第117話 元祖焼き鳥屋さっちゃん
夕暮れの温泉街に肉の焼ける香ばしい香りが漂う、肉の焼ける臭いは偉大だ、それだけで人は幸せな気分になれる。
焼き鳥さっちゃん、数年前に福岡からこの町にやって来た夫婦が始めた店だが、中々美味い鳥を食べさせてくれる店で私のお気に入りだ、とても仲の良い夫婦で店の名前は奥さんの幸恵さんから取って”さっちゃん“らしい。
ガラリ
「おじさ~ん、新人の歓迎会なんですけどいいですか」
私が声をかけると、頭に手ぬぐいを巻いたおじさんが角ばった顔で笑みを作った。
「おおっ、秋ちゃんなら大歓迎だ。嬉しいねぇ姉妹で贔屓にしてもらって」
「んっ、姉妹?」
おじさんの言葉に店内を見渡せばカウンターの隅でニラ玉を食べながら一人で飲んでる着物姿の春姉さんがいた。ここのニラ玉ってニラがシャキシャキしてて美味しいのよね。
「あら、春姉さんも来てたの」
「なんだ、秋子。今日は遅くなるんじゃなかったのか」
「だから、新人の歓迎会で遅くなるってことですよ」
春姉さんを見る、こんな美人が何を一人で堂々と飲んでるのやら、モテるくせにいまいち男っ気がないのよね、所長と良い勝負だわ。
「うわ〜、先輩のお姉さんなんですか、姉妹揃って本当に美人ですね」
姉さんとの会話に川崎くんが混ざってくる。
「ん、君は?」
「あっ、すいません、この度研究所に入った川崎桂馬です、武田先輩の下で働くことになりました」
「そうか、秋子の姉で春子だ。まぁ、変わった奴だがよろしくしてやってくれ」
「剣術馬鹿の春姉さんに変わってるなんて言われたくないですね」
「へぇ〜お姉さんは剣術をやってるんですか?」
「春姉さんは人類最強よ、けどその強さに臆してしまうせいで中々良い人が出来ないのよ、おっぱい大きいくせに。川崎くん立候補してみたら、おっぱい好きでしょ」
「な、た、武田先輩、そ、そんな」
もう、すぐに赤くなっちゃうんだから、でも視線はしっかり姉さんの胸に行ってるのバレバレよ。
「あら、お嫌い?」
「い、いや、けして嫌いではないですが、いきなりそんな」
「秋子、年下の男の子をからかうな、それより早く注文入れてやれ、おじさん困ってるぞ」
「あら、私とした事が、おじさ〜ん、日本酒にレバーとキンカン、ハツとぉ、白子か蜂の子ある?」
「ちょっと待て秋子、いきなり内蔵系ばかり攻めるな、お前だけが食べるんじゃないだろ」
私の注文に姉さんがいちゃもんをつけてくる。
「栄養は満点です」
「こら、なにをやってるんだ、川崎きゅんの歓迎会が始められんではないか」
「あ、所長」
ここでちょっと機嫌の悪そうな所長が割り込んでくる、うん、今日の格好だと焼き鳥屋さんでも見事に浮いてるな。
後、なぜに姉さんを睨んでるのだろうか、初対面よね。
「おい、そこの着物女、うちの所員を誘惑するのはやめてもらおうか」
「貴女が加藤さんか、妹に聞いていた印象とは随分と違うな、別に私は誘惑などしてないぞ」
この時春子は貴子の瞳に激しい狂気と言うか情念のような物を感じて思わず身構えた、かたや武術家、かたや科学者と立ち位置は違うが天才同士だけがもつ直感があったのかもしれない。
数瞬の睨み合いの後、飽きたのか貴子はさっちゃんの店主に向き直った。
「おい、おやじ、ロマネコンティはあるか」
「はぁ? なんじゃそりゃ、酒の名か?」
「おまえさん、ワインだよ、凄い高いんだよ」
幸恵さんがおじさんに助け舟をだす。
「はぁ、姉ちゃん、うちは焼き鳥屋だぞ、ワインなんてシャレたもんは置いてねぇよ」
「ぐぬぬ、じゃあウォッカは」
「おう、それは知ってるぞソ連の酒だな、ねえけどな」
「ほ〜らみたことか、牛子やっぱりレストランにしとけば良かったじゃないか」
所長が私に向かって文句を言ってくるが、エタノールでも飲んじゃう人が何を言うか。
「失礼だな姉ちゃん、同じ度数の焼酎ならあるぞ」
「ぷふぅ、う、牛子って、ぷふっ、ピッタリ」
「何笑ってるのかな、春姉さん。姉さんだって充分大きいでしょうが、知ってるのよ確か今のサイズは……」
秋子の言葉を遮るように首元に刀を突きつける春子、その動きは当の秋子以外誰も捉える事は出来ない速さだった。
「秋子、お前は公衆の面前で何を言おうとしている」
「ちょ、何で刀持ってるのよ!おまわりさんに捕まるわよ!」
「町長の許可は取ってある」
「町長連れてきなさいよ!お説教してあげるから」
まぁ、春子に生殺与奪の権利を与えては誰も敵わないので秋子の言い分ももっともである、そんな物騒な光景を見ながら児島は感心したように呟く。
「あれが武田春子さん、全然動きが見えなかった。流石、あの武田先輩に人外と言わしめるだけのことはある」
その児島の呟きを川崎が拾う。
「へっ、もしかして武田先輩も武術やるんですか?」
「武田家の中では嗜む程度と言っているが、とてつもなく強い、私も護身術を教わっている」
「ほ〜、まさに才色兼備ですね」
「それを言うなら文武両道、まぁ先輩は見た目も良いですが」
「こらっ、俺の店で喧嘩すんな!焼き鳥食わせねぇぞ!!」
剣呑な雰囲気が流れるがおやじさんの一言で霧散する、空腹には勝てない。
「「はい、すみませんでした」」
「では、我が研究所に降臨した川崎くんと、えっと誰だっけ、ん、船橋。を歓迎して乾杯!!」
所長のしまらない音頭でようやく歓迎会が始まる、名前くらいちゃんと覚えてあげて欲しい、船橋さんも気を悪く……でもないか、ずっと所長が書いた設計図を見ているけど研究熱心な人なのかな?
「いや〜、ここの焼き鳥美味いですね、とくにこの塩もも、僕焼き鳥はタレ派だったんですけどこれは美味い」
「良い肉は塩で充分、タレが好きなのはお子様な証拠です」
「いや、児島さんて所内で最年少なんですよね」
「ほら児島ちゃん、塩レバも食べなさい、レバーは鉄分が多いから貧血にいいんだよ、後皮はコラーゲンが豊富よ、食べて食べて」
「武田先輩、私レバーは苦手なんですけど」
「が〜〜〜〜ん、焼き鳥屋に来てレバーを食べないなんて、駄目よ児島ちゃん好き嫌い言ってちゃ大きくなれないわよ、きゃあ!」
「牛子ぉ〜、お前これ以上大きくなってどうすんだ、んん、お前本当にデカいな」
「ちょ、所長。あんっ、そんな強く」
児島ちゃん達と話ていると、いつのまにか後ろにいた所長にいきなり胸を揉まれる、良く見れば顔が赤い、酔ってる?
テーブルの上を見ればほとんど空になった黒い一升瓶が、ああっ!! あれって10年物の麦焼酎、度数42度の奴じゃない、いつの間に。
焼き場にいるおじさんを見ればサムズアップしてきた、あんたの仕業かぁ!
「ほれほれ、川崎きゅん、こんなものはただの脂肪の塊らぞ、ちょ〜っと柔らかくて重いだけで研究にはなんの必要もないんら〜、真の女性の魅力はなぁ、何だっけ?」
「所長、揉みながら話すのやめてください、もう、酒ぐせ悪いなぁ」
目の前でたゆんたゆんされた川崎は目のやり場に困る、困りながらも凝視してしまう川崎を責めるのは酷と言うものだろう、だって男の子だもの。
しばし秋子の胸を揉んでいた貴子だが唐突に敗北感を感じたのかじわりと目に涙をため始める、酔っているうえに案外撃たれ弱い所がある彼氏いない暦25年の女である。
「うわーーーんっ!!これで勝ったと思うなよーーーーーっ!」
突然泣きながら夜の町に走り去って行く貴子を見つめながら秋子は呟く。
「わけがわからん」
この日の出来事はこれから起こる事件に比べれば、ほんの序章にしか過ぎなかったのだが、秋子にしてみればセクハラされただけだった。
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