第121話 悪魔の薬

フォークリフトで研究所の冷凍庫に運ばれて行く熊を見送ると、秋子は所内に戻った。


「秋子先輩! 凄〜く格好よかったです! 熊を一撃なんて凄すぎます、あの技って空手ですか!!」


「おおう、どうした川崎くん、テンション高いね」


扉を開けるなり川崎くんが勢いよく迫ってくる、そんなに目をキラキラとさせて詰め寄られるとお姉さんもちょっと照れちゃいますよ。

でも男の子は強い者に憧れを抱くから仕方ないか、あれ? でも前に実験で北海道に行った時に出会っちゃったヒグマと戦った時は所員の皆んなが一斉にドン引きしてたんだけど、今考えるとあれってひどくない? 足場悪かったから倒すのに凄く苦労したのに。


「本当、秋子先輩って美人で頭良くて強くて完璧ですよね、僕一生先輩について行きます!!」


だからそんな熱のこもった視線を向けられると照れるって、はっ!

慌てて部屋の中を見渡す、良かった〜所長がいない、こんな所見られたらまた私が悪女みたいに言われるところじゃない。


「そ、それより、川崎くん、所長はどこに?」


「えっ、所長ですか? あれ、おかしいなさっきまで僕の隣にいたんですけどね」


「武田先輩、所長ならさきほど急に家に帰られましたよ、なんでも今日は仕事する気にならないとか」


「むむっ、所長め告白が怖くなって逃げたか?」






ヴォン、ヴォン、キキキーーッ、バタン


モニターに映る秋子を熱く見つめる川崎、なぜか無性にあの場所に居たくなかった貴子は逃げ出すように研究所を飛び出し家に戻った、貴子もいい歳して処女だが一応女だ、本能的に自分の敗北の危機を感じ取ったのかもしれない。玄関先に力無くへたり込んで天井を見上げる。


「何だろう、色々と選択を間違えた気がする、どこだ、どこで間違えた」


こと科学のことであったなら貴子の脳細胞は人類を超越した閃きをもたらすが、こと恋愛に関してはとてつもなくポンコツだ、知恵熱が出るほど考えを巡らすが一向に答えが出てこない。


「牛子を見つめる川崎くんのあの目、私には一度としてあんな目で見てくれた事はない、どんな高価なプレゼントも札束を渡した時もいつも困ったように苦笑いしかしてくれなかった、私だって顔は負けてないし、頭だってどう考えても私の方が上な自信はある、財力も権力も私のほうが上、熊ごとき私の開発したミサイルなら木っ端微塵だ」


「…………もしかして、川崎くんって巨乳マニア」


一般的に巨乳マニアと自称する者でも別に乳だけが好きなわけではないのだが、この時の貴子にはその辺の男の機微をわかれと言うのは難しい。

自分の平な胸に手を当てて、ため息をもらす、中学の時から一向に成長しない胸を今だけは恨みがましく見つめる。


「こうなったら、洗脳するしかないか……」


ここで自分の胸を大きくする発想は貴子にはない、秋子に合わせるのはなんか負けた気分になるし、貧乳には貧乳のプライドがあるのだ。


「それかホレ薬を作るか、ドラエ◯んの道具にあって私に作れないことはないだろう、ようは男だけに効く媚薬みたいなものでいいのか?」


ホレ薬というのは考えて見ると精神的なものだけに結構解釈が難しい、好きになるのとただ発情するのはちょっと意味合いが違うからだ、川崎に会うまで人を好きになった事がない貴子にその辺を理解するには絶対的に経験が足りていない。


「男性の遺伝子に作用するフェロモン、ふむ、それならやれそうな気がする」


貴子は机の上のペン立ての中からマッキーを一本取り出すと、部屋の壁に思いつくまま化学式を書きなぐり始めた、こうなるともう止まらない、ここでも彼女は努力の方向性を間違えて突き進む。後にハウスキーパーのおばちゃんがこの部屋に入った時に部屋一面の落書きに「ぎぎょっ!!お経みたい気持ち悪!!」と吃驚する事となるが、そんなこと知ったこっちゃないのだ。そしてこのおばちゃんが落書きだと思って一生懸命綺麗にしたせいで、後に貴重な情報が失われるのだった。




次の日から貴子は研究所の自分専用ラボに鍵をかけて引き蘢った、部屋の扉には1週間立ち入り禁止の張り紙、助手である児島すら入ることを禁止された。

食事だけは秋子や児島が扉の小窓から差し入れた、それを見ていた川崎が「なんか刑務所みたいですね」と感想を漏らしたとか。

一人ラボに籠もり外界からの接触を断ったおかげか、川崎が来てから鈍っていた貴子の脳は本来の性能を発揮しはじめ、どんどんと研ぎすまされて行く、天才ゆえの暴走が始まる。


「ふふふふ、うふふうふうふっふうふふふふふふふうふふふふふふふ……あれれ? まあいいか」







たかが1週間、されど1週間、この短い時間の中でも若者の心は明確に自分の想いを形作る。


綺麗で強くてエロいお姉さんは好きですか?


はい、当たり前に大好きです。




「秋子先輩……、はぁ、今日もとても美しい……」


川崎の熱の籠った視線を背後に感じ、秋子はなんとも言えないもどかしさを感じていた、貴子が部屋に閉じこもったせいで川崎は上司であり教育係の秋子と一緒の時間が必然的に増える、二人の時間が増える度に川崎は秋子への想いを膨らませて行った。

白い肌、理知的な瞳、白衣の下の大きなバストにスラリと伸びる長い脚、時々見せるエロい仕草、そのどれもが若い川崎の心を掴んで離さない。

秋子も幼少の頃からこの手の視線を数多く受けて来ただけに川崎の心境が手に取るようにわかる、伊達にモテるわけではないのだ。

それだけに焦る、貴子が告白もせずに何やら研究に没頭しているせいで川崎が自分を日々好きになっている、もちろん女として川崎のような好青年に好意を向けられるのは悪い気はしないし、わざわざ嫌われるのも気が進まない、しかし尊敬もしている科学者である貴子の想いも知っているだけに板挟み状態を味わっていた。


「もう、何やってるのよ所長……」


若干恨みがましく貴子の部屋の扉を睨む秋子だった。





貴子がラボに引き蘢って6日目。


「私ってやっぱり天才だな、途中ちょ〜っと危険な物質になりかけたが、出来たぞホレ薬!! そしてこの薬は川崎きゅんのDNAにピンポイント攻撃可能、わっはっはっはーーっ!! 後はどうやって飲ますかだな」



特定の遺伝子に働きかけ心を操る。

世の中には寄生した相手を乗っ取り、行動をあやつる寄生虫の存在が確認されているがそれに近い悪魔の薬と言える、この薬の恐ろしい所は精神のみならず肉体にも影響を与え、無味無臭で投薬されても気づかれない所にある、貴子は完成した薬の前で妄想にふける。


「貴子好きだ! 僕と結婚しよう! もう貴女しか見えない」


「川崎きゅん、でも、私おっぱいあんまり大きくないよ」


「何言ってるんだ、あんなものただの脂肪の塊じゃないか、貴子の超絶的な魅力の前には些細な問題さ、もう我慢出来ない!今すぐ貴女が欲しい」


「川崎キュン……でへへへへへへへへ」


これでも人類最高の頭脳の持ち主である、恋は人を馬鹿にさせるのかもしれない。尚、実際の川崎はこんな事絶対に言わないので100%、貴子の捏造である。名誉毀損で訴えられても文句は言えない。



「さて、本番前に検証実験をせんといかんな」

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