第126話貴子の祈り?

「ねえ」


ヒュッ


武田邸の縁側で桑の葉茶を飲んでいた秋子が、お茶請けの大豆を一粒庭にいた春子に投げつけた、別に節分ではないこちらに向いて欲しかっただけだ。

次の瞬間、春子の刀の切っ先には大豆が刺さっている、抜く動作すら見せない神速の抜刀であった、いや普通に手で掴めよ。


「なんだ、まだ所長さんの事で悩んでるのか、まだ居なくなって一週間だろ、傷心旅行ならそんなもんじゃないのか?」


「でも、あの所長が傷心旅行って言うのはどうもピンとこないのよね、春姉さんの方で調べられないかな」


貴子が失踪して1週間、研究所の方はようやく落ち着きを取り戻しつつあった、貴子信者の児島は捜索の旅に出かけ今は北九州に居るらしい、助さんうどんが美味いと昨日手紙が届いた。もう一人の信者、船橋はこの世の終わりのように思い詰めた表情で一心不乱に試作品を作っていた、幸い貴子の残した設計図や新薬のレシピは数多く検証作業が残っているので所員達はやる事には困らなかった。


「ふむ、これは私の勘だが、加藤博士は日本にはいないんじゃないかな、あれはこの島国に収まるよな御仁ではあるまい」


「う〜、確かに日本海はちょっと似合わない気はするわね」


姉妹で話ていると、トタタタとカブのエンジン音、次に母屋の玄関の方から男の声が聞こえてきた、大して間を置かず庭に通じる垣根を開けて川崎が顔を出す。


「おはようございます〜、秋子先輩。あ、お姉さんもおはようございます」


「おう、今日も来たか色男」


「いや〜、研究所だと船橋さんが怖いんですよ、あ、秋子先輩これ今日の検証データです」


「ありがと、何、船橋くんに何かされたの?」


「そう言うわけじゃないですけど、凄い目で睨まれてます」


「まあね、所長の川崎くん贔屓は露骨だったからなぁ、それにしても船橋くんは所長の事好きだったのかな、全然そんな風には見えなかったけど」


秋子が川崎から渡されたノートにパラパラと目を通していると春子が川崎に声をかける。


「人様の色恋に口を挟むのもなんだが、君は女性の振り方にはもう少し気をつかうべきだったな、所長さんは結構本気だったぞ」


「すみません、僕も反省はしてるんです、所長の研究所で「もう僕達の前に現れないでください」はいくらなんでも無いですよね、あの時は秋子先輩を悪く言われてついカッとなってしまって」


春子の言葉にしゅんとなる川崎、秋子からすると所長に変な薬飲まされてたから冷静な判断が出来なかったのかもと少し同情もしている、人の心を薬でどうにかしようとするからこんなややこしい事態になるのだ。


「にしても、所長は今どこにいるんだろ」


秋子が小さく呟くと、三人が揃って空を見上げる、嫌になる位澄み渡った青空がそこには広がっていた。









スペイン南部アンダルシア地方、地中海性気候の土地には今日もまばゆい太陽が輝き、見渡す限りの澄み渡った青空だった。

その空の青さに負けないぐらいのコバルトブルーの海、その港には一隻の豪華客船が停泊している、ナイン・エンタープライズの青龍だ。



スペイン、アンダルシア州にあるセビージャの大聖堂、総面積23,500平方メートルとゴシック様式の大聖堂としては世界最大規模を誇る世界の遺産である。ちなみに世界で第3位の大きさだ。

その中の聖杯の礼拝堂、20メートルはあろうかという高い天井の上まで埋め尽くされた豪華な黄金の祭壇、様々な彫刻が施されており荘厳な雰囲気を嫌が上にも感じさせる。日本人から見ると巨大な仏壇だなこれ。


祭壇の中央には十字架に張り付けられたキリスト像、日の光がそこだけに差し込みスポットライトのように照らしている、その前で膝をつき祈りを捧げるている白衣の女性。

加藤貴子がそこにいた。

その敬虔な信徒を見て何かを感じたのか一人の老神父が貴子に近づく。


「随分と熱心な祈りですね、お召しになってる白衣からするとお医者さまかな」


かけられた声に老神父に向き直る貴子。流暢なスペイン語で返事を返した。


「いや、科学者です。これから行う事の成功を祈っていました」


「ほう、科学者。それはとても良い心がけです、貴女に神の祝福がありますように」


老神父が胸の前で十字を切る、その行為にニヤリと笑みを浮かべる貴子、きっと貴子が捧げていたのは祈りではなく呪いの類いではないだろうか、満足したのか礼拝堂を後にして歩き去る貴子、老神父はそれを静かに見送った。





ゴヤを始め様々な有名な絵画が飾られまるで美術館を思わせる大聖堂を後にした貴子は、オレンジの木が植えられた中庭を通り16世紀後半に改修されたヒラルダの塔に向かう、延々と続く螺旋状のスロープを登り外のまばゆい光に向かって最後の階段を上がると展望台に出る、天井を見上げれば古びた鐘がそこかしこに設置されている。

高さ約94Mのヒラルダの塔からは白壁に赤やオレンジ色の屋根が眼下に広がっていた、よく見れば遠くにマエストランサ闘牛場も見える。


「まさに絶景だな、美しい街並みだ。しかしこの街並みの至る所でバカップル共がセック⚪︎してると思うと腹立つな、滅びろ人類」


バサリと白衣を風になびかせると腰のポーチからKT-48と書かれた1本の筒を取り出し空に掲げた、見上げれば雲の動きが速い、上空は風が強そうだ。


「ハーーーーハッハーーッ、さあ、実験を始めようか!!」


銀筒を掲げる姿は一見ウルトラマンごっこにしか見えないが、貴子の持つ銀の筒からは肉眼では捉えることが出来ない粒子が放出されている、空気中の酸素と結合して自己増殖するウイルスは真夜中のサーカス団なんて目じゃない速度で世界中に拡散して行く、スペイン風邪もゾナ◯病も真っ青な拡散力である。


「カカカ、今日も良い風が吹いている」



その様子を大聖堂の屋根で見つめる者が居た、双眼鏡を片手に懐から無線機を取り出した。






セビーリャから少し離れたロタの港、そこに停泊する豪華客船青龍のデッキにはビーチチェアで水着姿でくつろぐ李花蓮がいた。年齢を感じさせないプロポーションには黒のビキニが良く似合っており白い肌が際立つ。花蓮がサイドテーブルの白ワインに手を伸ばそうとすると部下のスーツ姿の女性が近づいて来た。


花蓮かれん様、監視の者から連絡が入りました」


「そう、貴子さんはあんな所で何をやっていたの?」


「それが、大聖堂で熱心に祈りを捧げ、ヒラルダの塔の上で金属の筒を持って高笑いしていたそうです」


「貴子さんがお祈り? あの娘は神様なんて信じていない人種でしょうに、それにまた金属の筒、ここに来るまでにも何回か同じ様な事をしてましたわね、調べてもらえます」


「御意」


部下が立ち去ると花蓮はワインを一口飲んだ、その表情は随分と楽し気でまるでこれから起こる事がわかっているかのようだった。




「貴子さん、ふふふ、貴女もしかして……」

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