第18話 避難と悲劇 ☆
「つ、次何処曲がればいい?!」
『チョクシン200メートル』
「そりゃまた遠いなクソォ!!」
駆けていた。秀は耳元の端末から聞こえる指示に従い、皆がいる筈の退避場所まで向かっている。
土壇場で思い出したのだが、この施設全体の案内版には、外部接続口が備わっていた。手持ちのデバイスと連携する事で、目的地の場所や案内、利用目的の相談もできる仕組みである。
神田がレクリエーションで説明していた話であるものの、秀は右耳から左耳に通していた。危機的状況下が、脳内に残っていた記憶を呼び起こした訳だ。
『ヒジョウカイダンヲゴリヨウクダサイ』
「う、上か?」
『シタホウコウニオススミクダサイ』
「くそお!」
奮い立たせる為だろうか。必死になって腕を振る秀は、ふと自らのメンタルサポートAIに質問する。
「何があったのか分からない?!」
『ショウサイフメイ』
「事故か?!」
『ショウサイフメイ』
「ダー!」
答えは直ぐに分かった。非常階段を降ろうとした時、これまで感じたことの無い衝撃と揺れが、彼の身体を襲ったのである。
〜2041年 三月某日 神奈川県某所
株式会社 ジェネラル・ビジョン
特別運用拠点 『ネクスト・センチュリー・タウン』
研究エリアB棟4ブロック
PM13:40頃〜
大勢の人だかりが出来ていた。白衣の裾をたなびかせて走る彼等は、機材を台車や両手を使い、バンヤトラックに次々と積み込んでいる。
カン・チョソンは汗水垂らして避難準備に取り掛かる連中に背を向けたまま、振動で靡く髪を押さえていた。
「作戦の進捗を報告」
「A棟の制圧は八割完了しました。B棟にはT-89が侵攻中です」
「高爆発力弾の使用経過は?」
「想定内に収まりました。生産ラインへの認可も、直ぐに降りることでしょう」
「分かりました。そろそろ私達も退散します」
彼女達がいるC棟の横、秀の居るB棟の奥にあるA棟は、その頑強で近未来を予感させたデザインを想起出来なくなっている。
カンの誘導した中東系テロリストが使用する試作GDM・T-89の群勢により、試験開発中の高爆発力弾の試験会場にされたのだ。施設に配備された警備用GDMや迎撃システムは、事前に横流しされたデータに基づき、的確な対処を施されている。
「バイオチップのデータ、回収は済んだのね?」
「無論我等の最重要目的ですから。抜かりはありません」
「警戒を厳重に。日本の自衛隊も動くでしょうし、場合によれば国連も介入する」
「望んでおられるのでは?」
「冗談はやめなさい」
冗談で言うものか。部下は己が上司の腹黒さから来た嫌味を、しっかりと噛み締めた。
彼の横で端末を操作する彼女は、今回の為に独自のルートからテロリストに接触している。本社に事後承諾を取り付けた時点で、自分の命の危機を実感した。
携帯端末のメモに記した辞職願いがチラつく中、部下の男性はT-89の配置マップを確認する。取り決めによって、破壊対象外となっている区間を装甲バンで通り抜け、湾岸部へと脱出する手筈だった。
「結局バイオチップの適合者は、彼以外は誰も居なかったのよね?」
「他サンプルの最高値が44%ですから。無しです」
「問題点は何になるかしら。現状からの推測で構わないわ」
「培養した脳組織の活動特異性でしょうか。拒否反応の重度からして、適合云々を断ずるレベルにありませんね」
「脳化学班の能力に問題が?」
「いえ。臨床実験の少なさが問題です。下地になるデータが貧弱では、研究のしようがありません」
「そこに関しては検討するわ」
「今回の実験は得るものが多いです。やりましたね」
「でも今回限りよ。次は期待しないで」
「しかしサンプルの適合率は、我々の想定を超えています。ならば今回の例を参考にすべきでは」
「長くなるから割愛するけど、それこそ一つのイレギュラーだけで、今後の方針を決める事は早計」
「あの男は我々の顧客が求めるターゲット層に合致しています」
「あの年代の男をその気にさせる労力を、我々が考慮するとでも?馬鹿馬鹿しい」
これ以上踏み込んでは、いけない領域だ。男性は教育ベンチャー企業が抱える闇の一端に触れるどころか、自らが片棒を担いでいる状況に、改めて肝を冷やす。
バンの荷台に詰め込んだデータの山々が、不可視のオーラを放ち始めたとさえ、思えてきたその時だった。
「……配置図を!」
「はい?」
「T-89の配置図よ!取り決めでは、この区域で活動する機体は、2機だけの筈!」
車窓から外の状況を見ていたカンの声に、普段の冷静さは無い。男性の手に滲んだ汗が、タブレットをカーペットへと誘った光景が、カンと男性の見た映像の最後となった。
鷲を彷彿とさせる、細長の頭部に備わるセンサーアイが望遠機能を使用している。
逆三角形に張り出した上体部を持つT-89。
その太い両腕が保持する、携行型砲塔が火を噴いた。高爆発力弾が数発撃ち込まれると、研究者を乗せたバンなど、容易く粉砕されてしまったのである。
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