第17話 カプセルという名の楔
「はぁ、はぁ……」
秀はふらつく脚元に力を入れ、何とかその場で起き上がった。何処とも知らぬ場所を彷徨う彼は、頭上を支配する赤色の警告灯を睨みつける。
「くそっ、何だってんだ……!!」
話は、数十分前に遡る必要があった。
〜2041年 三月某日 神奈川県某所
株式会社 ジェネラル・ビジョン
特別運用拠点 『ネクスト・センチュリー・タウン』
PM13:20頃〜
秀が目を覚ました時、視界は不明瞭なガラスが塞いでいるようだった。体験が終わったと理解した彼がカプセルから出ようとするのに、数分はかかったのである。
だから本来、気がつくのはこの段階でも良かった。しかし秀は、施設内が緊急事態に陥る想定など、微塵もしていない。カプセルが開かない事についても、そうした仕様としか認識していなかった。
(何か変わったのかぁ……?)
ノアの言う“カルシア“の効果を実感できるのか、秀が気にしていた点はそこにあった。どちらの世界でもグレーゾーンに該当する彼は、自分に変化があると、心なしか期待していたのだ。
ましてや彼は、前世でもその呪いから逃れられはしなかった。診断は前世では正式に下されていないが、明らかに人よりもズレていた事は、確実に言えるのだから。
(ちょっとはマシになってくれよな)
世界的に有名な教育ベンチャー企業の、次世代型AIという言葉の響きを、故に盲目的に信用していたのだ。
しかし時間が経つにつれ、無視されてもいるのかと浮ついていた秀も、あまりの静かさに違和感を感じずにはいられなくなる。
「あ、あのー」
秀の頭部を囲う部分は、不幸にも金属の外壁がガラス面を囲っており、周囲の状況が視認出来ない。担当の社員がロックを解除すると説明されていたが、記憶にある白衣を着た大人達は、その姿を見せる事が無かった。
「すみませーん」
試しに内壁から叩いてみる。軽く叩いていた秀だったが、力を入れる割合は次第に強くなっていく。
「あ、開けてくれませんかー…」
弱々しかった声に、緊迫感が込められた。順番待ちである可能性は低い、誰も言葉にはしないが秀は実感として感じ取る。
「た、助けてぇ!!!!開けてくれぇ!ここからだしてくれぇ!!!」
必死になって内壁を殴った事が功をそうしたのか、案外早くカプセルのロックは解除された。
「ぶはぁ!」
カプセル内に空気は充満していたが、恐怖が齎す圧迫感が消え去り、秀は外界の空気を吸った途端咳き込んでしまう。
心音がやけに響く中、彼はカプセルに手をかけて周囲を見渡した。
(……おいおいなんだよこれは……)
均等に配置されたカプセルの数々はもぬけの空で、嫌になるような静寂がある。人肌も感じない空気感に、秀はここに人が居たのは随分と前なのでは、と推測した。
「やばいって、何かやばいでしょ」
耳障りに甲高い音が、彼の危機感を刺激する。まだ力が入らない状況ではあったが、構わずその場を離れる決断を下せた。
「誰か?!?!誰か?!」
研究室特有の廊下へと続くドアは、溝一つない真っさらな面を固定している。手当たり次第に叩いて回る秀は、笑われるとか揶揄われる等気にする余裕がなかった。
彼の不安を嘲笑っているのか、ドアは音一つたてやしない。警告音だけが高まる中、秀の震える手が適当に触ったパネルが反応し、ドアが音もなく開かれた。
「うおる!」
前へとつんのめった彼は、廊下に頭から転んだ。平坦な床に鼻を打ちつけ悶絶する様は、有田やその取り巻きに絶対見せたくない格好である。
しかし恥ずかしさが高まる事で、ある意味冷静になれた。頭の中で再生不可能だった、来た時の道順が手に取るように思い出せる。
「おいてけぼりは嫌だぞ……」
この状況で見捨てられる意味を、よく理解していた。一直線に帰路を遡る秀であるが、状況の異常さは秒単位で深刻化していると判断する。
(誰もいない。本当に一人もいないぞ……)
“カルシア“の体験を受けた同じ研修参加者は、少なくとも5、6人は居るのだ。一足先に特別治験室を脱していたとしても、こうも人影が無いなど、あり得る話なのだろうか。
(この音は何だよ、避難訓練じゃないよな)
ただただ鳴り響く警告音に、思わず秀は苛立ちをぶつけてしまう。
「何なんだよ一体!」
『ヒナンケイコク・ヒナンケイコク!!!』
「おわ!」
『ゼンエリアノジンインハスミヤカニタイヒセヨ!!!
「急に…何が何だよ!」
『ケイコクハツレイ!ゼンエリアタイショウ!!Cトウ4ブロックへタイヒセヨ!タイヒセヨ!』
秀の目に入った、案内版に記されている文字は以下の通りだ。
“研究エリアB棟2ブロック“
棟自体が違う。順番からして隣にある筈の目的地まで、果たして向かう事は出来るのだろうか?
こうした時の対処法について知識もない秀は、案内板の前で立ち尽くしてしまった。
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