第7話 罪な男。

「すみません! お呼び立てしてしまって」

 店に入ってきた人物を見て、螢はそう言って頭を下げた。

 螢はこの前連れてきてもらった店に、高邑を呼び出したのだ。

 高邑は仕事帰りらしくビジネスモデルのスーツをきちっと着こんで、髪も後ろに撫でつけて、いつもより硬い雰囲気が強い。

 思わず気後れそうになるが、ぐっとこらえて螢は向かいの席を高邑に勧めた。

「何かあればと連絡先を教えたのは私です。気にしないでください」

 高邑はそう言うとこの間と同じマンデリンを注文した。

「それで、何かありましたか?」

 螢がどうやって話を切り出そうかと悩んでいると、高邑から話を聞いてきた。

「実は面倒ごとに巻き込まれそうで」

 螢はそう言うと先日の合成写真を差し出した。

「……合成ですね」

「っ! わかりますか!?」

 高邑は一目見ただけでそれを合成だと断じた。

「わかります。画像的な処理に関してはわかりませんが、腕を縛られ海老反りにつられた場合、顔の可動域はここまでありません、この写真のように顔がわかるようにカメラの方を向くことは不可能です」

 人間の構造上無理ですと言う高邑の言葉に、螢は感嘆のため息を吐いた。

「そういうものなんですね……俺はそこまで思い至らなくて、画像ソフトで解析して合成だと解りました」

「この写真はどうしたのですか?」

「自宅のポストに投函されていました。直接投函らしくあて先は俺の名前だけで、これ以外何も入っていませんでした」

「……拝見します」

 高邑は写真を手に取るとまじまじと眺めながら言う。

「送り主に心当たりは?」

「あります」

「どなたですか?」

「多分、メイさん……かと」

 その名前に高邑が写真から顔を上げて螢を見た。

「Etwasのメイ嬢?」

「はい」

 証拠はないが、状況的にそうではないかと思う理由を説明する。

「噂は伺っていましたが……」

 店を飛んだと言う話は恵や高邑の耳にも入っているらしい。

 店をやめて、蓮川をストーキングし、その過程で関わりのある螢を排除しようと圧をかけてきたのではないかという事も話した。

「そうですね、晴山さんの予想はおそらく当たっているかと」

「でも、目当ては蓮川さんですよね?」

「それは間違いなく」

 高邑はテーブルに置かれたコーヒーを一口飲んで、軽く息を吐く。

「それで、すみませんが、蓮川さんの連絡先を教えていただきたくて」

 螢は思い切って用件を切り出した。

「――恵さんではなく、私に?」

「はい。恵さんには聞けません」

「……ふむ」

 高邑はしばし思案する。

 無茶をお願いしている自覚はある。

 連絡先を聞けば遠からず巻き込んでしまうことになるだろう。

 恵に聞くのが一番早いのもわかっている。

 だが、彼女は蓮川と極力関わりたがらない。今回のことに螢が首を突っ込んでいることを知れば止めるだろう。

「私が螢さんの支配下にあると理解していますか?」

 遠回しな確認。

 高邑から聞き出しても、高邑は必ず恵に報告する。

「それでも、高邑さんなら良きタイミングを見てくださると思うのでお願いします」

 高邑なら恵を極力煩わせないように計らえる。

 少しでも迷惑はかけたくなかった。

「……良い判断です。恵さんはメイさんと面識があり、酷く嫌っていますので――直接聞いていたらひと騒ぎになっていたでしょう」

「え?」

 同じS女同士ではあるが、恵は風俗店に所属したことはない。一方メイは明らかに職業女王様で、関わり合いがあるとは思えなかった。

「メイさんは蓮川さんの傍にいるという事が気に入らなかったのでしょう」

「あー……」

 メイは恵に喧嘩を売ったのだろう。

「女の子ってどうして自分の好きな人じゃなくてその相手に矛先が向くんだろう……」

「相手が好きだからじゃないですか?」

 高邑はしれっと言った。

「好きであると言う事は完全な免罪符です。何も見ず、何も聞かず、ただ好きであることを考えて、それを邪魔する者を許さない」

 確かに、メイは何も見えていない。

 恵の人となりを知っていれば、絶対に蓮川のような男をパートナーにすることはない。そして、売られた喧嘩は10倍返しの苛烈な性格。

「売れっ子だと言う自負もあったのでしょう。S女同士であると言う事も拍車をかけたのかもしれません」

 一方的にヘイトを募らせ、喧嘩を吹っ掛けた結果。

「目に浮かぶようなんですけど……」

「はい。徹底的にされました」

 多分、喧嘩にすらならなかった。

 メイは店のオーナー直々に恵への接触を禁じられ、なおかつ、一時的に他地域の格下店に移動させられた。

 更にこの界隈でSM風俗店ではないSMBARやハプニングバーへの出禁も徹底されたそうだ。

「後日、正式に本人からお詫びがあったので、見逃すことにしたのだと言っていました」

 メイは本店に戻されたそうだが、そんなことがあったら待遇はあまりよくはなかっただろう。

 店を飛んだのはそんな不満もあったのかもしれない。

 メイは色々な不平不満をため込み続け、いよいよ爆発させてしまったようだ。

 店に金のトラブルを残し、不義理をして飛んだのは、何も考えられず衝動的に走った結果なのか。

「彼女の精神状態はあまり良いとは言えないと思います」

「……ですよね」

 ストーカーになるほどの激情。

 それがネガティブな方向へ向いている。

「本来ならば、個人情報を本人の同意なく教えることはしたくないのですが、緊急事態と言う事で」

 そう言って、高邑はスーツの内ポケットからカードケースを取り出すと、一枚の名刺を螢に差し出した。



「嘘だろっ」

 螢はタクシーを飛び降りると、病院の入り口に急いだ。

 すでに診察時間は終わっていて、夜間受付のカウンターで名乗る。

「すみませんっ、こちらに運ばれた蓮川はすかわ よるの関係者ですっ」

 警備員らしき制服の男性が、入館証と一緒にナースセンターの位置がわかるマップを渡してきた。

「ありがとうございます」

 螢は急ぎ足で廊下を進み、指示されたナースセンターに急ぐ。

 病院の中は煌々と明るく、白衣姿のスタッフが行き来しているが、患者の姿は見かけない。

『蓮川さんが、ケガをされて――大学病院へ運ばれました』

 高邑にもらった名刺の電話番号に電話をかけると、蓮川ではない人間が電話に出た。

 相手は警察だと名乗り、蓮川が怪我をしたと言う事を伝えられたのだ。

 すぐに行きますと返事をして、搬送先を聞いた。

 螢が居た場所からは少し離れていたが、すぐにタクシーに飛び乗り駆け付けたのだ。

「すみません、蓮川の関係者なんですが……」

 カウンターにいた看護師に声をかけると、その看護師が答えるより先にカウンターの傍に立っていた男が声をかけてきた。

「晴山さんですか?」

「はい。そうです」

「私は――警察署の野川のかわと申します」

 男――野川はそう言って身分証を提示してきた。

「晴山 螢です。蓮川さんの友人です」

 螢はそう答えた。嘘ではないが、本人に確認されたらと思うとちょっと苦しい所だ。

 だが、どうやら本人に確認が取れる状態ではないらしい。

「処置は済んで、今は病室で眠っています。後ほど、主治医から説明があると思いますが」

「はい。それまでに家族と連絡を取ってみます」

 恵は蓮川との付き合いは長い、多分その辺は彼女に聞けばわかるはず。

「あの、警察の方がいらっしゃると言う事は事件ですか?」

 事故の可能性もあったが、真っ先に思ったのは事件だった。

(まさか、メイさんが思いつめて……)

 ありえない話ではない。

「そう、ですね、事件になります。容疑者はすでに確保されておりますので、そちらは捜査がすすめばお話があるかもしれません」

「お手数おかけいたします。家族と連絡が付いたら警察へもご連絡した方が宜しいですか?」

「そうしていただけると助かります。連絡先はこちらを」

 野川は名刺を差し出した。

「わかりました。僕は晴山です」

 螢は名刺を受け取り、もう一度名乗ると自分の名刺を手渡す。

「モーションアクター? 珍しい仕事ですね。スタントマンですか?」

 螢の本業はモーションアクター。モーションキャプチャー専門のアクション俳優だ。

「よく言われますが、今はゲームやアニメなどのCGのモーションをやることが多いです」

 例えば――とか、と螢が最近やった子供向けアニメのキャラクター名を言うと、野分もそれを知っていたようで感心したように頷いていた。

「うちの娘がよく見ている番組です」

「そうですか、ありがとうございます」

 軽くそんな雑談を交わして、野川とは蓮川の病室の前で別れた。


「蓮川さん……」

 蓮川の病室は個室だった。

 病室に入ると、正面にあるベッドには蓮川が眠っている。

 点滴と足元に血栓防止のエアマッサージャーが付けられていて、そのシューシューと言う音だけが病室に響いていた。

 ベッドに近づいても蓮川は眠ったままで、その顔色は青白い。

 思わず不安になってその頬に触れると、頬は温かく、また呼吸も感じられた。

「……良かった」

 無事とは言い難いが、死ぬような怪我ではないのかもしれない。

 術衣のままで眠っている蓮川の腹の辺りが少し盛り上がって見えた。

 野川は事件だと言っていた。容疑者は確保されているとも。

(刺された……のかな?)

 蓮川は過去にも女性トラブルで腹を刺されている。

(犯人はメイさんだろうか……)

 もしかしたらとは思っていたが、こんなに早くことが動いてしまうなんて。

(もう少し早く動いてたら、蓮川さんは刺されずに済んだ?)

 メイが危険な状態なのはわかっていた。

 それは蓮川だってわかっていただろう。

 螢が動こうが動くまいが、こうなってしまったのかもしれない。

 でも、それでも、やはり何とかなったのではないかと考えてしまう。

は考えても仕方ないことだ……)

 それより必要なのはこれからの事。

(とりあえず、メイの件は解決した……でいいのかな?)

 最悪な解決方法だと思うが、警察に捕まっている以上、これ以上は何もできないだろう。

 そんなことを考えながら蓮川の顔を見ていたら、微かに蓮川の瞼が震えた。


「ん……」

「蓮川さん」

 螢は静かに蓮川を呼んだ。

 蓮川は眉をしかめて、ぎゅっと強く目を閉じてから、ゆっくりとその瞼を開いた。

「……君は?」

 螢の顔を見て起き上がろうとした蓮川を螢は手で制してから、顔が近づくようにベッドサイドの椅子に座って蓮川を覗き込んだ。

「晴山です。警察から連絡を貰って来ました」

 後で詳しく説明しますねと言って、螢は近くにあったナースコールを押した。

 スピーカーから「どうしました?」という女性の声が聞こえて、それに対して意識が戻ったのでと告げる。

「すぐに看護師さんが来ると思うので、その後で話します」

「……わかった」

 蓮川は何か聞きたそうだったが、螢はそれを先送りにした。

 すぐに廊下を足音が近づいてきて、病室のドアが開かれる。白衣の医師とその後ろに看護師が続いて入ってきた。

「こんばんは、蓮川さん、ここが何処かわかりますか?」

「病院、ですよね? 俺は、刺されて」

 蓮川はそう言いながら、医師の方を向こうとしてちょっと顔をしかめる。

 動くと傷が痛むようだ。

 それを見て医師は看護師に痛み止めの追加を指示した。

「傷の処置は終わっています。内臓に傷もなく、筋肉にも深い傷はありませんでした。運が良かったですね」

「ありがとうございます……」

 蓮川はふーっと息を吐いて、医師の方へ向けていた顔を仰向けに戻した。

「後ほど警察の方から話があると思いますが、貴方はナイフでわき腹を刺された。傷は深くありませんが、ナイフが新品ではなかったので感染症の可能性もある。しばらくは入院になります」

 傷自体はすぐに痛みも治まるが、感染症に対する全身管理は入院になるのだと言う。

「わかりました」

 蓮川は驚いた様子もなく淡々と話を聞いている。

「それで、入院の手続きなどをご家族にお願いしたいのですが……」

「すみません、家族はいません。出来ることは俺が自分でします」

「そうですか。あと、入院の保証人を……」

「あ、それは俺が」

 螢はそう言って名乗り出た。

「そうですか、では後ほどナースセンターへお越しください、書類をお渡ししますのでお願いします」

「はい」

 蓮川はじっと螢の顔を見ていたが、特に何も言わなかった。

 その後は医師が傷の状態などを説明して、今後の治療方針を伝えて退室していった。



「大丈夫ですか?」

 医師が退室した後、螢はかける言葉に迷った結果、大丈夫じゃなさそうだなと内心思いながらそう声をかけた。

 蓮川はそれを聞いてくすっと笑う。螢の心の内が顔に出てしまったのかもしれない。

「保証人の件、ありがとう」

「いいえ、俺が蓮川さんに電話したら、電話に警察が出て、ケガで搬送されたって聞いて慌てて来ました」

「そうか。正直に助かったよ。恵に連絡することになったら、怒られただろうし」

「あっ」

「ん? どうした?」

「いや、恵さんには伝わると思います……俺、恵さんから蓮川さんの連絡先を聞いたので」

 正確には高邑からだが、蓮川にはこう言った方が分かりやすいだろう。あの二人はニコイチでつながっているのだし。

「もしかして、俺に用があった?」

「はい。連絡しようと思ってたんですけど、とりあえずメイさん捕まったみたいだし……」

「え? メイがどうしたんだ?」

「え? 蓮川さんを刺したのってメイさんじゃ……」

「いや、彼女じゃない。昔、ちょっと知ってた女だ」

「え……」

 螢は絶句した。

 犯人はメイじゃない。メイはまだどこかにいる。

「そんな……」

 では、螢に写真を送ってきたのもメイではなくその女なのだろうか?

「大丈夫か? 君の方が顔色が悪いんじゃないか?」

 蓮川が螢の顔を見て心配そうに言った。

その声を聴いている間にも、螢の手足がサーッと冷たくなっていくような気がする。

「実は……」

 螢は思い切って、今までの事を説明し始めたのだった。


―― 続

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