第4話 絞められた男。

 蓮川はテキパキとまるで人形を縛り上げるように容赦なく螢の体を縛り上げた。

 ステージ上部には吊りのできる滑車もあるため、縛りはフルコースで行われる。

 そして指輪の口枷をされているせいで大きく息ができないのも中々に辛い。

(これ、すごい辛いな……)

 小さな指輪を咥えさせられているだけだ。

 それを吐き出すことはたやすい。

 だけど、それによって制御される苦しさは快感を倍増する。

 口の周りに力を入れられないのは、痛みをこらえるのに力を入れて逃すことができない。口を大きく開けないのは、窮屈な姿勢でも深呼吸ができない。

 それに合わせて体の緊縛で酸欠寸前のぼうっとした状態になりながら、時折引き戻すような鋭い痛みで意識を取り戻す。

(緩急が上手い……)

 そんなにたくさんの人間と緊縛プレイを経験しているわけではないが、少しは緊縛師と呼ばれるプロに縛られたことがあった。それと比べても蓮川は確かに上手かった。

 飴と鞭と単純に言われるが、その加減は果てしなく難しい。個人を知って、加減を知って、初めて調整できる話だ。

 痛みへの耐性も個人差が大きいため、万人に共通するような共通の正解はない。

 なのに、蓮川は螢に対する完璧な調整を行っている。

 今まで蓮川が緊縛をするところを見たことはないが、確かにノンケでもその気にさせると言われても信じられそうだ。

 蓮川は一度だけ螢の股間を握り締めたが、それ以外は一切性器や乳首などに触れていない。

 性感帯はそこだけではないけれど、肌を滑る縄の感触、縛られる体の圧迫、時折打たれる痛みだけで体の奥が疼きだしてくる。

(すごい……)

 思考力が落ちてくる。

 今はもう蓮川と螢に集中しているであろう客の事も気にならない。

 黒いベールで顔を隠したまま、綺麗な所作で縄を捌いて行く蓮川の事しか考えられない。

 しゅっしゅっと言う縄の音が心地よい。

(ヤバ……)

 気づけば天地が逆さまになっている。

 目線を移すと片足が高くまで吊り上げられている。

 虚ろな中でも前歯で噛んでいる指輪の存在だけが大きく感じる。

「終わりだよ」

 耳元でそう囁かれて、ハッと意識が戻った。

 縄は解かれ、螢は蓮川の腕に支えられて立っていた。

「枷を解いてやろう」

 ずっと噛んでいた金色の指輪をつまんで抜き取ると、蓮川はその指輪を元にはめていた指に戻した。

 そして客席に向かって軽くお辞儀をすると、ぼんやりとしたままの螢の手を引いて舞台裏へとはける。

 スポットライトから外れた途端に辺りが真っ暗に感じて螢は思わず躓いてしまった。

「危ない」

 さっと蓮川が手を伸ばし、螢の胴を抱くように支える。

「あ、すみません」

 謝りながら蓮川の方を見ると、思ったより近いところに顔があった。

(あ……キスされる)

 そう思った瞬間に力強く通路の壁に押し付けられ、噛みつくように唇を合わせてきた。

 そして蓮川の手が螢の喉にかかる。

「んっ、ぐ……」

 その手は最初は躊躇いがちに喉を圧すようにしてきたが、唇が深く合わされ、螢の舌が蓮川の舌を受け入れた途端に強く締めてきた。

 呼吸がふさがれ、さらに唇もふさがれる。

「っく……」

 こめかみがガンガンと脈打つように痛い。

 飲み込めない唾液が唇の端から滴る。

 ぐちゅぐちゅとかき回される音が頭の中に響く。

(息が……)

 ふわっと気持ち良くなる。

 落ちる――と思った瞬間、再び意識を引き戻された。

 首から手が離れ、どっと胸の中に新鮮な空気が流れ込んでくる。

「ぐ、ごほっ、げほっ」

 喉をこじ開けるようにして流れ込んでくる空気で胸が痛い。

 何かが喉に詰まるように感じたので慌てて吐き出そうとしてせき込んだ。

「げほっ、けほっ……は、はっ」

 しんどくてしゃがみ込みそうになる螢の体を蓮川が抱きしめるようにして支えている。

「……すみません」

 蓮川は呟くように謝ると、ゆっくりと螢をその場に座らせ、踵を返して奥の方へと行ってしまった。

「は、はっ、は……は、はぁ……」

 螢は蓮川の消えた方を見つめながら、何とか呼吸を整えた。

 蓮川が消えた方へ行ってみようかとも思ったが、そもそもスタッフでもない蓮川はこの奥がどんな風になっているのかもわからない。

 ステージとはカーテンのような布で仕切られていたが、今は微かにBGMが聞こえていて別の緊縛師がショーをしているようだった。

「はぁ……」

 まだこめかみが脈打っている。

(本気で絞められたな)

 蓮川は戯れとは思えない力で首を絞めてきた。

 螢もそれに抵抗はしなかった。

 呼吸が何とか整ったので、思い身体を引きずるようにして立ち上がると股間に違和感を感じた。

「あ、ヤベ……」

 螢はいつの間にか射精していた。



 蓮川のショーの翌日。仕事終わりに会えないかとけいに連絡を取った。

 恵は快く応じてくれて、螢は恵の指定した店へ向かった。

 指定されたのはSMBARで一見さんお断りの会員制の店だ。もちろん螢は何度も行ったことがある。

 この店は所謂同好の士しか来ないので、それに関することが話しやすい。

 まだ少し早い時間だったせいか、店の中には恵ともう一組しか客の姿はなかった。

 こっち、という様に恵が軽く手を振った。

 恵の座る席に近づくと、恵の隣に背の高い男が跪いているのに気がついた。

「こんばんは」

 螢が挨拶すると、男は黙って肯いた。

 男は恵の恋人兼パートナーで、名前は高邑たかむらと呼ばれている。この店に来るときは伴っていることが多かったので、いつものことだと思って螢はそのまま恵の向かいの席に座った。

 すると、高邑が「何になさいますか?」と言ってきた。

 螢が「ビール」と答えると立ち上がってカウンターへ向かった。

 高邑はもちろん店員ではない。この店はキャッシュオンデリバリーで、自分でカウンターにオーダーをするスタイルだが、恵への奉仕の一環として螢の分も給仕をしているのだ。

 Mと言っても色々といる。パートナーのSによってもスタイルは変わる。

 パートナーとの関係が深まれば、性行為に付随するプレイだけではなく生活に及ぶ。

(いいなぁ、高邑さん)

 こういう奉仕がうらやましいのではなく、この二人が必要とし必要とされている均等な関係を築いてるのがうらやましい。

「それ、どうしたの?」

 少し襟の高いシャツを着て隠していたが、恵は螢の首に色濃く残る痕を見て言った。

 もちろん、それは昨日、蓮川につけられたものだ。

「あー、これは、昨日……」

「……蓮川?」

 螢は黙って肯いた。

 あれを何と言って説明したらいいのか分からなかったのだ。

 ショーに出たのは、客の中から相手を選ぶのに顔見知りの螢を見つけて選んだのはわかっている。

 しかし、そのショーの後に何故蓮川があんなことをしたのかが良くわからない。

 蓮川はSなので螢を縛っているうちに興奮してきて勢いであんなことになったのかもしれない。

「昨日のショーの後に何となく」

 そうとしか言いようがなかった。

「お前ねぇ……」

 恵が呆れたように言った。

「体に異常は?」

「ない。頭痛も吐き気もない。多分、ちゃんと加減してた」

 正しくは最後の最後で思い止まっただが。

「あいつ、少しタガが外れてんじゃないのか?」

「どうだろ……あの人よくわかんないよね」

 螢の率直な感想だ。

 何を考えているのかよくわからない。

 行動も衝動的なのに、最後の最後でストッパーだけは働く。

(あの首絞めはあのままなら死ぬやつだった)

 キスの音に紛れて、絞められた首の筋肉がギチュッとつぶれる音がした。

(あの音が聞こえた時はマジで死ぬの覚悟した)

 それでも最高に気持ち良かったのでいいかと思ってしまうあたり螢はMなのだ。

「それしばらく消えないぞ」

 恵に言われるまでもない。

 螢も自分で鏡で見たが、完全に「負傷」だった。赤く残る指の後は内出血だ。今は赤いが、この後は紫色になり、黄色になり、時間をかけて消える。

「消えないよねぇ……表出る仕事じゃなくてよかった」

「そう言う問題じゃないだろ。そこまでやるのはやり過ぎだ」

 恵は憤慨しているが、螢はそこまで腹は立てていない。

 正直なところ、話に聞いていた通り蓮川は非常に上手かったのだ。

 緊縛の手際もよく、ハードで、容赦のない責めをがんがんと繰り出してくる。

 ボトムスの上から鞭打たれた尻にも痣が残っており、座るときにそこが痛むたびに色々と思いだしてしまう程だ。

「でも、確かに蓮川さん、上手だったよ」

「……フルコースだったみたいだな」

 恵は昨日のことはすでに話は誰かから聞いていたみたいだ。

 首を絞められたのははけた後だったから知らなかったのだろう。

「お客もすごかった。俺、気がついてなかったけど、あの女の子たちみんな蓮川さん目当てだったんだろうな」

「たぶんな。顔隠してても嗅ぎつけてくる」

「あ、やっぱりアレ、顔隠してんだ?」

「あのベールはスポットが当たってる間は顔は全く見えなくなるが、かぶってる本人からはちゃんと見えるようになってるんだ」

「それで、俺を見つけたのか」

 あんな布被ってるのに遠目によくわかったなと思った。

 女性客が取り囲むその外側に居たのに。

「なんか女の子たちの中から選ぶの嫌だったのかな? ヘテロなら女の子縛る方が楽しいと思うけど」

「あいつはバイだよ。というか、性別は関係ない。むしろ緊縛は男縛る方が好きなんじゃないか?」

 女の子より頑丈で壊れないから。と言葉が続く。

 蓮川という男がSであることは間違いない。

 しかもかなりギリギリのところにいるSだ。

「毎日、セックスしてたらチンコが枯れ果てて首絞めないでいられると思ったんだと」

「え?」

「あいつが女喰いまくってる理由」

 蓮川は性欲の認知に歪みがあるサディスト障害だ。性欲がなければ人を壊したい欲もなくなる。そう考えて手あたり次第始めたのだろ言う。

「医療少年院を退院してから必死に自分を律してきたんだろうな。女たちを食い散らかして、幾度トラブルを起こしてもやめなかった」

 過去に女に刺されたと言う話も聞いたことがある。

 蓮川自体は女に弱みを見せないためにパイプカットまでしているのだと言う。

「子供ができて一人の女に縛り付けられたら、他の女ともできないし、女房の体調によってもできない。奴にとって性欲が発散できないことは破滅を意味している。そのために常にやれる女が必要だった」

 そして、蓮川は色んなものを失ってしまった。

 蓮川の行為には愛も恋もない。感情がない。性欲というストレスを解消する薬のようなもので、その薬は誰でもいいのだ。

 感情が伴わない行為に溺れ切って行くうちにルーチンワークになった。

 ルーチンワークとなったあたりから女たちに利用され始めた。

 蓮川の相手になるのに条件はない。どんな人間でも性行為ができるならOKなのだ。

 男という存在を必要とする女たちが、蓮川を手に入れようと群がり始めた。

 蓮川は素行は最悪だが、顔もスタイルもよく、恵の話では稼ぎもいいらしい。

 そんな男との結婚は、生活を変えたい女たちには最高の餌だった。

 気がつけば縛られたくない蓮川は2度目はしないというルールをつくり、女たちはそれを破ろうと躍起になる。

 多分、正確には2~3度くらいはあったのかもしれないが、そのルールが保ててしまえるくらい繁華街には人が群がってもいる。

「……頭おかしくなりそうだ」

 恵から聞かされた蓮川の話は、理屈としては理解できるが、共感できる話ではなかった。

「話してる私だって頭がおかしくなりそうだよ」

 恵がそう言って苦笑すると、いつの間にか高邑が新しいグラスに飲み物を用意していて、絶妙なタイミングで渡した。

 それに対して恵は高邑をちらりとも見ず、それが当たり前のこととして過ごす。

 これは恵と高邑が互いに信頼し合っているからこそ成り立つ関係だ。

 恵は高邑がグラスを出してくることを信じているし、高邑もぞの信頼を裏切るまいと気持ちを込める。

 そう言った思い合う関係が成り立たせている行為だった。

 恵と蓮川は対極にいる。

 信頼したパートナーを持つ恵と、人を道具としか思わない蓮川。

 螢が望むのは恵のような関係だが、昨夜以来、蓮川の事が気になって仕方ないのも事実だった。

(完全にプレイで勘違いしてるんだよなぁ……)

 蓮川の緊縛は非常に情熱的だった。

 それを螢が勘違いしてしまっているのだ。

「蓮川にハマるとか、止めてよね」

「えっ!?」

 恵に頭の中を読まれたのかと思ってしまった。

「そ、そんな……」

「そんな顔してたらバレバレ」

 螢は思わず自分の顔を両手で覆った。

 わかりやすいとは言われるものの、そこまでだと恥ずかしくなる。

「――のか……」

 恵がごく小さな声で何かを呟いた。

「え? 何?」

 螢は慌てて顔をあげたが、恵は「なんでもない」と言って、グラスの中身を飲み干したのだった。


―― 続

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