第145話 革命

ヴボオゥッ!


ジュリアは1周目では封印していた15000回転までエンジンをぶん回す、224馬力のパワーをR17・200の極太タイヤがきっちり受け止め、鬼のような加速を始めた。マシンを限界まで倒し込み肘まで路面で擦る勢いだ。


「こっから本気で行くわよ!」


「フンッ」


余力を残していたのは夏子も一緒だ、13000回転まできっちり回した2ストローク高回転エンジンはそこからその本性を現す、暴力的なパワーが開放され車体が左右に暴れるが天才的なマシンコントロールで車体を前に進めて行く。


6速全開、恐怖心を根性でねじ伏せてアクセルを開ける、公道レーサーの夏子にとっては未知のスピード領域に突入する。

公道で時速320kmのバトル、世界でも一部の人間のみに許されたスピード領域、貴子の科学力や黒夢の戦闘力をもってしてもこの世界に立ち入ることは出来ない。

クローズドコースじゃなければとてもじゃないが出せないスピードだ、普段の夏子ならばここまでの速度を出さずとも勝負を決めてしまっていただけに、いかにGPライダーであるジュリアが速いかがわかる。


ズバァ


「チッ、こんな狭い所でよくアクセル開けられる、頭イかれてんじゃないの」


2車線しかない区間で強引にジュリアの前をとった夏子、基本常に全開の夏子はすべてのコーナーでマシンを滑らせなからコーナーを抜けて行く、狭くコーナーが続く区間ではジュリアを突き放す抜群な速さを見せた。


「行くよNSR、イタ公のドカになんか負けんじゃないわよ」


夏子はトップスピードを少しでも稼ぐためカウルに頭を伏せて風の抵抗を少なくさせる、普段は何気なく存在する空気がまるで分厚い壁のように立ちはだかるのだ、ジュリアはピタリとその後ろにつけてスリップストリームに入った。







その頃日本の松代、焼き鳥屋さっちゃんでは古ぼけたブラウン管テレビを見上げ、ポカ〜ンと口を開けてる女がいた。


「夏子さん、何やってんの?」


店で仕込みをしていたらTVが突然バイクレースの中継に切り替わった、何事と見てみれば武田さんとこの親子が画面に映っているではないか。正直、夏子はどうでもよかったのだが、久々に見る鉄郎はやっぱり可愛かった、胸がキュ〜んと高鳴る。

幸子は仕込みの手を止めつまみを作り出す、本格的に鑑賞することにしたのだ。

串に刺す前だった砂肝に生姜と醤油で味付けし片栗粉をまぶすと、十分に熱した油に放り込む、一口大の砂肝は揚げるのにさして時間はかからない、その間に長ネギを刻んでおく。隣の鍋からカラカラと肉の揚がる心地良い音が聞こえてきた。


微塵切りの長ネギがまぶされた砂肝の唐揚げを口の中に放り込むと、すかさずなみなみと注がれたジョッキを手に取った。


グビッ、グビッ、グビッ


「プハァ、て言うか、これって世界中継なの、夏子さん走り屋からレーサーに転職したのかな?」(いや、夏子の職業は外科医だが)






一方、アメリカはホワイトハウス。


「な、な、なんでジュリア・ロッシが鉄郎王国にいるのよ、それに嫁の座って、世界政府を裏切るつもり!!」


「だ、大統領落ち着いてください」


「これが落ち着いていられるか、大至急G9のメンバーに連絡を取って、場合によってはイタリアを除名するわ」


メアリー大統領の鬼気迫る表情に、周りの者もそれ以上声をかけられなかった、画面の中では夏子を追走するジュリアの真っ赤なドカティが大きく映し出されていた。






そして解説席では委員長こと多摩川忍が叫ぶ。


「おおっ!! 流石は夏子お母様です、イタリアのオバハンを寄せ付けない速さ、行けぇー!大和魂だ!!」


「忍さん落ち着いて、どうどう、解説があからさまに贔屓しちゃダメでしょ」


「鉄郎くんそれは無理ってもんだ、この一戦には君の嫁の座がかかってるんだ、あのイタ公を応援してる奴はほとんどいないだろ」


「それはちょっと可哀想だね、僕だけでも応援してあげようかな」


「そんなことしたら、あいつ世界中を敵に回すぞ、女の嫉妬は怖いからな」


「皆んな仲良くしようよ」


「「無理!!」」






ジュリアは夏子の後ろを追走しながら、そのライディングを観察していた。マシンを思いっきり寝かし込んだ状態からアクセルを開ければ、遠心力に負けた車体は氷の上を滑るように外側に流れて行く、それでも破綻することなくコーナーを立ち上がる。


武田夏子、天才だな。

マシンコントロールがとてつもなく上手い、暴れるマシンをあっという間にベストなラインに乗せて加速して行く、私でもあそこまで自由自在にマシンを操ることは難しいだろう、確か昔日本人のGPライダーであんな走りをしていた者がいた、だがレースというものはタイヤのマネージメントが命だ、GPライダーはその辺を常に考えながら走ってるんだ、峠の走り屋とレベルが違う、それにパワースライドを多用するあの走りでは最後までタイヤが持つことは絶対にないだろう、先にゴールラインを潜るのは私よ。



ギョン!


S字コーナーの切り返しで夏子はフロントを浮かしながらリアタイヤを滑らせながら向きを変える、10周を超えたあたりからタイヤのグリップが怪しくなってきた、狙ったラインをトレース出来ない。


「流石にここまで長い距離を全開で走るのは初めてだわ、ちょっとタイヤが垂れてきたわね」


後ろから見ているジュリアには夏子がラインを外すようになって来たのが手に取るように分かる、熱で溶けたタイヤのコンパウンドが路面に黒々とくっきりとつき始めた。


「ほ〜ら、そろそろアウトに膨らみ始めたわね、残念だったわね夏子さん、貴女だったらちゃんとした練習をすればGPライダーになれたかもね、それだけの才能はあるわよ」


続くコーナー、タイヤがズルズルとアウトに流れ、NSRはインにつけない、ジュリアはぽっかりと空いた内側にするりとドゥカを潜り込ませる。

夏子としてはそれを防ぐ手立てはなかった、こうなっては一刻も早くマシンを立てて加速勝負に持ち込むしかない。


ズバァアアアア


夏子のNSR500がコーナー出口で突然横に吹っ飛ぶ。


焦りはミスを誘う、寝かせたバイクを強引に立てたせいでタイヤが急激にグリップを回復したのだ、慣性の法則で今度はその勢いでマシンは外側に振られることになる、いわゆるハイサイドと呼ばれる現象だ。

ハイサイドは高速コーナーでは即転倒に繋がる、だが夏子は咄嗟に内側にぶら下がるように荷重を掛け膝と肘を路面に擦り付ける、さらにアクセルを開けて半スピン状態に持ち込んでなんとか堪えた。


「どわぁ!あっぶな、もうちょっとで転けるとこだった〜」


カウンターを当ててなんとか転倒だけは免れたが、ジュリアには先行を許してしまう。

チラリと後ろを振り返ったジュリアが驚愕する、絶対に転倒したと思ったからだ。


「嘘でしょ、今のを立て直したの? 化物ね…。でもこれで勝ったわ、そのタイヤじゃもう私に追いつける余力はないでしょ」






「おばちゃん、ミックスジュースひとつ! おおきに」


スリランカは南国だけに果物が豊富だ、住之江はジュースの屋台で久しぶりのミックスジュースを頼んだ。

歩きながらストローに口をつけ、新鮮な果物で作られたそれを吸い込んだ。


「う〜ん、これやったら梅田の店の奴の方が美味いな、やっぱりみかんはフレッシュやのうて缶詰やないとあかん」


大阪の味に慣れている住之江は屋台のおばちゃんが怒りそうなことを言いながら、大型スクリーンの前に移動した。


「春子お婆様、夏子さんどないです、あ、これビールとケバブ買うてきました」


スクリーンを見つめる春子に差し入れを渡すと、住之江も画面を見上げた。


「ありがとうね、真澄さん。ちょっとペース落ちてるね、タイヤが垂れてきたかね」


「それにしても夏子さんってなんであんなに速いんです? 昔はレーサーだったんですか?」


プシュ、グビッ。


春子はライオンビールのプルタブを開けると喉を湿らす。


「いや、あいつは近所の峠走ってた程度でサーキットも走ったこと無いね、元々スピード感覚と目がいいんだろう、医者なんかじゃなくボートレーサーになればよかったのに」


「そんなんでGPライダーと互角て、剣術に外科医に乗り物、才能の塊みたいなお人やな〜」


基本的に夏子はスペックが高い、だがその凄い才能が霞むほどのムスコン(息子コンプレックス)なのが残念なところである。


「おっ、ジュリアが前をとった!! 上手い刺しだね」







ラストラップの最終コーナー手前、先行するジュリアは後ろの夏子を気にしながらブレーキングに入る、ここさえ押さえれば勝利は確実だ。

だがここで夏子が最後の勝負を仕掛けた。言葉通りGで目が飛び出るようなレイトブレーキング、フロントタイヤが白煙を上げリアタイヤは軽く浮き上がる、明らかなオーバースピードだった。


「ジーザス!! そのタイヤで止まれるわけないでしょ!! ちょ、早くマシンを倒しなさいよ、私のラインを塞ぐな!!」


ジュリアの真横、ラインを塞ぐように飛び込んだ夏子だが垂れたタイヤでは自殺行為である、コントロールを失ったマシンは曲がろうとしない。


「くっ、この、曲がれぇー!!」


ヘルメットの下で夏子が叫ぶも、こうなっては根性でどうなるものでもなかった。


ガシャーーッ!!


ジュリアがコントロールを失った夏子のNSRにかぶせるようにマシンをぶつける、ドカティのフロントウンイングが衝撃で弾け飛ぶ。

それをきっかけに辛うじてコントロールを戻した夏子、二人は接触しながらマシンを倒し込んだ。


もつれるようにコーナーを飛び出す二人、後はゴールまでの加速競争となるが夏子のNSRはフルブレーキングでパワーバンドを外してしまい加速が鈍い、対してドカティのV4エンジンは低回転でもしっかりとトルクを保っている、この時点で勝敗は決まった、するすると加速して行くジュリアに追いつけない夏子。


「ゴォーーール、勝者はジュリア・ロッシだ!! チクショー!!」


多摩川忍のアナウンスがコロンボの街に響き渡る、高々と腕を振り上げるジュリアと俯く夏子、勝者と敗者が決定した。







放送席前に戻ってきた二人を迎えたのは鉄郎だった。


バチーン!!


ヘルメットを脱いだ夏子を鉄郎が引っ叩いた、その光景に皆の時が止まる。


「お母さん、最後のカーブは何、何であんな危険な事したの!!下手したら二人とも転んじゃったかもしれないんだよ!」


「て、鉄くん……」


危険走行だった自覚があるだけに夏子も何も言い返せなかった、貴子だけは隣で真剣な顔の鉄郎くんカッコイイなぁと呑気に思っていたが。


珍しく怒っている鉄郎を前に重い空気が流れるが、ジュリアが割って入る。


「鉄郎くん、あれくらいレースでは良く有る事だよ、むしろあの闘争心はレーサーには必要な才能よ」


「うちのお母さん、レーサーじゃなくてお医者さんなんですけど……」


「そ、そうだったわね、それより私は君の嫁の座を勝ち取ったと思っていいのかな」


「そうですね、ジュリアさんの走りには正直感動を覚えました、僕も一人のライダーとして尊敬します」


「いや、鉄郎くんはモンキーでお散歩ライダーじゃん」


貴子が茶々を入れてくるがそれを鉄郎はシカトした、それによっていじける貴子、空気読め。


「ジュリアさん、色々足りない僕ですがこれからもよろしくお願いします」


「…………」


鉄郎が握手を求め手を出すが、ジュリアはそれをすり抜けて抱きつくといきなり鉄郎の唇を奪った。つくづく隙の多い男である。


「アモーレ!!今夜は離しませ〜ん!!」


「ちょ、ジュリアさん、待って!」


「待てませ〜ん!!」


「むぐっ」



問題としてはこの光景が全世界に中継されている事だろうか、男女のキスシーンが全国のお茶の間に放送された。黒夢によってしばらくお待ちくださいのテロップがインサートで流される。

そしてこの映像が与えた衝撃は計り知れないものがあった、嫉妬、羨望、欲情、様々な感情が地球を包み込む、この瞬間世界は確かに動き出したのだ。








「チチチ、ほら、お母さん、もう怒ってないから、出ておいで」


鉄郎が部屋の隅で体育座りをしてる夏子に話かける、野良猫か。


「もう、怒ってない?」


「うん、怒ってない」


「お母さんの事、嫌いになった?」


「僕はお母さんの事は嫌いにはなれないよ、それよりさっきは叩いちゃってごめん」


「じゃあ、好き?」


「……」


正直ちょっと面倒臭くなってきた鉄郎だが、このままほっとくわけにもいかず説得を続ける。


「普通にしてれば好きだよ」


「お母さんも鉄くんが大好き、だからお母さんもチューしていい?」


話しているうちに目に光が戻ってきた夏子がアホな事を言い出した。


「お母さん、反省してる?」


「……でも、鉄くんあのイタ公とチューした」


いい歳こいて頬を膨らまして拗ねる夏子、その時廊下から足音が聞こえてくる。


カツカツカツ、バンッ!


「こら!バカ娘!なんだいあの体たらくは、あんたに大枚賭けた私の立場ってもんが!って鉄?」


「婆ちゃん……」


「あっ、鉄、いやこれは母として娘に期待してただけで……叱咤激励?」


「二人共、家の恥になる事はやめてね、僕アナスタシアさんとの試合があるからもう行くよ」


鉄郎が春子と夏子にニコリと笑いかけるが、その目は笑っていなかった。


「「は、はい、行ってらっしゃい」」

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