第118話 温度差

緑とオレンジに塗られた国鉄カラーの電車を降りる、着物姿の女性。凛とした佇まいに長い黒髪が良く映えており、道行く人々の目を集めた。もう取り壊されて久しいがこの頃の長野駅の駅舎はまるで神社仏閣を思わせる趣のある建物だった、そこを歩く着物姿の春子は実に様になっていた。


春子は駅前のバス停の時刻表を覗くが松代行きのバスには若干の時間がある、一仕事終えた後だ、そばでも腹に入れようと、駅前の店の縄のれんをくぐった。


「冷酒一合と出汁巻き、後はもりそばを」


店に入るなり注文をすませると窓際のテーブルに座った、昼下がりの暖かな陽射しが心地よい、運ばれてきた冷酒を一杯飲み干す、ふと窓の外を見た瞬間見知った人物と目が合ってしまった。

そこに居たのは先日妹に紹介された加藤貴子だった、紙袋を両手に丈の短いワンピース姿でスラリとした生足が覗いている、こちらを見ながら何か考え込むように眉間に皺を寄せる、ポンっと一つ手を叩くとそのまま店に入って来て向かいの席にドカリと腰を下ろした。


「確か、牛子の姉だったな、真っ昼間から一人酒とは寂しい奴だ、顔は悪くないのにモテないのか」


貴子はテーブルに置かれた徳利を見て言い放った。

派手な化粧に甘ったるい香水の臭いが鼻につく、この私に喧嘩を売るつもりかと顔を見ればそこに悪意は感じられない、思ったことを考えもせず口にするタイプか。


「仕事帰りだよ県警で師範をしてるんでな、そう言うあんたは買い物か?凄い量だな」


「ふふふん、今日は勝負下着なるものを買いにきたんだ、シルクのレースだぞ、もういつそうなってもおかしくないからな、ふふふん」


「なぬ、勝負下着、科学者でも何か勝負があるのか?」


「はっ、これだからモテない女は無知で困る、勝負下着と言うのは男女の……ばっ、馬鹿かこんな所で口に出来るか!!」


「なにを言ってるんだあんたは」


片や着物姿の春子、片や派手なミニスカートの貴子、対称的ではあるが二人とも美人であるだけに店内で良く目立っていた。


「それよりちょうどいい所であった、貴様の意見を聞かせろ」


貴子は紙袋からゴソゴソと小さめの箱をいくつかテーブルの上に置いた、春子はちびりと酒を口にしながら首を傾げた。


「時計?」


「そう、男の子へのプレゼントなんだがどれがいいと思う」


貴子が一つ一つ箱を開けて春子に見せて来る、ロレックスにオメガ、カルティエにIWCと世界に名だたる高級腕時計がそば屋の安テーブルに並ぶ。総額で幾らになるのか見当もつかない。


「男へのプレゼントなら時計かネクタイがいいと雑誌に書いてあってな、さっきそこの時計屋で買ってきたんだが、どれがいいか決めかねてたんだ、選んでくれないか」


「また、高そうな時計だね、誰に贈るんだい」


「研究所に入った川崎きゅんへのプレゼントだ、時計くらい自作しても良かったんだが麻酔銃やレーダーを組み込むには時間がかかりそうだったからな」


貴子が自作したら余計な機能が満載となったであろう。


「この前秋子の部下だと言っていた子か、あんたの所では入社した新人にこんな豪華なプレゼントを贈るのかい」


ぺーぺーの社会人が身につけるにはちょっと分不相応ではと思いつつ、並べられたうちの一つを手に取ってみる、ずっしりとした質感がなかなか良い。


「いや、川崎きゅんにだけだぞ、彼は私にとって運命の人だからな、将来は私のお、お、夫となる予定だ」


目の前で顔を赤らめながらもじもじとする貴子に少し驚く、なんだ態度はでかいが意外と可愛い所があるではないか、純粋な色恋話なら自分としても協力するのはやぶさかではない。

結局春子はロレックスのコスモグラフ デイトナを選んでやった、軽く200万は超える代物だが春子は時計にはうとかったので単に格好良いと思ったものを選んだ結果だ。


「助かった、男性への贈り物など生まれて初めてだからな、迷っていたのだ。お礼に余ったの一つやるぞ、好きなの選べ」


「いや、こんな事位で礼には及ばんよ、それに時計くらい私も持ってる」


そう言って春子は懐から出したセイコーの鉄道時計を見せる、銀色のシンプルな懐中時計は春子には良く似合っていた。


「そうか、欲のない奴だな。じゃあ私はもう行くぞ」


「ああ、上手く行くといいな」


軽く手をあげて見送ろうとしたが、歩き出した貴子がくるりと春子に振り向く。


「ああそうだ、妹に変な物食わそうとするなって言っとけ、この前なんか毒々しいきのこ食わされそうになったぞ」


春子もこれには苦笑いしつつも素直に頭を下げた。



「秋子の奴、研究所でもそんな事してるのか、今夜は説教だな」









ブァン、ヴゥオン、ウオン!カチッ


体のラインがぴっちり出る黒のライダーススーツ、胸元のジッパーを引き下げれば窮屈そうに押し込まれていた双丘がブルンと存在を主張した。加藤貴子研究所のガレージで、秋子は愛車ホンダRC162のDOHCのサウンドを名残惜しげに止めた。

当時、革新的だった空冷4サイクル4気筒DOHCエンジンを搭載したレーシングバイクだが、なぜか貴子が研究所に持って来た代物で、色々いじった結果本人が乗りこなせないじゃじゃ馬になったせいで秋子が譲り受けたマシンだ。シルバーのカウルは取り外されライトとウインカーを追加してかろうじて公道で乗れる状態だ。


着替えを終えた秋子が調合室に顔を出せば、そこには白衣姿の川崎がすでに出社していたがあまり顔色が良くない。


「おはよう、川崎くん早いね」


秋子が挨拶すれば川崎がなにやら真剣な表情で秋子を見つめてくる。


「秋子先輩、僕と付き合ってください!!」


「は?」


「いや、付き合ってるフリでもいいんで」


どうした川崎くん、そう言うストレートな告白はお姉さん嫌いじゃないけど、随分と唐突だな、それにフリってなによ。


「落ち着いて川崎くん、何があったのか話してごらん」


「すみませんいきなり、でもちょっと加藤所長の対処に困ってるんですよ」


「所長に?」


川崎くんの話によれば、所長がセクハラストーカー女になっているらしい、仕事中何度も呼び出されたり、息を荒くしながらじ〜っっと見つめられる、夜中アパートの前の電柱の影に立っていたこともあるらしい。

う〜ん、所長拗らせちゃったかな、もしかして初恋なんじゃないかな。

でも、それで私が虫除け代わりに恋人のふりするのは、ちょっとなぁ、所長が可哀想過ぎる。


「でもいいじゃない所長結構美人だし、お金ももってるよ、付き合っちゃえば」


「う〜ん、美人と言えば美人なんですけど、僕あんまり派手な女性は……」


うわっ、頑張って始めたオシャレが見事に裏目にでちゃってるよ所長ぉ!


「昨日なんていきなりお小遣いだって札束渡されたんですけど、これってどう言う意味ですかね」


札束って、何してんの所長ってばどんだけ入れ込んでんのよホストクラブじゃないんだから、でもそれだけの軍資金があれば……欲しかったサイの角や冬虫夏草なんかも余裕で買える。


ゴクリ


「川崎く〜ん、今度のお休み、お姉さんとお馬さんを見に行きましょうか」


「はい?お馬さんですか」


「うん、少なくとも倍にしてあげる♡」


そう言って秋子は魔性の微笑みを浮かべた。嫌な予感しかしない。

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