第167話 ロシア革命前夜
アナスタシアの足元に擦り寄って動く毛玉に貴子が気づいた。
「ニァ~」
「あらっ」
「おっ、サイベリアンじゃん、なんて名前だニャー?」
サイベリアン・フォレスト・キャット、ロシア原産の猫だ、極寒のシベリアで育っただけに、豊かな長毛種でモッフモフと暖かそう。アナスタシアがヒョイと抱き上げるも大人しくしている、自由気ままな猫としては珍しく主人に従純な性格をしており、どこか威厳すら感じさせる顔つきだった。
「この子はゴルバチョフと言います、ほれゴル、ご挨拶は」
抱き上げられてるゴルバチョフと貴子の視線がしばし交錯する。
「ナァ~」
「ほら、こっちおいでゴルバチョフ」
ゴルが一鳴きすると手を伸ばす貴子、おとなしく抱かれるゴル、貴子の体格だとかなり大きな猫だが貴子はゴルのモフモフの毛皮に嬉しそうに顔をうずめる。貴子は意外と猫とは愛称が良い、グリーンノアでも大量の黒猫を飼っているし、性格的に猫ににてるのも理由かもしれない。逆に人間相手は嫌われる事が多い。駄目じゃん。
「おっ、ニャンコだ、可愛い! 何、アナスタシアさんの猫?」
貴子がゴルの匂いを嗅いでると他の部屋を見に行っていた鉄郎が黒夢と翡翠を連れてやってきた、その後ろには少し距離を置いてぞろぞろとメイド服にしか見えない制服の小学生がキャーキャー言いながらついてくる。社会見学で来ているらしい。一応ここはロシアの宮殿であるはずなのだが、開かれた皇室を自認するアナスタシアは結構自由に宮殿を開放している、女社会だけにその辺は大らかなのだ。
「あら、鉄郎様。ええ、私の飼い猫のゴルバチョフです、ゴル、鉄郎様にご挨拶なさい」
「ウナァ~」
貴子に抱かれながらも面倒臭そうに一声発するゴルバチョフ、脇を持たれているので身体がだらりと伸びきっている。
「はは、よろしくなゴルバチョフ」
鉄郎がゴルの顎の下をやさしく撫でると、少しうっとうしげに身をよじる、ゴルはオス猫なので女の方が好きなのだ、男に撫でられて喜ぶようなプライドの低い猫ではない。
「うぅ、なんか貴子ちゃんに負けた気がする」
「だ、大丈夫、所詮は男の魅力がわからない畜生です、私は鉄郎様の事大好きです!」
「そこまで気にしてないから、可愛がってあげて」
ゴルに鬱陶しがられ落ち込んだ風を装った鉄郎にアナスタシアがフォローを入れるが、その主人の言葉で拗ねたゴルはアナスタシアに懐かなくって、アナスタシアが涙目でチュールを手に屋敷中追いかけ回す事になる。
その後メンバーそれぞれでクレムリン宮殿を見学していると、鉄郎のもとに一人の軍服姿の女性がやってきて声をかける。黒夢がチラリと視線を向けるがそれだけだ、危険は無いらしい。
カツッ
「初めまして、バラライカと申します、この屋敷での護衛を担当する任に就きました。お食事の用意が出来ましたので食堂にご案内致します」
「あ、わざわざすみません。あれ?」
鉄郎が敬礼しているバラライカに視線を向けると首を傾げる。
「どうかなさいましたか?」
「いや、うちの国にあなたによく似た人がいまして、エーヴァさんって言うんですが…」
「あぁ、それは私の叔母ですね、ご心配なく、私はあんな化物ではありませんから」
「は、はぁ?」
バラライカの言葉の意味がいまいちわからず曖昧な返事を返す、鉄郎は普段から春子や夏子がそばにいるため強さに鈍感な所があるのだ。エーヴァは世界的に見ても化物クラスに強い。
クソ広い食堂に案内されるとすでに皆席についていた、テーブルの上には湯気をたてているボルシチやビーフストロガノフ、ガルブツィー(ロールキャベツ)、サラートオリヴィエ(ロシア風ポテトサラダ)など数多くの家庭料理が並んでいる。学生さん達は帰ったのか追い出されたのか、いつのまにかいなくなっていた。
「おお、本場のボルシチ!アナスタシアさん、僕が食べたかったの知ってたの?」
ロシアと言えばボルシチと言われるほど有名な料理だが、日本ではなかなか本場ウクライナの味にはありつけない、鉄郎も自分で作ろうと思った事があったが、長野の田舎では材料のビートの需要がないのか近所のスーパーで売っていなかったのだ。
ちなみにこのビート、めっちゃ赤い、切ったり擦ったりすると台所がまるで殺害現場のように血の海になる、服につくと落ちないので注意が必要だ。
ボルシチの真ん中に盛られたスメタナ(サワークリーム)と一緒にスプーンで掬うと口に運ぶ、じっくり煮込まれた牛肉が口の中でほぐれる、ボルシチはその見た目と違いとてもあっさりとした味わいだ、ビートの甘みと酸味がどちらかと言うと野菜スープよりの味になるのだ、そのためカレーやシチューにない優しい味を醸し出す。
「うん、美味しい!ボルシチ美味しいよアナスタシアさん!」
「ふふ、ロシアの味を堪能してくださいね、ガルブツィーも美味しいですよ。…いっぱい食べて今晩は頑張ってもらわないと…」
「おい、ロシア女、約束のキャビアはどうした?出てないぞ!」
「もう、わかってますよ!貴子さんはせっかちですわね」
アナスタシアがベルを鳴らすと給仕が、ショットグラスとガラスの小皿に盛られたキャビアを各自テーブルに置いてゆく、鉄郎を除く全員のグラスに霜のついた瓶から透明な液体がトロリと注がれる。
ちなみに鉄郎にはジャムが添えられた紅茶が出されている。
「ではナ・ズダローヴィエ(健康のために)!」
アナスタシアが乾杯の音頭をとるや皆一気にグラスを煽る。
「くぅ~~っ、流石ストリチナヤの18年、良いウォッカだ!たまらん!」
「もうっ、貴子ちゃんあんまり飲みすぎないようにね。ってキャビアうまっ!何これ!」
「今日のキャビアは、フレッシュキャビアと言って塩分を少なめに、低温殺菌の行程をとっていない鮮度の良いものを用意しました、普通の国外で食べられている塩っぱい瓶詰めとは味がまったく違うでしょう」
アナスタシアがキャビアの説明を加えるが、鉄郎とて春子がどこかからお土産でもらった瓶詰めキャビアを食べたことがあるが、それほど美味かった印象がなかったために大変驚いていた、緑がかった黒い粒が目の前で輝いて見える。さすが世界中で有名な食材だけのことはある。
※日本に輸入されるようなキャビアは保存期間を長くするため濃いめの塩漬処理と低温殺菌が行われるがそのために食感はかなり落ちる、やはり生のキャビアにはかなわないだろう。
その後、メンバー全員が酔い潰れるまで宴は続く、やはりアルコール度数50度は強力だ、アナスタシアはロシアの女だけにケロッとしていたが。肝臓大丈夫か?
キィ~
夜中の11時30分、鉄郎の眠る部屋の壁が静かに開く、ドアではない、壁がだ。
宮殿らしくいざという時のために隠し扉が存在するのだ。
「さぁて、鉄郎様は…って黒ちゃん?」
扉の前には監視カメラには写っていなかったはずの黒夢が薄明かりの中で立っていた、瞳が光ってるのでちょっと怖い。
「あ、あの、黒ちゃん」
「無問題、カメラは増設シテある、どんな角度でもバッチリ」
黒夢はアナスタシアに向かってグッと親指を立てるとドアの向こうに消える、鉄郎の記録係を自認する黒夢としては見逃せないらしい、行動は読まれていたようだ。
アナスタシアは一瞬ポカンとするも、気を取り直す、呆けてる時間がもったいない。
絶対に一人で寝るには大きすぎるベッドで鉄郎が寝息を立てている、無防備なその姿にアナスタシアはかかり気味に鼻息を荒くする。
ギシィ、チュッ
「んぅ、あれ?アナスタシアさん?」
「ごきげんよう鉄郎様、リベンジに参りました」
自分の上、月明かりで透けるネグリジェ姿でマウントをとるアナスタシアは文句なしに美しい、ニコリと蕩けるような笑顔を浮かべた。
「え、え、えぇ〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
「ふふ、私、寝技は得意でしてよ」
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