Mな男、Sな男。
第13話 晴山 螢の狂気。
「え、ちょっと……」
ボトムを中途半端に降ろした状態で
成人男子の体重を全力で受け止めたベッドのスプリングが軋んだ音を上げる。
「縄をあげたいところだけど、縄がないからね」
そう言って
ギチッと音がするほどきつく縛られると上半身の動きが途端に制限される。
仰向けで、手首を縛られ、股間を曝け出した情けない姿で蓮川の視線を受け止めた。
「足は……これでいいかな」
蓮川は自分のベルトを引き抜くと、螢の右足を立膝のように折らせ、それを太ももと脛をまとめるように縛り付けた。
「いたっ……」
「口は開くな、声をあげるな」
蓮川が螢の顔を覗き込んで言う。
するっと螢の唇に蓮川の指が触れた。
「
そして、見せつけるように左手から金色の指輪を抜いて見せる。
それを見た螢は黙って口を開けて、前歯に触れたそれをそっと咥えた。
ショーの時も与えられた指輪の口枷。
強く噛めば傷がつく、ゆえに力も入れられない。声をあげれば口から落ちる、ゆえに声をあげられない。
「いい子」
するっと頬を撫でられた次の瞬間、ピシャッと高い音が上がるほどキツく、縛られていない方の太ももを手のひらで打たれた。
「ひっ!」
容赦ない力で、1回、2回と繰り返し打たれるが、螢は声をあげられない。
ビシッと打たれる度に電気のように痛みが走る。
「ぐっ、う……んっ……」
螢は必死に声をこらえる。
太ももを打たれる度に刺すような痛みが走り、その後にじわじわと熱が広がってくる。
痛みを堪えるために息むと、頭の中が脈打ち始めた。
(なんでっ……)
なんでこんなことになってしまったのか。
(いくら気になるからって、こんなチョロくちゃヤバいだろ、俺)
頭の中ではわかっている。
こんな簡単に縛られたり、打たせたり、身体を明け渡すことをしてはいけない。
そうは思うが、そう思うのをかき消す様に痛みが繰り返し襲ってくる。
「うっ、う、……」
声をあげることもできず、痛みに頭の中まで掻き混ぜられて、次第にぼんやりとしてくる。
蓮川は酷く楽しそうな顔で繰り返し螢を打っている。
互いに言葉はない。だけど、しっかりと目が合って、蓮川の考えていることが頭の中に流れ込んでくるような気すらした。
(怖いっ……)
蓮川は螢を見ていない。
螢の肉体を見て、それを弄り喜びを感じているが、螢と言う人間を見ているわけではないのだ。
そう思った瞬間、湧き上がったのは恐怖だった。
あのショーの時もそうだったのかもしれない。あの時は顔が隠れていたからわからなかったのかもしれない。
(いやだ……)
一瞬で快楽など消し飛んだ。
(嫌だ嫌だ嫌だ)
(怖い怖い怖い)
恐怖で頭の中が恐怖に埋め尽くされる。
ゴツッと鈍い音が聞こえる。
殴られる。
複数の笑い声。
理不尽な暴力。
顔を殴られる。頭が揺れる。
腹を蹴られる。息がつまり、胃液を吐いた。
激しい嘔吐感と、脳が揺れる嫌悪感、痛み、苦しみ、過呼吸になるが誰も殴るのをやめない、蹴るのをやめない。
「ひっ、あっ!」
思わず上げた悲鳴に唇から指輪がこぼれる。
「螢くん?」
名前を呼ばれ、そちらを見ると、男が手を振り上げている。
「嫌だっ!」
咄嗟に螢は無理やり身体をはね起こし、覗き込んでいる男の頭に向けて頭突きを入れた。
「がっ……」
螢を打っていた男が仰け反って倒れ、ベッドがから落ちる。
「止めろ……」
螢はぼたぼたと涙をこぼして言った。
倒れた男が慌てて起き上がり、螢の方へもう一度やってくる。
「止めて……もう……」
「大丈夫だ」
震えて、ただただ泣いている螢を、男は抱きしめた。
「もう、大丈夫だ」
男はそう繰り返す。
「やだ……やだ……」
螢はそう繰り返しながら、しばらく泣き続けた。
「落ち着いたか?」
拘束を解かれ、蓮川から水を貰ってそれを一気に飲み干した螢は、やっと現実に返ってきた。
「……すみません」
螢はそれだけ言葉にしたが、まだ体は震えている。
「いや、俺が悪かった。同意もないのに申し訳ない」
パニックに陥っている間、ずっと螢を抱きしめていた蓮川は、螢が落ち着いてからは謝ってばかりだ。
「いえ、俺も、こんな……パニックになるとは思わなくて……」
「いいんだ。俺が悪い」
蓮川は酷く落ち込んでいるように見える。
螢に食らわされた渾身の頭突きは、蓮川の額に痣を作っているが、それを気にするそぶりも見せずに螢を案じ続けていた。
(ヤバいな……俺……)
トリガーはわかっている。
過去に行われた暴行。
自分がMだと知れて、暴力や嘲笑に喜ぶんだろうと無理やり行われた暴行。
螢はその暴行で全治1カ月という重傷を負い、仕事も辞めた。
犯人たちは同僚だった。少し前まで仲良くしていたのだが、とあることで螢の性嗜好が知れると、急に態度が変わったのだ。
笑いながら、ドMなんだから喜べと言われ、執拗に殴られ、蹴られ、別の人間に発見された時も、こいつマゾなんで喜んでるんですよと言われた。
思い出すと怒りが込み上げてくる。犯人たちは傷害で処分され、同じく仕事を失っている。それでも螢は彼らを許していない。
(怒りになっていると思ってたのに……)
螢の中にはまだ恐怖が残っていた。
どんなに体を鍛えても、自分が強くなっても、あの恐怖は拭えないのか。
自己嫌悪のような嫌な気持ちが螢の胸の中にへばりつく。
「俺は別の部屋を取ろうと思うんだが……」
蓮川は心配そうに螢を見ている。
(この人、こんな顔もできるんだ……)
螢のパニックのトリガーは「自分に興味がない」と言う事だと思う。
自分を見ていない、自分の事をどうでもいいと思っている相手からの暴力。それは螢にとって過去の出来事と重なる。
苦痛を好むが、暴力は好まない。
緊縛も、スパンキングも、痛いも、苦しいも、全部全部、暴力とはほんの少し「何か」が違う。
殺される寸前まで傷つけられても、それを笑って受け入れられる「何か」がそこにはある。
その「何か」が暴力には無いのだ。
上手く言語化できないけれど、その行為の芯や真意のようなものが違うのだ。
「……大丈夫です。同じ部屋にいた方がいいのは確かだし、俺も落ち着きました」
蓮川に罪はない。ただ、螢が弱いだけだ。
だから、大丈夫と螢は自分と蓮川に言い聞かせる。
「しかし……」
「その代わり、プレイは無しです。俺は、蓮川さんとやって遊びでは終われない男です。――だから、友達でいましょう」
出来る限り明るく言った。
「わかった。今回は俺が悪かった。流してくれるならありがたい」
蓮川は膝に手をつき頭を下げた。
「もちろんです。俺もすみませんでした。これで、お互いさまってことで」
「ああ、そうしよう」
蓮川がそう言って手を差し出したので、螢は一瞬ドキッとしたが、その手をそっと握り返し握手した。
その手は温かく、優しい感じがする。
自分の首を絞めていた、情熱的に焼けるような手と比べて、螢はほんの少しだけ寂しいなと感じたのだった。
これで良かったんだと螢は思っていたが、この日以来、少し蓮川との距離を感じるようになってしまった。
こんなことがあったら仕方がないと思う同時に、何か間違えてしまったかとも思う。
(俺、こんなに不器用だったっけ……)
器用だとは思ってないが、それでももう少し上手くやれると思っていた。
パニックになったりもしたが、螢は蓮川の事が嫌いなわけじゃないし、それとは別の問題だと考えている。
しかし、実際は――あまり芳しいとは言えない。
蓮川の視線を感じて、顔を上げるとすっと目線が逸れる。
蓮川は螢の目を見ない。
かと言って、螢を避けるような様子はない。
螢で劣情を発散しようとして失敗したわけだが、このホテルに来てから蓮川は女を呼んだり、どこかへ出かけたりする様子はない。
仕事はオンラインで済むらしく、日中はノートPCを広げて仕事をしている。多分、螢が仕事で外出している間もそのままのようだ。
最初は螢がいない時に息抜きでもしているだろうと思っていたが、朝、出かける前の寝癖がそのままだったり、服装が変わってなかったりしていて、それもしていないと思った。
(これがアリバイ工作だったらすごいけど、この人、そう言う感じじゃないんだよな……)
メイが狙っていると言う状態を考えたら、外出しないのは大正解なのだが、蓮川はそんなことで女との関係をやめるような人間ではない。
今、女関係を再開していないのは偏に螢への気遣いなのだろう。
(律儀な人だな……)
モニターに集中している蓮川を螢はじっと見つめる。
BARで女といる蓮川とはまるで違う。
真面目な顔でモニターに向かい、時折、息抜きの為か大きく伸びをする。
集中してくる顔、疲れた顔、気分良さそうな顔、くつろいでいる時の顔、些細な表情にもすべて感情がこもっているように見える。
(女たちといる時は自分を殺していた?)
そんな風に思う。
取り繕った笑顔。
相手に興味がないだけだと思っていた。
それ以上に――
(多分、自分に興味がない)
女にも興味はない、女に向かい合う自分にも興味がない。
蓮川にとってはすべてルールに縛られたルーチンワークでしかなくて、そこに大した興味はないのだ。
虫歯にならないように歯を磨くように、人を殺さないように女を相手にする。
極端なことのように思うが、実際に極端な行動だろう。
人を殺さないため、社会で暮らすため、生きるため。
(そこまでしないと生きていけないと思う程、蓮川さんの衝動は強いのか……)
螢は、一度、蓮川と話がしてみたいと思う。
かもしれない、そう思うばかりで、彼の言葉を実際に聞いたことは極わずかでしかない。
そんな推測ではなく、きちんと彼の言葉で話をしたい。
(その時は、俺の話もしなくちゃならない)
狂気が呼び合うとかつて話したことがあるが、それこそが二人の抱えた狂気なのだろう。
(その為にも……)
もう少し、蓮川との距離を縮めたい。
―― 続
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