂ったことをやらかしてくれる」

 クソ女とはメイの事だろう。

「高邑から聞いたが、お前だけじゃなく螢にまで手を出してきたそうじゃないか。嬢が飛んだ程度の話、無視してやろうと思ってたがそうもいかなくなった」

 恵はこの界隈では非常に顔が広い。

 恵は弁護士や警察官に顔が利くため、蓮川が今回助けられたように、恵に助けられた人間は多い。しかも、そう言った人間に対して見返りを求めない。恩と言うのは、じわじわと効く圧力のようなもの。こうして、恵は逆らい難い存在になっているのだ。

 その圧を感じているのは蓮川もだが、今回はもう自分だけの手ではどうにもならないと判断した。

 蓮川が刺されるだけなら、自分が生きるか死ぬかで済むが、蓮川以外の人間――螢にまで手が及ぶとなると、そうも言っていられない。

「その件は俺からもお願いしたい。あの子をこのまま危険に晒しておくわけにはいかない」

「…………」

「頼む、この通りだ」

 再び蓮川は頭を下げた。

 頭を下げるだけで済まないのはわかっている。どんな代償を要求されても蓮川は応じるつもりであることも言い添えた。

「……ふん、お前に頼まれるまでもない。螢は私の友人だ。助けない理由がない」

「恵……」

「だが、私にも柵はある。直接手を下すようなことは出来ない」

「わかっている」

「とにかく、メイは私が探す。そして見つけ次第、に引き渡す」

 自分で手を下すことは誰もしない。探されているので一緒に探してやるだけ。

「私たちは一般人で、半グレでも反社でもない。出来ることはその程度だ。――それでいいな?」

 私たちと恵は言った。それには蓮川も含まれる。余計なことはするな、自分で事を起こすなと釘を刺されたのだ。

「もちろんだ」

 蓮川は即答した。

 下手に刺激をして、一緒にいる螢に被害が及ぶことも避けたい。

「お前はどうするんだ? 時間がかかるようなら部屋でも探してやろうか?」

「いや、このまま螢くんと一緒に居るよ。目を離すのは少し不安だ」

 蓮川がそう言うと、恵は渋い顔をした。

「……お前、螢と何かあったか?」

 勘が鋭い。一瞬、動揺しそうになったが、蓮川は何とか飲み込んだ。

「あの子には世話になっている」

「……入院の保証人になったって言ってたな」

「その場にいたのが彼だったからというのもあるが……俺は非常に助かったんだ」

「他に余計なことはしてないのか?」

 恵は蓮川が螢に手を出すのはほぼ確定事項だと思っているようだ。

 実際、手を出そうとしたのだが、あれは失敗だったと今は思っている。

「大丈夫だ。あなたとはお友達でいましょうって言われたよ」

 少し軽く言ってみたが、恵はその言葉を聞いて重いため息を吐いた。

「お前ね……あの子をお前の周りにいる女どもと同じように扱わないでくれ」

「……同じとは思っていない」

「はっ、どうだか。お前には、自分と他人しかないない。自分以外はみんな同じで、自分のルールに沿って処理するだけだろう」

「…………」

 確かに。そう言われてしまうと返す言葉もない。

 蓮川は螢に手を出そうとしたし、それを拒まれて対象から外した。

(では、何故、彼の傍にいようとしている?)

 別に螢も一人前の男だ。蓮川が傍にいなければならないほど弱くもない。むしろ、元自衛隊だと言う彼ならば、荒事になっても上手く対処できるかもしれない。

(だけど……目を離せない)

 螢は狂気が欲しいと言っていた。

 蓮川の中には列記とした狂気が存在している。それは間違いないし、自覚もしている。

 多分、螢の中にも狂気があるのだろう。

 あんなふうに朗らかな子が――と思ったが、蓮川はその狂気の片鱗を見てしまった。

(暴力に怯え、泣きわめく子供)

 あれは、過去にそう言う経験があるが故の恐怖――トラウマのようなものだろう。

 それが色濃くこびりついて離れない。

(彼がMなのはその所為か?)

 螢の狂気については恵も知っているのだろう。

 だからこんなに気にかけている。

「蓮川?」

「……いや、なんでもない」

 恵に聞けばその正体が詳細にわかるかもしれないが、きっと恵は話さない。

 もし知りたければ、螢から聞き出すしかない。

 その為にも、必要なのは彼との距離を縮めることだ。

「別々にいても、一緒にいても、メイは遅かれ早かれ嗅ぎ付けて、もう一度顔を見せるだろう。その時に螢が一人きりだったらと思うと――彼は女が殴れないんじゃないか?」

 蓮川の言葉に、再び恵が眉を顰める。

 螢は自分なら大丈夫というようなことを言っていたが、彼にはトラウマがあって暴力を人に科すことは出来ないのじゃないだろうか?

 その予想は当たっていたようで、恵がもう一度ため息を吐いて答えを明かした。

「詳細は話せない。だが、螢にはトラウマがあって、確かに暴力的な行為が苦手だ。だが、お前じゃなくても、私か高邑が面倒を見ることもできる」

「それは、俺がやりたい」

 螢を取り上げようとする恵に待ったをかける。

「お前が心配するようなことはしない。友人として丁重に扱う。それに、二人一緒の方が、姿を見せる率も上がる。あまり時間をかけて放置すると、多分、もっと状態は悪くなるだろう。それは避けたい」

 狂気に捕らわれると、行動は加速する。

 先日、螢と蓮川に逃げられたメイは、あの時よりもっと心を黒くしているだろう。

「囮になるつもりか?」

「そこまで大したもんじゃない。ただ、俺たちが出歩かない限り、メイは姿を現さない」

 恵はその日で一番苦々しくため息を吐いた。

「……人の少ない所へは行くな」

「ああ、肝に銘じておく」

 蓮川はそう答えると、もう一度、恵に頭を下げた。



 メイは蓮川が思ったより追い詰められているようだ。

 恵と会った後、ホテルに戻ると高邑からメールが来ていたのだが、メイが逃げている理由がそこには記されていた。

「1千万……」

 別店の嬢の部屋に火をつけて、殺人未遂。その嬢の部屋は店が借り上げてる部屋で、オーナーは当然店の関係者。その上、自分の居た店の金に手をつけて1千万。

 そんな金を嬢に触れる様な状態にしとくなよと思うが、どうやら店長がメイとらしい。

(店長の失敗分も上乗せされてるか……)

 実際には1千万も手をつけていないかもしれないが、こんな状態になってしまえばすべての罪をなすり付けて処分してしまおうとなるだろう。

(この金額じゃ、見逃してはもらえないだろうな)

 100万でも逃がしてはもらえないだろうが、この額面はデカすぎる。さっき、店長の罪もと思ったが、もしかしたら店長はすでにけじめ済みかもしれない。

 それに噛んでいたのであれば、メイも決して見逃してはもらえない。

 しかも他の店にも迷惑をかけている。

 一般人の螢にすら探しているのが漏れ聞こえるほど、店側は必死に探しているのだ。

 海外、もしくはせめて離れた地方に飛んでいれば、ひっそりと暮らすくらいは出来るだろうが、メイは蓮川を追い求めて飛ぶどころか辺りをうろついている。

 その危険さはメイにもわかっているはずだ。それでも残って蓮川を探している。

(そりゃ、追い詰められる)

 最初は蓮川を振り向かせたかったのかもしれない。それが上手くいかなくてムカついたのかもしれない。

 だが、それに拘っているうちに、色々と上手くいかなくなってきて、それがすべて蓮川への思いに統合されていく。

 今頃、すべて蓮川の所為になっているだろう。

(もう言葉は通じないだろうな)

 元々話になっていなかったが、今はもうメイの思い通りにならない限り、何の言葉も通じない。

(俺が、好きだ愛していると言ってメイを受け入れても、メイの目的はもうソレではなくなっている)

 手に入れたかった蓮川は、今やメイの疫病神だ。

 メイの狙いは、多分、蓮川を害する事。だから声をもかけずに蓮川を襲った。

「どうするかなぁ……」

 メイにとっては蓮川とのことを邪魔した螢もターゲットだ。

 現に、メイが火をつけた部屋に住んでいた嬢は、蓮川が相手をした女の一人だと思う。

 女のことははっきりとは覚えていないが、その嬢が勤めている店の名前には覚えがあった。

 ショーで螢を相手にしたことが知られているからこそ、メイは螢に脅しをかけたのだろう。

 下手をすれば螢の部屋も同じように火を放たれていたかもしれない。

 だから、蓮川は螢を一人にする気はなかった。

 蓮川と螢が一緒にいるところにメイが居合わせれば、先に襲うのは蓮川の方だと思うからだ。

 少なくともどちらを襲うかを迷いさえすれば、その隙に何とか出来るかもしれない。

(何とか出来るのは螢くんかもしれないが……)

 元自衛官だと言う彼は多少は心得があるようだったし、あの体を見ればそれは確かだと思った。

(いい身体をしていた)

 打てば響くような反応だけじゃない。

 程よく筋肉が付いた身体は非常に柔軟で、あれならば自分の身体を自由に扱えるだろうし、使い方を知っているならば対処もできる。

 そんなことを考えていて、蓮川は螢のことを観察していたのだと気がついた。

 蓮川は正直にいれば人嫌いだ。友人もごく少ないし、特定のパートナーを作らないルールで縛ってもいる。

 嫌いなものには興味がない。だから、メイのことも実はほとんど知らない。

 こうして、高邑から情報を貰ったので、そうだったのかと思う程度だ。

 その上、こんなトラブルを起こされて迷惑をかけられているが、そのトラブルが排除されればそれでいいと思う程、メイに関しては興味がない。

 ひどい話だが、顔を思い出せと言われてもボディピアスをやたらとしていたのが珍しかったので覚えている程度だ。もちろん、見ればメイだと分かるとは思うが。

 そんな蓮川が螢については色々と覚えている。

 やや童顔な顔、理想的な体つき、性格、性嗜好、そして――彼が恐怖に思う事も。


『俺は、蓮川さんとやって遊びでは終われない男です。――だから、友達でいましょう』


 まるで今言われたかのように、螢のセリフがよみがえる。

 こんなにも螢のことをはっきりと思い出せる。

(……俺も中々に女々しい)

 螢に拒否されたことがショックだったのだ。

 それは、蓮川が螢に興味があったからに他ならない。

(気になる子にアプローチしたら振られたってやつだな……)

 それがショックで、蓮川はこんなにも螢の事を考えてしまう。

 ただ、蓮川にはこの興味が何であるのかがわからない。

 状況的に考えて、蓮川の知識の中ではこれは恋愛感情というやつなのだろうと思う。

 蓮川はゲイだと言う認識ではないが、蓮川の性的な行為の相手に性別は必要ない。

 だからこそ螢を押し倒したのだが、そこにある感情に自信がない。

(俺は何も感じない)

 まったくの無であるわけではない。興味がわく程度には何かがあるのだ。

 だが、それが恋愛感情なのかと言われるとよくわからない。

 そもそも恋愛とは何かという哲学的な方向へ話が逸れそうになるくらいわからない。

(興味はある。でもそれが何の興味なのかはわからない)

(性的な行為はしたい。でもそれ以上の関係とはなんだ?)

(俺は螢くんとどうなりたいのか?)

 すでに禅問答の様相を呈してきそうな勢いだ。

 ただ、それを考えるのは後でもいい。

 友達でいましょうと言う言葉の通り、現状を維持すれば螢は蓮川との関係を継続してくれるはずだ。

(考えるのは、すべてが終わってから)


 今はメイの件を片付けるのが最優先なのだから。


―― 続

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