第28話 母屋隠れ
八代家は都内某所にあるアパートに、その居を置いている。築二十五年を数える古臭い三階建ての一画は、今どんよりとした雰囲気が立ち込めていた。
内一室で閉じこもる秀は、しけったポテトチップスを唇に触れたまま、パソコンの画面を傍観している。
挫折、とはまた違う虚無感だ。彼が四六時中全身で感じる感覚は、一種の恥ずかしさが際立つ、独特の感情と言って良いだろう。
己のした行為が、愚かであった事も後押しはしている。だがそれ以上に“自慰的“と称された場面が、秀の心を苛ませていた。
(……ああ……)
千恵が指摘した言葉は、ずれてはいない。秀が行動した一連の流れは、突き詰めればただ大型ロボに乗って活躍したい、単純腕白な願いでしかないのだ。
秀自身、馬鹿馬鹿しい願望だと理解はしていたつもりであった。実態としては理解とは程遠い領域に留まって、身勝手に行動したに過ぎないが。
(……おれ、ばかだな……)
秀の行動は青年期にありがちな、肥大化した自己承認欲求を根本に置いた行動基盤があった(青年というには歳を重ねすぎている)。それは彼自身が前世より馬鹿にしてきた、はしゃぐだけの愚かな男達と、何ら違いはない。出力の仕方に差異があるのみだ。
(……なんだよ……)
これまで述べた秀の心理的葛藤を、本人はそこまでできていない。彼が現在囚われている内容は“自慰的“以外を挙げれば、己が嫌ってきた種族とほぼ同質である点だった。
まさかなのである。異なる世界で成人まで達した記憶を持つ彼は、人知らず自分の立ち位置を別にしてきた。
(……キモ)
にも関わらず、精神的には全く変わりはなかったと知らしめられた。前世を含めれば、人より倍は生きてきたと言って過言ではない。その上でこれでは、愚かさでは比較にならない。
考えたら一目瞭然ではあるが、無意識に避けていたのだろうか。己の未熟さを突きつけられた彼は、記憶にないほどの鬱々とした日々を過ごさざるを得ない。
(……何が、パイロットだよ……)
親は傍観していた。いや、見放しているのかもしれない。勝手にGDMに乗るなどと騒いだ挙句、勝手に部屋から出なくなった息子など、親からしたら手の施しようなどなかった。
無言の圧と感じる秀は、いよいよ外に出る事が怖くなる。脳裏から巻き起こる一連の出来事の記憶が、彼を床に平伏させ、髪をかき乱させた。
「う、うう……」
ハッと顔を上げれば、無垢なる白の壁がある。無機質で物言わぬ物質すら、今の彼からしたら糾弾の一手を担っていると思えてしまった。
「…っ!ぁ、……っあ!」
ポテトの袋を投げつけ、息を切らす。萎びて砕けもしない芋の薄切りは、カーペットに力無く溢れるだけだった。
その悲しき光景すら、フラッシュバックの一端を担う。
ーマスターベーションに他なりません。需要を無視した一方的な供給など、身勝手そのままー
「……い」
ーヒーローに憧れる者は邪魔ですー
「……さい」
ー優しい親御さんをお待ちになって。息子の無自覚な自慰の為に使われても、何も文句は言わないのだからー
「……るさい!うるさいうるさい!」
手当たり次第に物を投げつける。だが悲しいかな、彼はまだ恥じらいがあった。音を立てないような、無駄な配慮が頭を掠めてしまい、投げつけるとしたら枕や薄いカーディガンなどの軽い物ばかりだ。
気の抜けた音が何度かしたからか、廊下を足音が通過した。その足音が扉の前で止まれば動きを止めるのだから、つくづく秀の情けなさは筋金入りになる。
「……」
鼻をぐずると発生する、背中に悪寒が走る音を聞いたからだろう、足音はリビングに消えていった。背中から崩れる秀は、消えていく音に安心しつつも、頭をよぎる負の感情に首から上を振り回して対処するしかない。
閉め切ったカーテンの隙間から入る外光が、輝きを失っていく事も気がつかないまま、秀はコントロール外に弾き出された感情に振り回されていた。
価値のない時間を浪費する生活が、どれほど続いたのだろうか。毎日の繰り返しで自己嫌悪の坩堝に嵌っていた秀は、当初自室が微かな振動に襲われているとは、露知らなかった。
彼が異変を察するには、用途を投げ道具に変えられてしまった枕が、久方ぶりに投げ以外の理由で床を滑ったからである。
「ーー秀!秀!逃げるの!」
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