第16話 怪しきカプセル
「ノアの展開する、次世代型学習AI。まだ正式名称はありませんが、仮に“カルシア“と呼称してはおります」
事前契約書にサインをしながら、秀は横倒しになったカプセルに寝転んだ。純白のクッションは秀の身体を的確に認識し、最適な柔軟性を再現していく。
水風呂に沈む感覚は心地がいい、既に脳内を微睡が侵食し始めていた。
「皆様の脳の機能は、普段制限されていると聞いた事は?諸説ありますが、外的要因の組み合わせを考慮すると、かなり信頼性は高いと言えます。残念ながら脳科学は現代においても未知数です」
秀の頭部の付近で、空気が抜けるような音がする。目だけを上方向に向けると、頭ほどのサイズをしたリングが、微かな音と共にカプセルの外壁に沿う形で回っていた。
「まだ若いのに物忘れをしたり、咄嗟の時に答えが出なかったり。皆一度は経験した苦労です。
はっきり言いまして、このような経験に価値はない。要らないのです」
そうなのだろうか。ふと秀は神田の話す内容に疑問を抱いた。確かに回転の悪さに辟易はしているが、かと言って無駄かと言われたら納得はしかねた。
彼女の言う通り、頭の回転が遅くて良かった経験などない。ないのだから彼女は正しい筈であるのに、秀は鈍くなる思考の中でも疑問抱き続けた。
「これより皆様には前頭前野への、簡易的な電磁波投射を行います。普段皆様が定期的にお受けなさる、脳診断の派生とお考えを」
発達障害に代表される脳機能の診断は、現代においては最先端の研究分野である。秀も月に一度は指定の医療機関で検査を受け、作業
内容の適正度を相談しなくてはならない。だから秀達は神田のこの話に違和感を感じる事もなく、奇妙なカプセルで寝転ぶ事も許容してしまったのである。
「それでは皆様、ゆっくりとお休み下さい。目覚めた後、確実に皆様の未来は変わっているであろうと、ノアを代表して断言させて頂きます」
意識が暗闇へと吸い込まれる中、秀は神田の顔を見た。彼女の無機質な笑顔に浮かぶ暗い意識を、彼はしっかりと感じ取る。だが時既に遅く、彼の記憶はそこで幕を閉じた。
「神田主任。No.13の高周波ベータ波、アルファ波が優位を示しています」
「またなの?チオペンタールの投与を命令した筈よ」
「効果時間が限定的です」
「イラつかせるわね……」
神田は研修生達に見せていた仮面を脱ぎ捨てている。別室に移動している彼女は、白衣を着た研究員達が無感情にコンソールを操作する、中央で腕組みをした。
「施術は終了したの」
「全員完了しています。No.13のみ、経過観察を得ていません」
「そう。ならNo.13にロラゼパムを五グラム……いえ、6グラム投与」
「はい」
「必要ならジアゼパムも使用しなさい。承認
はここで完了したとみなします」
「はい」
研究員がタッチパネルを操作し、画面上のレバーを引き上げる。白文字で13と刻印されたカプセルの内部に金属アームが伸び、対象椀部の静脈に注射針が挿入された。
「先方と交渉します。時間をもう少しだけ稼いでみますが、期待せずにいる事。担当の事後観察が終了した者から、直ちに退去の手続きへ移行しなさい」
小さく返事をした研究員達に背を向け、神田は一旦その場を離れる。廊下を歩きながら耳につけた端末を叩いた彼女は、巻物型のデータボックスを開いた。
『急ぎの案件のようで』
「対象の一人が問題を起こしている。予定終了時刻の延長を求めたいわ」
『なる程、想定はしていましたが。一人だけですか』
「今の所は。既に経過観察も終えた対象も出ているから、撤収の用意は始めさせている」
『用意の周到な事で。努力しますが期待はしないでほしいですね』
「どれほど稼げるかしら」
『30分持てば上出来でしょう』
「そう……」
『足りませんか?工場育ちはこれだから困る』
「聞いて驚かないで。温室育ちよ」
『ほう!なるほどそれは驚きですね。やはり工場育ちの甘えん坊とは違いますか』
「やっと埋もれていた人材を発見できた。これだけでも成果はあったわ」
『温室育ちと揶揄された私共を下回りましたからねぇ、工場育ちの連中。世代間の肉体・精神的な劣化は如何ともし難い』
音声の向こう側で、苦虫を噛み潰したような表情をしているであろう男性社員に応援の言葉を添え、神田は通信を終了させる。
彼女はデータボックスの中身を確認し、筒の先端にあるボタンを押して巻物の形状に戻す。
「さてと」
彼女は長い髪を捲し上げると、バンドで括った。そして巻物型のデータボックスを持ったまま、施設の中を音を忍ばせて移動する。
『こちらヨウ。対象のデータをダウンロードした。作戦を開始する』
神田淳子、本名カン・チョソンは本来の部門に連絡を入れた。そして巻物型のデータボックスを廊下の壁に設置すると、手早くその場を離れるのである。
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