第29話 破れる平時 ☆
都内、閑静な住宅街は近年その価値を急上昇させている。無理な経済成長の加速の代償として、高騰の一途を辿る土地代の煽りを受け、中流階級の庶民は首都圏外へ、生活拠点を移行していた。
秀の父親が長年住んでいる社宅であるから、八代家は都内に住めている。その利点は数あるが、一定基準の治安保証も挙げられるだろう。
「お、わ、お」
珍しさを感じないGDMの暴動も、この住宅街では滅多になかった。常に対岸の火事として傍観を決め込めるほど、治安は安定していたのである。
だからこそ、秀を含めて油断があった。土木工事用GDM『パワー・クラフター』三機の暴動は、周辺地域に信じがたいほどの混乱を呼び込んだ。
「あわ、わ……」
揺れる階段に脚を取られた秀は、踊り場に頭から転がり落ちる。近くの手すりにしがみつく母親が手を貸さなかったら、彼はそのままうつ伏せで動けなかっただろう。
「秀!早く逃げるわよ!」
「う、うぅん」
「近所の第二公園!分かるわね、あそこよ!」
緊急時の避難場所として有名である、地域の広大な憩いの場を教えられた。頭からその事すら抜け落ちていると、母親は目敏く理解していたのだ。
案の定忘れていた息子はというと、迫り来る恐怖に腰を抜かし、生まれたての子羊と化していた。
「いってぇ……」
まともに立てない彼は、転がり落ちて一階へと到達する。全身に青あざを拵えて震える地面に手をついた時、現状の原因が理解できた。
【ジェネラル・ショック】と光景は似ている。違いがあるとすれば、防衛側である警視庁次世代機械対策本部・機動一課が、劣勢に立たされている点だった。
「TOYODAの解体用GDMだ、こっちまで持ってかれるぞ。避難誘導を早くしろ!」
「は、はい!」
「ボヤボヤするな、うちの15では最早止められん!」
地元の警官達に指示を飛ばしているのは、一課のGDM搭乗員だ。秀がそれに気が付けた訳は、彼の砕けたヘルメットを以前見かけたからである。
【ジェネラル・ショック】の時よりも防衛側が不利だと察した秀は、強烈な恐怖でもって手脚を動かした。関節が軟体動物の如く意から離れても、どうにかして前へと進む。
街灯付属の拡声器から流れる避難指示と同じ音声が、イヤホン型情報端末からPDRを通じて流れる。彼は誘導に従い、何とか第二公園までの道を辿っていった。
「おお、八代君!」
「あ、はぁどうも」
「大丈夫か」
途中、秀は近所の知り合いと出会う。両親と顔見知りであるその中年男性は、情けない彼を笑う事なく膝から引き上げてくれた。
「親御さんはどうした」
「逃げているんじや?」
「私は見てないが。先に逃げたのか?」
「え」
「くそ、何だってここでこんな……」
頭が真っ白になる秀を置いてぼやいた知り合いは、そのまま秀に一言残して走り去る。秀はと言えば、逃げてきた方向を振り向いた。
目線の先では、白黒の機体が深緑の四つ脚機体に組み倒されている。軋む機体から、悲鳴にも似た金属音と粉砕音が発生し、火花と白煙が立ち込めた。
「お、おい!」
崩れゆくT-G15に叫んだのではない。二機が崩壊させた住居は、秀の自宅アパートのすぐ近くであった。何よりチラリと見えた人影は、己の母親に似ているように思える。
「……」
あの事件から一ヶ月弱は経過していた。それでも、秀に何ら変化がなかったのは公安部の監視のお陰であったのだろう。
今回の事件が関係しているかは、秀は愚か公安部すら現段階では断言不可能だ。それでも危機が迫っている点については、明確な事実である。
「……う、ううぅ……」
四つ脚の機体は、2本のクレーン腕から壊したT-G15の残骸を捨てると、次なる目標を探すように、上部を旋回させた。その様は異様な外見と相まって、破壊の印象を際立たせる。
(ふ、ふざけるなよ)
あまりにも自由に見えた。楽しんで破壊しているように思える。泣き叫ぶ住民を喜んでいる。
暴虐な振る舞いが、秀の中で“怒り“を呼び起こした。
(ここは、ここはお前の場所じゃない)
心臓が鼓動を打つ。
(ふざけるな。ふざけるな)
まだ逃げ遅れた住民が、秀の前から次々と走って、肩と肩をぶつけてくる。
(いい。オ○ニーでもいい)
秀は左手を耳元に添えた。避難指示を義務的に流していたPDRが、音声の再生を停止させる。
「……PDR」
【はい】
「……あのGDM。何処にあるか分かるか?」
【確認。指定GDMの名称・PROMETEO】
「そうだ。プロメテオだ」
【認識。位置情報の送信は可能。機体起動の早期認証も同時に可能】
「やってくれ」
【確認。搭乗者はプロメテオへの搭乗を希望するか】
「ああ。一度でいい、今乗せてくれ」
【認識。位置情報の送信と機体起動の早期認証をリクエスト】
「それとな」
【はい】
「俺の名前は秀だ。八代秀」
【認識】
「搭乗者じゃなくて、秀って言ってくれないか」
【認識。秀。これより合流地点へのルートを提示】
「最短ルートだ」
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