第12話 狙われた男。

蓮川はすかわさんっ!」

 けいの悲鳴のような声が響いた。

 それと同時に、降りようとしていた車に再び引きずり込まれる。

 慌ててドアを閉めると、降りようとしていたドアのガラスに黒い影が張り付いた。

「け、螢くんっ!? どうしたっ!?」

「黙って! 舌噛みますよ!」

 一気にアクセルを踏み込んで、ギャギャギャギャギャと悲鳴のような音をあげて車は急発進した。

「メイさんです! ナイフ、持ってた」

「え……」

 さっきの黒い影がそうだったのか?

 蓮川は急発進して、今もスピードを上げて走り続ける車の中で、振り向いても仕方ないと言うのに思わず振り返ってしまった。

「すみません、蓮川さん、シートベルトお願いします」

「あ、ああ」

 蓮川は斜めに座っていたシートにきちんと座り直し、シートベルトをかける。

 しっかりとシートに背中がついた途端に、何とも言えない安心感のようなものが湧いてくる。

「メイだって? まさか……いや、ありうるか……」

 女に刺されて退院した途端に、再び女に襲われるのは想定外だったが、そもそも螢はメイが危ないと知って警告に来たのだ。

 それきり二人は言葉を失い、螢は真剣な顔で前を見つめたまま車を走らせている。

 蓮川の家に戻るのは危険だ。螢の家もメイにはバレているらしい。

「とりあえず、どこか探さないとヤバいですね」

 螢にそう言われ、蓮川はスマホで適当なホテルを探すことに没頭した。



 螢と蓮川は区を跨いだ場所にあるビジネスホテルにチェックインした。

 メイが待ち伏せしていたことを考慮するとしばらく自宅に戻らない方が良いと言う判断だ。

 もちろんそれは蓮川だけではなく、螢も同じだったので同じホテルに逗留することにしたのだが――。

「なんで、ツインなんですか!」

 螢は運転していたので蓮川に自分の分も予約を頼んだのだが、蓮川はシングル二部屋ではなくツインを取ったのだ。

 そこまで広い部屋ではない、人ひとり立てる程度の間をあけてセミダブルのベッドが並んでいるだけの部屋だ。

「キミの話だと、メイが狙ってるのは俺だけじゃないんだろう? ならばお互い目の届く範囲に居た方が安全だ」

「同じ部屋に居たら逃げ場がないじゃないですか」

「あ、そうとも言うか」

「蓮川さん……」

 螢はがっくりと肩を落とすが、蓮川は楽観的な様子で応えた。

(まぁ、二度も女に刺されている男は不安かもしれないが……)

不意を突かれなければ、蓮川だって後れを取るとは思っていない。

「こちらは男二人だ。何とかなるだろう。螢くんはいい身体してるし、何かスポーツでもやってるの?」

「……俺、元自衛隊です。今はモーションアクターやってます」

「なるほどね、それなら動けるか。俺は申し訳ないけど、腕っぷしはさっぱりなんだ」

 そうですよね。と言いたげな顔で螢はそれを口にはしなかった。

 女に2度も刺されている人だ。そこは期待されなくて当然だ。

「俺も護身はある程度できますが、それでもまず逃げるのを優先してください」

「キミを置いて?」

「もちろんです。不意を突かれなければ、俺は制圧できますから」

「強いなぁ」

 蓮川は螢の身体を上から下までまじまじと眺めて言った。

「ボディビルダーみたいな筋肉の付き方じゃなかったから、何かのスポーツかと思ったけど自衛隊とはね」

「もう辞めて時間もたってるんで、今はジム通いで維持してる状態です」

「ふぅん、それでもすごいよ」

 隣に立った蓮川が螢の二の腕を掴んで軽く持ち上げた。

「ちょっ、なに!?」

「うん、腕も胸も筋肉質だけど背中と腹はやや控えめ、この間、縛って思ったけど柔軟性も十分だ」

 軽く腰を押さえて腕を引いただけで、背筋がピンと通って姿勢が変わる。

 服の上から肉付きを確かめるように撫でると、びくっと体を震わせる。

(感度いいな、これでMなのか?)

 SにしろMにしろ痛みや快感に対して鈍い人間は少なくない。

 そもそも感度が良く、ストレートな行為に素直に快感を得るならば、そうそう認知は歪まない。

「は、離して……」

 抵抗する螢の様子を見て、少し意地悪な気持がわいた。

「股間のアレは、誰かの命令でつけてるのか?」

 蓮川は真顔で問いかける。

 冗談やごまかしでは通用しないと言う態度を見せてみた。

「あれは……」

 螢が言い淀んでいるので、蓮川は再び股間を掴む。

「あっ」

「今日もな」

 螢はパッと顔を赤らめる。

 ショーの時も今日も、螢は金属製の貞操帯をつけていた。

 直接見てはいないが、ショーの時に下着越しに触れたものと変わりない。

 多分、ステンレス製のややイカツイ貞操帯。

 だから、何をつけているのかとは聞かなかった。それが何かはわかっている。その代わりに「誰の命令でつけているのか?」と尋ねた。

「……趣味です」

 螢はか細い声で言った。

「趣味? これが?」

「無いと……不安で……」

 これは螢の暗い部分。

「どうして?」

 蓮川は優しい声で問う。

 同時にボトムの上からだがそこを強く握りしめる。

 金属で覆われているため、直接の刺激はないだろうが、それでも握り締められていることくらいはわかるだろう。

 蓮川は螢の股間を握り締めたままベッドに腰かけ、螢の腰を抱き寄せると目の前に立たせた。

 螢は蓮川に向かい合う様に立ったまま身動みじろぎできずにいる。

 命令されたわけでもない。股間を握られているが、それを乱暴に扱われてもいない。

 蓮川は優しく聞くだけだ。

「答えられない?」

「……」

 蓮川の問いに答える義理はない。

 だが、蓮川は答えを聞くまで止めないつもりだ。

 螢はそう言うことがだ。

「……去勢」

「ん?」

「俺、去勢願望があって。衝動的に切り落とさないためにガードでつけてる……です」

 螢はゲイだが女になりたいわけではない。

 だから性器を切り落として違うものになりたいわけじゃない。

 ただ、性器に対して漠然とした不安感があって、それを何とかしたいと思う。

 それは酷く衝動的で、切り落としたいと思うこともある。

 ひどく言語化が難しい感情であって、これ以上、蓮川に問われてもうまく説明もできない。

 そう言ったことをたどたどしく説明すると、螢はふうっと小さなため息を吐いた。

「そうか。わかった」

 蓮川はそれ以上聞かなかった。

 これ以上は螢は話さない――話せない。

 しかし、次の要求を突きつける。

真面目な顔で螢をじっと見つめたまま、「見せて」と

 螢は蓮川と目を合わせたまま、それを逸らすこともできず、その言葉に飲み込まれてしまった。



 すっかり蓮川に飲み込まれてしまった螢は、命じられるままゆっくりとベルトに手をかけ、ボトムのボタンを外す。

 ファスナーを下ろし、前をくつろげると、下着の下からごつごつとしたいびつな形が膨らみを作っていた。

「ふぅん……」

 蓮川は目の前に露わにされたそれを興味深そうに眺めている。

「あっ」

 指先でぐっと押すと、痛みが走るのか身体を竦ませる。

 それでも蓮川は手を止めることは許さず、下着を下すように急かすような視線を送った。

 螢は思い切って下着を下ろし、股間を露出させる。

 露わになったそこは、武骨な感じのステンレスで出来たリングを組み合わせた貞操帯に覆われていた。

 根元を戒めるリングの部分に小さな鍵が付いていて、それを開けることで外すことができるようだ。

「鍵は?」

「……財布の中」

「出して」

 螢は膝あたりに引っかかっているボトムの尻ポケットから財布を取り出し、そのまま蓮川に差し出す。

「鍵を出して」

 蓮川は財布ごとは受け取らず、螢に鍵だけを取り出させた。

「はい」

 ぽとりと蓮川の掌に小さな鍵が落ちる。

 この瞬間、螢は蓮川に全てを委ねたことになる。

 蓮川は鍵を受け取ると、真顔で螢を見つめた。

「これ、こんな風に、簡単に渡していい鍵じゃないよね?」

「簡単じゃ、ないです」

 声が震えている。

 蓮川には圧がある。

 言葉を荒げもしない、きつい言葉も選ばない。

 柔らかく、静かに、でも強く。

 蓮川は螢の内側から掻き混ぜるように胸をかき乱す。

「じゃあ、この鍵は俺がもらう。この鍵を必要とする、コレも、俺のものだ」

 蓮川は指先でステンレスの貞操帯を突いた。

「俺の許可なく、使っちゃだめだよ?」

「は、はいっ」

「そう言うの、好きだろ?」

 蓮川は螢の目を見てにっこりと微笑むと、鍵をきゅっと握り締めた。


―― 続



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