第155話 たった一晩の戦争
中国とロシアの軍隊 (正確にはロシアと言うよりナインの傭兵部隊だが)が取り囲むホワイトハウスでは、アメリカ大統領であるメアリー・ブルックリンが死体で発見された、その手にはSIG SAUER P226(拳銃)が握られていたが、それが自殺であったのか他殺であったのかは今の段階では謎に包まれている。
ただ、メアリーの政策には常日頃軍部からかなりの不満が出ていた事は確かなようである。
インドのカンチャーナ首相はイタリア空軍の首都デリー強襲によってその身柄を拘束された、突入時かなり取り乱していたが大勢の兵に囲まれると、顔を青ざめさせ大人しく従っていたと言う。
クレモンティーヌのフランスはイギリス、ドイツ、スペインの合同軍での封鎖が進んでいる、ドイツのラウラが陣頭指揮を取り、イギリスの空母の艦橋には女王エリザベスの姿も見られただけにその本気の程がうかがえた。
そして日本は何をしていたのかと言えば、対応を協議している間に戦いは終結していた、完璧な出遅れと言える、総理である尼崎は頭を抱える。
アメリカ、フランス、インド、この3国を制圧したのが同じG9のメンバーによるものだったことは世界を震撼させる、何時間か前まで鉄郎の嫁決定戦が世界中継され熱狂してただけに、この急展開に詳しい事情を知らない一般人は困惑するばかりである。
たった一晩で世界のパワーバランスはガラリとその姿を変えた。
病室?に持ち込まれたソファー、テーブルの上では児島が淹れた紅茶がカップから湯気を立てている。
改めて鉄郎とクレモンティーヌは向き合った、バンコクでの会議で互いに面識はあるがこうしてサシで対面するのはもちろん初めてである。
鉄郎の横には黒夢が、クレモンティーヌの横には春子と麗華が、それぞれが万が一に備えて立っている、なんか床に転がってるのもいるが誰も気にする者はいない、他の者は少し離れた場所で黙ってそれを見ていた。
「鉄郎さん、手術したばかりですのに大丈夫かしら」
「黒ちゃんが完璧言うてたから大丈夫やないか、それより鉄くんの雰囲気がなんかこう、いつもとちゃうような……」
「すみませんこんな格好で」
そう言ってベッドの上で薄いブルーの病衣をまとった少年はギブスで固められた右腕を軽く上げた、それだけの動作でも傷が痛むのか少し顔をしかめた。
黒夢による手術は完璧に行われた、人間離れ?したメス捌きに正確な縫合、手術と言うより修理と言ったほうが的確な作業は夏子も聞けばビックリの短時間で終了した、とは言え鉄郎は生身の人間だ、流石に術後すぐに自由に動けるわけではなかった。
最小限しか使われなかった麻酔はすでに切れかけており、右腕からは激痛ではないがズキズキと痛みを訴えてくる。
「黒夢から大体の状況の説明は受けました、…とても残念です」
目の前の美少年が少しやつれた表情で寂しげな笑みを私に向けている。
「うぐっ」
いかん、このまま見られていたら……目を逸らしたいのに逸らせない、何と言う魔性、開戦前はそれほど気にもしていなかった少年だが、こうして正面から向き合ってみると確かにこう惹かれるものがある。
鉄郎の悲しげな瞳で見つめられ、クレモンティーヌは金縛りにあったように動けなくなった、少し弱った雰囲気は彼女の父親を連想させる、クレモンティーヌはこの手の弱った感じの男に母性本能が働く性癖だった。
そんな事を考えていたせいで、少し遅れて返事をした。
「ざ、残念とは?」
「クレモンティーヌさん、バンコク会議での約束、守って頂けなかったんですね、5年間の休戦協定を結んだはずですが」
「そ、それは加藤が……」
「貴子ちゃんが悪い子なのは、あの時点でわかっていましたよね」(まぁ、悪い子なんてレベルじゃないが)
「鉄郎くん、私は全然悪くないよ! 正当防衛を主張します!!」
白雪によって縄でぐるぐる巻きにされた貴子が声をあげる。部屋に入るなり怪我人の鉄郎にダイブしようとしたので白雪によって捕縛されたのだ、この一人と1体、両者同じ顔と髪色なので並ぶと非常に紛らわしい。
「うん、ちょっと貴子ちゃんは黙ってようか」
鉄郎の目が笑ってない、危険を察知した貴子はおずおずと鉄郎に尋ねた。
「お、怒ってる?」
「怒ってる? それは僕がアナスタシアさんとの試合で怪我をして手術している間になぜか戦争が始まって、すごい数のミサイルがこの国に撃ち込まれてバベルの塔のバリアーで防いだと思ったら、今度は貴子ちゃんがノリノリで反撃してアメリカやフランスの艦隊があっという間に全滅、挙げ句の果て、めちゃくちゃ死んじゃった人が出た事に関してかな〜」
「い、いや、だからそれはね、正当防衛で……」
「過剰防衛って知ってる、バリアーでミサイルを防いだ時点で話し合いとか出来る余裕はなかった?」
鉄郎が本気で怒ってるのを感じた貴子は速攻でお口にチャックする。
鉄郎だって戦争で人が死ぬ事ぐらい学んでるし理解している、だが黒夢の話によれば結果は圧勝、ワンサイドゲームで戦いにもならなかったらしい、仕掛ける方も仕掛ける方だが貴子の反撃を誰も止められなかったのかと思わざるをえなかった。貴子はこんなんでも超がつく天才だ、いくらでも死人を出さない方法があったはずなのだ、その1点においては鉄郎は確信していた。
もう一人の当事者であるクレモンティーヌに向き直る。
「クレモンティーヌさん、貴女は人類を滅ぼしたいのですか?」
「そ、それは……」
鉄郎が感情を抑えたような声で問いかける、貴子さえ殺せれば後はどうでもいいと考えていたクレモンティーヌは、その問いにすぐに言葉が出てこなかった。
「このままでは100年もしないうちに、人間はレッドリストに載る存在になります、絶滅危惧種って奴ですね」
「そ、そんなことはわかっている、これでもG9の一人だ」
彼女の言葉に鉄郎が一瞬うつむいて、左の拳をギュッと強く握りしめた。
「わかってませんよ貴女達は!! わかってる人間はこんな戦争を起こさない、起こすはずがない、助け合わなければいけない人間同士が殺し合うなんて!!」
珍しく激昂した鉄郎が小さな声で呟く。
「皆んなどうかしてる……」
最後は小さな呟きだったが静まり返った室内に良く響いた、誰もが反論の言葉を口に出来ない。
たった数時間の戦争で一体何人の命が失われたのか、その命は本当に失われなければならなかったのか、そんな簡単な事を真剣に考える事が出来なくなっていた事を、鉄郎の悔しさを込めた呟きは皆に気がつかせた。
人類に残された100年と言う時間は決して長くない、現在の男女比、出産率、男性の出生率の低さ、男性特区での過剰な保護による弱体化、それこそ問題は山積みなのだ、こんな無駄な事で貴重な命を無駄にする余裕はない。
「……鉄、そうだね、歳のせいかどうも考え方が頑固になっていけない、どうにもやられたらやり返すが基本になってて、それを疑問に感じることが出来なくなってたね、大人として恥ずかしい限りだよ」
「婆ちゃん」
「まぁ、春子ももうババアだからしょうがないよ」
「「「「「「「イラッ」」」」」」」
バチィン!!
「あうち!!」
春子が鉄郎の言葉に頭を下げるが、すかさず貴子が反応してもはや定番となっているデコピンを春子から喰らう、こんな奴に世界の命運がかかってると思うとクレモンティーヌではないが納得がいかない。
ゴロゴロと床を転げ回る貴子を見ながら鉄郎は考え込む、もしかして貴子を制御出来るのは自分だけなんじゃないか?と。(凄い今更です)
「黒夢、男性出生率向上の薬はどこまで進んでる?」
「ン、進捗率は60%、実用化ニハ後3年欲しいトコロ」
「そうか、じゃあ、それまでにやれる事はやらないとな」
「鉄?」
鉄郎が天井を仰ぎ見る、一介の高校生が口にしていい言葉じゃない、そんな事は傲慢としか思えない、でも自分がやらなくてはいけない、そんな気持ちが自分の中でむくむくと膨れ上がるのがわかる。
貴子と言う強大な力をこれ以上間違った使い方をするわけにはいかない。
鉄郎は部屋の中にいる者たちをゆっくりと見渡すと、決意を込めて言葉にした。
「皆さん、この世界は今から僕が預かります」
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