第147話 仏の顔も三度まで

アナスタシアの鼻血の止血と鉄郎のお着替えが終わるとようやく試合は再開された。しかし2度の中断を受けどうにも緊張感が薄れてきている感はいなめない。


「ふう、もう大丈夫、鉄郎様のお裸は頭の中の奥底に入れて厳重にロックしました、試合中はもう浮かんでくることはないです、今は勝つ事に集中!」


アナスタシアは両手でパンパンと頬を叩きふぅ〜と長く息を吐くと再度高速タックルを仕掛ける、だが鉄郎としても掴まれたら危険だとわかっているので容易には掴ませない、この辺りは世界最速を誇る黒夢との稽古が活かされている、ヒラリとタックルを躱す姿はさながら闘牛士(マタドール)の印象を観客に与えた。


「くっ、躱すだけじゃ勝てないよな、でもアナスタシアさんも僕の鉄山靠てつざんこうを警戒してるのか隙がない、だけど僕が李姉ちゃんに習った技ってまだあれと突きだけなんだよな」



なんとか鉄郎を捕まえようとするアナスタシアと、それを躱す鉄郎。お互いがパンチや蹴りを自粛している所為であまりバイオレンスな雰囲気にはならない。

二人の戦いが妙なこう着状態になりつつある中、放送席では興奮状態の続いてる多摩川忍が叫んだ。


「おおぉ、凄いぞ鉄郎くん。ロシアの行き遅れ猛牛の攻撃を華麗に躱す!!いいぞ鉄郎くん、でも押し倒される美少年もちょ〜っと見てみたいぞ!!」


「何を言ってるんだ三つ編み眼鏡、私だったら鉄郎くんに押し倒される方を選ぶぞ」


「おお、それも夢があっていいですね!でもケーティーちゃん、このままだと鉄郎くんがあの女に押し倒されるのも時間の問題じゃ、ずっと躱しきれるもんでもないでしょ」


「そうだな、鉄郎くんは魔王譲りで目がいいから今は何とか躱せてるが、どうにも決定打がない感じだな、ドーピングの薬でも渡しておくべきだったか?」


「だったらロシア人のドリンクに下剤でも入れとけば良かったですかね?」


「お前、神聖な勝負をなんだと思ってるんだ」


貴子にそんな事言われるとは多摩川も大概である。




ガシッ


貴子と多摩川がアホな会話をしている間に数度のタックルの末、とうとうアナスタシアが鉄郎の脚を掴む。


「獲った!」


「やばっ」


鉄郎は倒されまいとアナスタシアに覆いかぶさるように咄嗟に胴体を抱いて耐えようとした。細い腰に回した腕からムニュリと柔らかい感触が手のひらに伝わってくる。


「アンッ」


小さな悲鳴とともに急に力が抜けたアナスタシアを、チャンスとばかり鉄郎が引っ抜くように後ろに投げ飛ばした。

投げられてゴロゴロとマットを何回転か転がると素早く立ち上がるが、その時すでに鉄郎は目の前に迫っていた。


「なっ、しまった!」


ダムッ!!


力強い震脚音、繰り出されるのは鉄山靠てつざんこう、アナスタシアの視界が鉄郎の広い背中で塞がれる、続いて来るのは大きなサンドバックで殴られたような強烈な衝撃。


「キャッ!」


正面からまともに喰らった体当たり、しかも天才拳法家李麗華直伝の鉄山靠てつざんこうだ、鉄郎の十年分の功夫は伊達ではない、アナスタシアはなす術も無く弾き飛ばされた。


場外スペースのスポンジマットに叩き付けられるアナスタシアの動きが止まる、シーンと静まり返るスタジアム。




「かはっ」


肺の中の酸素が吐き出される、無理矢理立とうするがガクガクと脚が言う事を聞かない、軽い脳震盪を起こしているのだろう。


「わ、私は負ける訳には……、ロシアを救う為にもこんなことで……負ける分けには……」


フラフラとアナスタシアが立ち上がるも、エメラルドの瞳は未だ焦点が合わない、気力だけで自分の身体を支えている状態だ。


鉄郎と観客がその姿を静かに見つめていた。












少し時は巻き戻る、モルディブ沖200kmの地点に一隻の空母と駆逐艦が6隻、フリゲート12隻、潜水艦4隻の艦隊が集結していた。

水色一色でまとめらた艦隊だが艦首に小さなトリコロールが描かれている。


フランス軍はG9の中でアメリカに次ぐ規模を誇る、軍事国家だ。フランス海軍が誇る原子力空母シャルル・ド・ゴール、もともとステルス性に優れた艦ではあるが、現在は全体に水色の迷彩とステルス強化を施してあり海上でその艦影を捉えることは難しい。甲板上には2機のラファールMと1機のミラージュ20000がカバーを掛けられて待機状態にあった。


その空母の一際豪華な1室で大型モニターを眺めながらボルドーのワインを口にする女がいた。

モニターの中では一組の男女が大きなスタジアムに入場を始めていた。


「人類滅亡の危機に元凶の貴様が呑気に馬鹿騒ぎしやがって、もう我慢の限界だ、悪は滅ぼさねばならない、参謀総長準備はいいか!」


「はい、先程ホノルルから連絡が来ました、ディナーの準備は整ったそうです」


「そう、インドは?」


「原潜アリハントはすでに出航済みと言っておりました」


「ふふ、メアリー(米)とカンチャーナ(印)にはしっかりと我が軍の囮を務めてもらわないとね」


空軍のミラージュ2000N、海軍のM45弾道ミサイル潜水艦で鉄郎王国の海域に接近する、両機共核搭載の最終兵器だ。

フランス軍では貴子の開発した光学迷彩を解析、自軍の装備への配備がようやく終了した、懸念される電子機器の干渉には各自スタンドアローンのコンピュータに数種の行動パターンを事前に入れて対処している、これによって途中ジャミングされても各自単独で行動出来ようになっている、見えない軍隊の誕生である。


参謀総長がマップデータに自軍とアメリカ、インドの現在位置を表示した、3方向からの同時攻撃、自軍は完璧なステルス装備でレーダーに捉えられることは無い、アメリカとインドが攻撃を開始したのを隠れ蓑に奇襲をかけるプランだ。


「ふっ、加藤、貴様の発明したステルス装備で攻撃されるんだ皮肉なものだろ、父の仇、今こそ果たさせてもらうぞ」


フランス首相のクレモンティーヌ(44歳)の目に狂気の炎が宿る、彼女にとっての悲願成就の時が近づいている実感が湧いて来る。


「対電波放射源兵器 (ARW)を攻撃開始と同時に展開しろ、奴の人工衛星とのリンクを断つ、これで衛星落としをされる前に仕留めるぞ、長時間はもたんからタイミングは合わせろよ、落下傘旅団はミサイル攻撃後速やかにグリーンノアとバベルの塔を占拠しろ、反撃の隙を与えるな!」


矢継ぎ早に指示を飛ばすとクレモンティーヌはソファーにドカリと腰を降ろした。


「それにしてもイギリスの婆さんは動かんだろうと思っていたが、ドイツのラウラまで静観にまわるとは、腑抜けたか。それにマダムヤンに動きがないのは不気味だな、何を考えているあの妖怪ババアめ」


クレモンティーヌが画面に写る鉄郎を見つめる、画面の中の鉄郎は爽やかな笑みを浮かべていた。


「君に恨みはないが、組んだ相手が悪かったな」


そう呟くとグラスに残っていたワインを飲み干した、年代物のボルドーがなぜか少し苦く感じる。









スタジアムの控え室で縄でグルグル巻きで転がされてる二人の女性、黒夢達によってつまみ出された夏子とジュリアだ、モニターが見える位置に放り出されているのがせめてもの慈悲か。


「お、これは決まったんじゃないか、まともに喰らったぞ」


「私の息子、超絶格好良い、今すぐ駆け寄って抱きしめてあげたい、そして鉄君の汗をペロペロ舐めてあげたい!」


「……あんた母親だろ」


はぁ、はぁと息を荒くする夏子にジュリアが呆れる、けど夏子は常時こんなもんなので諦めてもらうしかない。



ギシィ


「それにしても黒ちゃんめ、何で出来てるのよこの縄、力入れても切れやしない」


芋虫のようにモゾモゾと動くが夏子の力をもってしてもその縄が切れる事は無かった、その時背後から靴音が聞こえて来た。


カツーン


「あれ?あんたは」


振り返った夏子が驚いた表情を見せた。

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