第146話 世界はそれを愛って呼ぶんだぜ

サンボとは旧ソビエト連邦で開発された格闘技だ、ロシアの王族であるアナスタシアは護身術として軍でその教えを受けた、一般に知られている投げや関節技のみのスポーツ格闘技(サンボ)ではなく、打撃もありのコマンドサンボをたしなんでおり、その技量は同じロシア人のエーヴァから見ても中々のものと言えた。


青のサンボジャケットにスパッツ姿で開脚ストレッチをしながらアナスタシアはTVを見つめてた。どれだけ長い時間やっていたのか、全身に汗をかいていた、インナーのTシャツが濡れて肌に張り付いるのが少し不快だった。


「ジュリア・ロッシは勝ったか、祖国のために私も負けられないわね。それでも鉄郎様と戦うのは気が重い、せめて婚約者の女、住之江とか言ったか、あれが相手なら遠慮なく叩きのめせるのだが…」


女性は強くなくてはならない、そして男性を守らなくてはならない、それが今の世界の常識だ。ましてや一国の首相が大衆の面前で男性を攻撃するなど後々何を言われるか、アナスタシアは鉄郎に怪我を負わせずに勝つ方法にずっと頭を悩ませていた。


「さて、こんな汗だくの姿で鉄郎様と組み合うわけにはいきませんね、汗臭い女と思われたら死ねます」


そしてアナスタシアはシャワールームで汗を流し、無駄に入念に身嗜みを整えた。






陽も傾き昼の暑さも和らいできた頃、ゾロゾロと人の群れが同じ方向に向かって歩く。皆、興奮した様子で笑顔を浮かべている、これから起こるイベントに期待しているようだ。



設置されているスピーカーから弾むような声が流れてくる。


「さぁ、次なる舞台はここR.プレーマダーサスタジアム、普段はクリケット場として使っていますが、本日は特別に競技場の中央に舞台を設置して放送をお送りしたいと思いま〜〜す!」


放送席には昼のレースに続いて多摩川忍、解説には同じロシア出身でサンボには詳しいということでエーヴァと一応女王である貴子も呼ばれている。


日本ではなぜか馴染みのないクリケットであるがイギリス発祥のこのスポーツ、インドやスリランカではとても人気のスポーツだ、その競技人口はサッカーを世界的に上回るほどだ、それだけにスタジアムも立派なもので、円形のスタジアムは野球場よりも広い。

照明が灯る、観覧席だけでなく普段はクリケットが行われる内側の芝生の部分にも観客席が設けられていて満員御礼、皆が選手の、いや、鉄郎の登場を今か今かと待ちわびる、男性の格闘技と言う今の時代ではまず見られない必見イベント、それも国をあげての娯楽に人々が熱狂するのも無理はない。


「では、これより国王鉄くんの嫁の座を賭けた、第2回ロシア人って若い時は劇的に綺麗だけど歳食ったらデブになる可能性が高いから騙されないで鉄くん!! サンボVS八極拳、異種格闘技無制限1本勝負!!を始めま〜す!!」


「タイトル長いうえに凄く失礼です!!」


ほとんどモデル体型のアナスタシアが控え室で大きく吠えた。




場内にスモークが焚かれ、スピーカーからロシア連邦の国歌である「祖国は我らのために」が流れ出す、貴子はソビエトマーチを流そうとしたが、あれは国歌でも軍歌でないので止められた。

青のゲートを潜り姿を現したアナスタシアが、中央の舞台に向かってゆっくりと歩き出した。


「青コーナー、挑戦者はロシアが誇る行き遅れの姫、身長179cm体重62kg、アナ〜スタシアーっ!!」


ブーブーブーブーブー!!


アナスタシアの紹介がされると会場から一斉にブーイングの嵐がおこる、殺気すらこもったブーイングは「鉄郎 (国王)に怪我でもさしてみろぶち殺す」と言わんばかりで、完全に悪役扱いのアウェーであった。


「まぁ、当然こうなるわよね」


観客席にチラリと目を向け、アナスタシアは諦めたように嘆息たんそくする。



カカンッ


一旦照明が落ちて会場が静まり返る、再び舞台の中央にスポットライトが当たると、そこには黒夢を筆頭に亜金、真紅、白雪がいつの間にか並んでいた、黒夢シリーズ勢揃いである。

4体の妖精がゆっくりと腕を広げ天を見上げると“君が代“を歌い出した。(鉄郎王国の国歌はまだない)

黒夢、亜金、真紅、白雪、4つのソプラノが重なり美しいハーモニーを奏でる、観客がその美声にうっとりと酔いしれる。

こうして歌ってる分には可憐な妖精に見えるのだから不思議だ。観客席のマイケルもこれには大興奮している。


「「「「コケノムスマ〜デ〜〜」」」」


国歌斉唱が終わり黒夢達が舞台上で一礼するとアナウンスが流れる。


「お待たせ致しました、赤コーナー!!我らが国王様、身長175cm体重64kg、武田鉄郎ぅーーっ!!」


ウオオオオオォォーー!!


白の長袍チャンパオに身を包んだ鉄郎がゲートに登場すると、スタジアムが揺れるほどの凄まじい歓声があがる。

セコンドとして師匠である麗華が横に並び立っていた、今日は鉄郎とお揃いの白のチャイナドレスだ、なぜか黒の眼帯をつけている。


「李姉ちゃん、何その眼帯?」


「昔からセコンドはこれ着けるのよ、いい鉄くん、内側から抉りこむように打つべし、打つべしよ」


「それってたしかボクシングの話でしょ」


「パイプ椅子も持ったから乱入もOKよ」


「それはプロレスだ!」








大歓声のなか、一段高くなっている舞台の上、鉄郎とアナスタシアがお互い中央に歩み寄ると、蝶ネクタイに白シャツ、黒ズボン姿の児島が二人の間に立つ。この戦いのレフリー役は児島が務めるようだ。


「いいですか、急所への攻撃、武器の使用は禁止です、どちらかが戦闘不能かギブアップした所で勝敗が決まります。後、エッチな攻撃があった場合は即射殺しますからそのつもりで」


児島がアナスタシアを見ながら、いつの間にか手にしていたハンドガン(CZ75)のスライドを引く、ジャコンと弾丸アモが装填される音が聞こえた。


「「エッチな攻撃なんてしませんよ!!」」





「では、アナスタシアさん、よろしくお願いします」ニコッ


鉄郎が爽やかに微笑み拳を突き出すと、その笑顔を直視してしまったアナスタシアが頬を染める、一瞬呆然とするも慌てて拳を合わせた。


「こ、こちらこそ、でも鉄郎様、お怪我をされる前にちゃんとギブアップなさってくださいね」


アナスタシアとしては親切心からの言葉だったが、今日は麗華の直弟子としてこの場に立っている以上、とても看過することが出来ない言葉だった。完全に格下扱いされた事で、鉄郎の女性と戦うことへの忌避感が薄れた、会場の雰囲気も気分を高揚させるのに一役買っている。


「それは出来ない相談ですね、今日の僕は八極拳士として恥ずかしくない戦いをしなくてはいけない立場ですから、たとえこの腕が折れようと勝ちに行きますよ」


「いや、でも……」


「では、二人とも開始線へ」


児島の言葉でアナスタシアは後ろ髪を引かれつつも、鉄郎と距離をとって離れる。


1辺12Mの正方形のゴムマットが敷かれた舞台、レスリングの試合で使われるものだが今回の試合では真ん中に描かれた7Mのセンターサークルは意味を持たない、端から端まで使用することが許されている、その周りの場外スペースにはスポンジマットが敷き詰められている。



鉄郎が半身に構え右手を前に出すと低く腰を落とした、その真剣な表情が大型モニターにアップで映ると会場からため息が溢れる。


「やばっ、鉄朗君マジでかっこいい!」

「はぁ、はぁ、あのキリリとした表情たまんないわね、お母さんエッチな気持ちになっちゃう、じゅるり」

「あれが私の旦那になったかと思うとたぎるなぁ、今すぐにでも押し倒したい!」


特等席である貴子の横にいつの間にか座っていた夏子とジュリアがそれぞれ感想をのべる、その音声はしっかりとマイクに拾われてスピーカーから流れていた、鉄朗は顔をしかめ放送席を一目すると黒夢に目配せした。


「黒夢、あの二人邪魔だからつまみ出して」


「ラジャー」


シュタタ


目にも止まらぬ速さで夏子とジュリアを拘束する黒夢と亜金。


「ちょ、黒ちゃん待って、大人しくするからぁ、鉄くんの試合見せてぇ、なっ、またパワー上げたの、あ〜れ〜」

「なに、このちっこいの、なんて力なの! いやぁ〜」


黒夢と亜金に引きずられ退場させられる夏子とジュリア、これで心置きなく仕切り直すことが出来るってもんである。


「すみませんアナスタシアさん、お待たせしてしまって」

「いえ、私も同じG9のメンバーとして、ジュリア・ロッシのセクハラ発言には謝罪いたします」


余計な中断もあったがようやく試合をする雰囲気が整う、貴子が放送席で高らかにゴングの鐘を鳴らす。


カーーーーーン!!


「ファイッ!」


こうして鉄郎とアナスタシアの戦いの火蓋は切って落とされた。

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