第169話 年寄りの冷や水

二度寝したかったけど諦めてシャワーを浴びてテクテクと食堂に来てみれば部屋は閑散としていた、あれ?


「ばあちゃん、おはよう。あれ?皆んなは」


「鉄、おはよう。なにやら大事な研究が有るとかで皆して遅れるって連絡があったよ、まったく何をしてるんだか」


食堂に行くとばあちゃんが一人新聞を広げて読んでいた、でもばあちゃん、それってロシア語の新聞だけど読めるの?


ふ〜んと思いつつばあちゃんの横にポスンと座ると、いつのまにか傍にいたバラライカさんが紅茶を僕の前に置いてきた、良く気の利く人だ。


「ん、なんか鉄、疲れてないかい、昨日はよく寝れなかったのかい」


「えっ、ちゃ、ちゃんと寝れたよ、ほ、ほら、元気、元気!」


ドキッ、昨晩は朝方近くまでアナスタシアさんといたからなぁ、流石にばあちゃんにこんな事は話せないよな。

ばあちゃんは少し頭を傾けながら「そうかい?」と言いつつも、読んでいた新聞を見せてきた。


「ほら、鉄の事が新聞に載ってるよ、氷の女王(アナスタシア)に麗しき婚約者来訪だってよ、ふふ、このお披露目でアナスタシアも少しは余裕が出ればいいけど」


「ふ〜ん、たぶん大丈夫じゃないかな、アナスタシアさん昨日蕩けるような良い笑顔だったし」


「ん?まぁ、自分の国だからねぇ、笑う余裕も出るか?」


ばあちゃんの言葉にうん、うん、と頷きながら紅茶をすする。あっ、ジャム入り紅茶美味しいですバラライカさん。




結局、朝食を済ましても皆は食堂にこなかった。ちなみにメニューはシルニキと言う白チーズを使ったパンケーキ、僕は美味しかったけどばあちゃんは顔をしかめていた、お口に合わなかったようだ。

このまま宮殿にいてもしかたないので僕とばあちゃんは二人で出かけることにした、エーヴァさんが在籍していた空挺部隊に顔を出しに行く。僕らの周りには後ろのバラライカさん以外にも何人かKGBの護衛が隠れてついてきてるそうだ、まぁ、僕的にはばあちゃんが横にいるだけで安心なんだけどね。







古びた体育館のような大きな建物の前、中からは大勢の人が動いている気配がする、ばあちゃんがスゥと息を吸って扉に手を掛けるとばあちゃんの周りがいきなり歪んで見える、お母さんに勝るとも劣らない凄まじい覇気だ。まるでそこから異世界に繋がってしまうんじゃないかと思わせる異様な光景。かすかに見えるばあちゃんの口元が笑っているように見えた。

バラライカさんが後ろでビクリと体を震わせ息を飲んでいる、建物の中から聞こえていた喧騒もいつのまにか静まり返っていた。


「鉄、そこを動くんじゃないよ。大尉、鉄をまかせるよ」


「ハ、ハイッ!」


ばあちゃんはそう言うと、着物の帯に挿していた鉄扇を広げ顔を隠すようにして扉を開けて中に踏み込んだ。


部屋の中から殺気が溢れて出て来るのがわかる、濃厚で洗練された殺気、踏み込んだばあちゃんの左右から黒いナイフが襲いかかる、左からくるナイフに鉄扇を絡めるように迎えると次の瞬間には右から来る人に体ごと投げ飛ばしてぶつけていた。凄、今のどうやったの?合気道?


さらに一歩奥に踏み込んだばあちゃんを待ち構えたように前後左右からナイフが襲う、クルリと回転しながら全ての攻撃をいなすと肩口で切り揃えた白髪が遠心力でフワリと舞う、最後には頭上からもナイフを持った人が降って来るがパンッと広げた鉄扇を上に掲げるとナイフと鉄扇が擦れてギャリギャリと火花が散った。その舞を踊るような姿、戦闘用日舞か?


シ〜ンと静寂につつまれる体育館、どうやらばあちゃんは全ての攻撃を凌ぎ切ったようだ。


ゴクリ「空挺部隊(ビソトニキ)の連続攻撃をああも簡単に…、やはりバケモノですね」


隣でバラライカさんが小さく呟くのが聞こえた、瞬きすら許さない、一瞬の出来事、僕とて黒夢との戦闘を経験していなければ目が追いつかない動き、あれで70過ぎの高齢者ってんだから人間は奥が深い。あれは化物扱いされるわぁ。






部屋の真ん中で立つばあちゃんの前に、先ほど襲いかかった女性達が姿勢良く直立して並んでいる、いずれも鍛え上げられた肉体の持ち主でいかにも強そうな雰囲気が漂っている。



「「「「「「「お久ぶりです、武田教官!!」」」」」」」


「鍛錬は怠っていないようだね、重畳至極ちょうじょうしごく


「「「「「「「はい!ありがとうございます!!」」」」」」」


揃った声で挨拶をされたばあちゃんはチラッと手にした鉄扇を見ると破顔する、次の瞬間には重苦しい空気が跡形も無く霧散していた。



人類最強武田春子、立ちふさがる者全てを斬り伏せ世界を席巻した女、その存在は世界政府の中でも今だに大きな存在となっている、なにせ現役を退いてなお衰えを知らないその腕前、むしろより鋭さを増しているかのようにも思える太刀筋と気迫に、憧れる者は後を絶たない。

特にここロシアはばあちゃんの部隊で活躍したエーヴァさんの出身地、そりゃこの態度も当然だ。


「ばあちゃん」


「ん、鉄。なかなか鍛えられた部隊だろう、エーヴァの部下だった連中だから私にとっては孫みたいなもんだ」


「孫相手に何を本気出してるのさ、大人気ない。可哀相じゃん」


「ふふ、ほれ!」


ばあちゃんがポイと鉄扇を投げてよこす。手に収まった鉄扇を見れば真新しいナイフ傷でボロボロになっていた。ばあちゃんが無傷で受け流せなかった攻撃だったって事か、強敵の出現、そりゃ戦闘狂の機嫌が良くなるわけだ。なんにせよ僕も挨拶くらいはしないとな。


「どうも初めまして、ばあちゃんの孫の鉄郎です」


ザワッ


「「「武田の嫡男、教官のお孫さん、武田夏子の息子さん…凄いカッコいい!」」」


なんか小声で聞こえずらいが、なるほどここの人達にとって僕はあくまでもばあちゃんやお母さんの息子でしかないんだ、じゃあ武田の血統であることを証明してみせないといけない気分になるな、親の七光りって舐められるわけにはいかないよね。


ザッ


「どうもヤポンスキーです、お会いできて光栄です。鉄郎さんの戦いはTVで拝見しました。とても男とは思えない強さと執念で非常に感動いたしました」


そんな事を考えていると真ん中の人が話しかけてくる、ヤポンスキー?名前からして日本人の血が入っているのかな?いや流石に偽名か?

あっ、そうかアナスタシアさんとの対決ってTV中継してたんじゃん、あれ見れば僕の実力なんてプロの軍人さんにかかれば丸わかりだ、うひ〜恥かしいな勝手にイキる所だったわ。


「もう、腕の怪我は治ったのですか? まったくアナスタシア様ときたら君のような美少年の腕を折るなんて鬼畜のごとき所業、女としてとても許されざる行為です、同じロシア国民として深く謝罪いたします」


並んでいた部隊の人全員が一斉に頭をさげるものだから流石に吃驚する。


「いえ、いえ、いえ!あれはそう言う勝負でしたから、頭を上げてください!」


「ふふ、鉄。この連中ならお前の護衛にピッタリじゃないかい、腕はこの私が保障するよ」


「「「「「「「武田教官♡」」」」」」


「えっ、でも李姉ちゃんや黒夢は?」


「鉄ぅ、いくらなんでも世界の王様の護衛が二人だけじゃ格好がつかないだろ、それに黒夢は外観が幼すぎて見栄えが悪い、ありゃ裏方がちょうどいい」


ばあちゃんが呆れたように手をあげて肩を竦める、あれ?もしかしてロシアに寄ったのって人材スカウトの為?てっきりボルシチ食べるのと観光が目的かと思ってたよ。


呑気な鉄郎は気づいてないが本国には元世界トップクラスの軍人でエーヴァと麗華に鍛えられた親衛隊がすでに存在している、これにロシア、アメリカ、中国の精鋭が加わればもう、この世界ではだれも鉄郎に逆らえない武力と科学力が発生することとなる。

一人の男を守るにはいささか過剰な力の使い方だが、鉄郎本人以外だれもそう思っていないところが恐ろしい。









その頃、モスクワ宮殿では。



「あれ?鉄君がどこにもいない!!すわ誘拐か!!」

「春さんもいないから、たぶん一緒じゃない」

「もう、ジュリアが何回も観ようとするから!」

「あんただって黙ってモゾモゾしてたじゃない」

「あんなの魅せられたら、しょうがないだろ!!」

「羨ましいでしょ♡」


ギャー、ギャーと騒ぎだした妙に肌艶の良いメンバーを横目に児島が黒夢に問いかける。


「で、鉄郎様はどちらに?」

「ン、春子婆ちゃんト、お散歩。今翡翠ヲ伝令に向かわせタ」


「春子様と。…ならば大丈夫ですね?」


「ン、無問題(ノーマンタイ)」

「ウニャァ〜」


黒夢に抱かれたゴルバチョフが興味なさげに一声、鳴き声をあげた。

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