第8話 モテる男。

「メイが店を飛んでいたのも知らなかった」

 けいの話を一通り聞いて、蓮川はすかわはため息をついて言った。

「彼女とはもう終わっているし、完全に興味の対象外だった」

 あんな騒ぎを繰り返しても終わったと言えるのかと螢は驚いたが、そもそもこの人は相手の女に興味が無いのだ。

「君も巻き込んでしまってすまない」

「いえ、これは自分から巻き込まれたようなところもあるんで……」

 メイに目をつけられてしまったのは予定外だったが、蓮川と接触し続ければ遅かれ早かれこうなっていただろう。

「保証人は俺がしますけど、他に連絡を取った方がいい人とかいますか?」

「ああ、職場に連絡しないとならないんだけど、俺の荷物ってどうなっただろう」

「あ、それはこっちにあるみたいです」

 個室の入り口近くの棚の中にあるビジネスバッグを取り出して見せた。

 その隣にはビニール袋に畳んだスーツが入っている。ただこれは血で汚れていて着ることは出来なそうだった。

「着替えとか、要るものがあったら言ってください」

「本当に助かる。前に入院した時は職場が保証人になってくれたんだけど、それ以外は全部自分でしないとならなかったから……」

「前……」

「あ、ああ、前も刺されてね」

 苦笑交じりに蓮川が言った。

「知ってます」

 螢も苦笑交じりに返す。

「そうだよな……恵から聞いてるだろう?」

「ええ、まぁ」

 噂で聞いたとは言わないでおく。

「あと腐れなくと思うんだが……」

「人間ですからね」

 蓮川の話を聞いていると、まるで機械か何かのプログラムのように感じる。

 ルールを決めて、それを守る。感情は完全に無視で、ルール優先で取り付く島もない。

「好きになったら、どうしようもないんだそうですよ」

「……君もそんな感じ?」

「俺は――」

 普通に人を好きになりたいと思ったことはあった。

 大勢の人たちと同じように女の子に恋したり、ゲイであっても誰かと恋に落ちて付き合うような。

 でも、それは出来なかった。

 恋愛感情というものが、どんなものかは理解していると思う。

 でもその衝動が螢の中には巻き起こらない。

 螢がそのトキメキを感じるのは、強い執着を見せられて嫉妬に狂い自分を攻撃してくる姿に対してだけだった。

 あの日、蓮川が螢の首を絞めて殺そうとした時のように。

「ときめかないんです。自分の性癖があるから、Sの人と付き合うことも考えたけど、ただプレイがしたいだけの人とは上手くいかなくて」

 プレイだけでは狂気が足りない。どんなにきついプレイをかけられても、耐えきる身体があるだけに余計に冷めた。

「俺が欲しいのは狂気だから」

「狂気……」

 じっと蓮川が螢を見つめてくる。

 その瞳は冷ややかで、感情も何もない。

「俺は相手を狂わせてばかりだ」

「そう、ですね……」

 螢もその一人だと思った。

 螢は蓮川に狂気を感じている。

 それは蓮川から向けられる狂気ではなく、螢が蓮川に向けている狂気。

 だから、こんなことに首を突っ込もうと思っている。

「しばらくは自重してくださいね。もっとも入院中なら何もできないと思いますが」

 じっとりと空気が重くなりそうな気配を感じて、螢は逆に明るく揶揄うように言って話をごまかした。

 いつか、逃げないで蓮川と向かい合わないとならないのはわかってる。

 でも、それは多分、今じゃない。

 螢は蓮川に軽く断って、ナースセンターに入院手続きのための書類を貰いに向かうことにした。



 蓮川は噂通りの人間だった。

 螢が病室のドアを開けた瞬間、ベッドを取り囲むカーテンの向こうで女の人の小さな悲鳴が聞こえた。

「螢くんか?」

 カーテン越しに蓮川が訪ねてくる。

「はい、そうです」

 螢は閉じられているカーテンを開かずに返事をした。

 蓮川の病室は個室で、今までカーテンを閉めるようなことはなかったのだが、今日はなぜか閉めている。

「それでは、点滴が終わったらナースコールをお願いしますね」

 何でもない、という素振りでカーテンの向こうから若い女性の看護師が姿を見せる。

 なぜか汗ばみ、頬を上気させているが、螢はそれを見なかったことにして「お疲れ様です」と頭を下げた。

 ここまであからさまだと、カーテンの向こうで行われていたことなど、螢がどんなに初心で鈍感でもわかるだろう。

 そして、螢は初心でも鈍感でもないので、何が起こっていたかはっきりと理解している。

 螢は「換気しますね」と言って、わざとらしく窓を開き、ジャッと音を立ててベッドを囲むカーテンを開いた。

「やぁ、ありがとう。すまないね」

 蓮川の口から何度「すまない」という言葉を聞いただろうか。

 蓮川はベッドの上で上半身裸で刺された腹の包帯が丸見えになっている。

「着替え、持ってきました」

 螢は出来るだけ蓮川の方を見ないようにして言った。

「来週には退院できるそうですね。さっきナースセンターで聞きました」

「君はナースにもモテてるなぁ」

 くすくすと笑いながら言う蓮川に、思わず眉をしかめてしまった。

「今朝も、採血に来た看護師さんに恵くんは今日は見舞いに来るのかって聞かれたよ」

「それは……」

 螢の事を話題に出してはいるが、看護師の目当ては螢ではない。

「蓮川さんとの会話のきっかけが欲しくて俺の事言ったんですよ。目当ては蓮川さんじゃないですか」

「え? そうなの?」

「……蓮川さん、案外鈍いですね?」

 蓮川が搬送されてから今日で1週間目。

 翌日からは歩行も解禁されて、個室内では普通に生活もできる。

 螢は毎日見舞いに通い、何かと色々話をした。

 とりあえず、蓮川は家族がいないと言う事で、螢が保証人になった以外、蓮川のことを連絡もしていない。

 悪いと思ったが、今のところけい高邑たかむらにも内緒にしている。

(メイがどうしているかわからない以上、このことを知ってる人は少ない方がいい)

 螢はそう思っている。

 もちろん、螢が病院に来るときも慎重に辺りを警戒しながら来ているのだ。

 毎日ルートを変え、時には車も使い、尾行されないように細心の注意を払った。

 そして、通ってくれば、蓮川は前述のとおり、悪びれもせず看護師に手を出している。

(人たらし……)

 花が虫を引き寄せるように、蓮川には女が群がってくる。

 本人も意識して誘惑はしていない。

 ただ、綺麗な顔でスタイルもいい男が、思わず誤解するような距離の近さで接してくるのだ。

(そりゃ、誑し込まれるよな……)

 蓮川は自分以外の人間に興味がないために、フランクでフラットな接し方をしてくる。

 ある意味、逆に親しみすら感じる。

 だが、これはその時だけのことで、次の瞬間にはもうすっかり忘れてしまって、もう蓮川の中には何も残らない。

(誤解しないようにしないとな……)

 螢も今は蓮川の保証人となり、色々と世話を焼くから認識されているが、それ以上でもそれ以下でもないのだ。

 それは言葉の端々に出てくる、他の女が螢をどう思っていたかを話すことなどにも表れている。

 蓮川と螢は基本的に別の軸を生きる者同士で、今はただほんの一瞬だけレールのように寄り添っているだけで、それが交わることはないのだろう。

(交わることを望む人は多いけど)

 蓮川を刺した女も、メイも、たくさんの今までの相手達も。

 最初から蓮川を害するつもりではなく、彼女たちの目的はあくまで蓮川を手に入れる事のはず。

「少し鈍い位の方がモテるのかもしれませんね」

「ん? 俺、キミが思う程、モテないよ」

 蓮川は苦笑するが、モテない男が女に付きまとわれて刺されたりしないだろう。

「まぁ……あんまりやんちゃしないでくださいね。病院から追い出されても知りませんよ」

「はははっ、そうだな。ここなら刺されてもすぐに手当てしてもらえそうだけど」

 まったくもって笑えない。

 蓮川は自分に対しても興味が無さ過ぎるのではないだろうか。

「螢くんの方がモテるだろう? clownで女の子と話しているのを何度か見たよ」

「その女の子は1週間後には蓮川さんの隣に座ってますけどね」

「あれっ? そうだっけ?」

「蓮川さん、自分のモテっぷり自覚した方がいいですよ」

 少し揶揄うように言ったつもりだったが、蓮川の顔を見ると思いのほか真面目な顔をしていた。

「あれは、俺がモテてるんじゃなくて、都合のいい男を手に入れるために争ってるんだよ」

 それを聞いて不意にいつか恵が言っていた言葉がよみがえる。

『こいつの周りにいるあの女たちはきれいな蝶々じゃなくて、肉食のハイエナだ』

 最初に喰っていたのは間違いなく蓮川の側だったろう。利用していたのも。

 だが、いつしか、女たちは蓮川を喰らうようになり、求めるようになり、自分に靡くように強制を始める。

 自分のルールに縛られている蓮川は、女たちの圧欲によってさらに歪んで行く。

「あなたは――そこから脱出する気、あるんですか?」

 蓮川のはまり込んでいる沼は深くてしつこい。

「……俺は沼の中が一番安全なんだよ」

 蓮川の言葉が重い。

 本気でそう思っているのだろう。

 だから誰の手も取らない。

 これも蓮川のルール、蓮川の縛り。



 その後も、看護師とトイレの個室から出てくるのを目撃したりと、碌でも無さを振りまき続けた蓮川だったが、退院の日はあっさりとやってきた。

 手を出した看護師たちが玄関にアーチでも作ってるんじゃないかと螢は思ったが、そんなことはなく、むしろ看護師たちの姿を見かけなかった。

(さすがに割り切ったお付き合いだったのか?)

 そんな風に思っていたら、退院後の治療計画の説明の後に看護師長に苦言を呈された。

「プライバシーをとやかく申し上げたくありませんが、早く退院できることになって良かったです」

 蓮川はへらっと笑って流したが、螢は頭を抱えそうになった。

 きっとナースセンターの中は碌なことになっていないのだろう。

「大変お世話になりました」

 そう言って頭を下げる螢の様子を、看護師長は冷ややかに見つめてセンターへと戻っていったのだった。


「次は搬送依頼を拒否られるかもしれませんよ」

「はははっ、そうなったら俺は道端で野垂れ死ぬしかないな」

 それはそれで仕方ないと本気で思っているような顔だ。

「そうですよ、刺されるのだって今回は運が良かった。でも、刺さりどころが悪かったら死んでた」

 帰りは少し荷物が多かったので、螢がレンタカーを借りた。

 その助手席で、蓮川はまるで何もなかったかのような顔で座っている。

 家についても何もないから、どこかで飯でも食っていこうなんて言っている。

 死にかけたことなど、もう過去の事なのだ。

 それどころか、蓮川はこの入院中、蓮川を刺した女の話をあれから一言もしなかった。

 警察が来た時は少し何か話していたようだが、それ以外はまったく気にしていない様子だった。

 それだけじゃない。今こうしている間もどこかから探っているかもしれないメイの事も気にした様子はない。

「もう少し、自分の事大事にしてくださいよ……」

 螢はまっすぐ前を向いたままそう言うのがやっとだった。

 情けないことに少し涙声になってしまっている。

 こんな風に自分を疎かにして、社会と折り合いをつけるため自傷行為みたいなセックスに依存して、いつかどこかの繁華街の道端でネズミのように野垂れ死ぬのを何とも思わない。

 そんな生き方で何も思わない感じない蓮川が許せなくなる。

 少なくとも螢は心配して大急ぎで駆け付けたし、死んでいたら悲しい。

 そんな気持ちも蔑ろにされてしまうようだ。

「すまないな……」

 少し小さな声で蓮川がそう言ったが、螢は「蓮川さんの『すまない』はお詫びになってませんよ」と言って、それ以上は何も言わずに黙ってしまった。



「俺が荷物持って行くんで、先に部屋に行っていてください」

 螢はそう言うと、助手席側のドアを開けた。

「バッグ一つだろ? 自分で持つよ」

「病み上がりだってこと忘れてます? この位、俺にやらせてください」

「螢くんは――」

「え?」

 何かを言いかけた蓮川が、何でもないと首を振ってから車を降りようとした。

 その瞬間。

 螢の目にバックミラーに黒い服の女が駆け寄ってくるのが見えた。

「蓮川さんっ!」

 螢はとっさに名前を呼び、蓮川を車の中に引きずり込むと無理やりドアを閉めた。

 それと同時にドカッと重いものが当たるような音がしたが、螢は急いで運転席に座り直しエンジンをかけた。

「け、螢くんっ!? どうしたっ!?」

「黙って! 舌噛みますよ!」

 一気にアクセルを踏み込んで、ギャギャギャギャギャと悲鳴のような音をあげて車は急発進した。

「メイさんです! ナイフ、持ってた」

「え……」

 流石に蓮川も顔色を悪くする。

「まさか……いや、ありうるか……」

 それきり二人は言葉を失い、大通りに車を戻し、あてもなく走らせる。

 蓮川の家に戻るのは危険だ。螢の家もメイにはバレている。

「とりあえず、どこか探さないとヤバいですね」

 螢は蓮川にどこかビジネスホテルを探すように指示して、それからは背後に尾行がないか気にしながら車を走らせた。


―― 続

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