第116話 暴走の予感

人間は揺れる物を目で追ってしまう習性がある、特にお年頃の男子ならなおさらだ、だって揺れてるんだもの。



薬液の入った試験管を撹拌するために左右に揺らす、蛍光灯に照らされた薬液が混ざり合い徐徐に色合いを変えて行く。


川崎君の視線を強く感じる、主に胸元に。う〜ん、男の子ってなんでこうおっぱいが好きなんだろう、ちょっとからかってみようかしら。

中学の頃からこの手の視線にはもう慣れている秋子、実際には一つしか歳が離れていないのだが、完全に男の子扱いである。


「川崎く〜ん、これがそんなに気になるのかな〜?」


秋子は持っていた試験管をゆっくりと自分の胸の谷間にスルリと差し込んだ、白衣の下のブラウスはいつの間にか第2ボタンまで外されている。


「はうっ、す、すみません、つい」


「駄目ですよ、ちゃんと記録をとってもらわないと、後で再現出来なくなりますからね」


顔を赤くした川崎くんが素直にあやまる、下を向いて俯いてしまうが耳まで赤くなっちゃって可愛い、意外と初心なのね。


「この検体は後で遠心機にかけるから、冷蔵カートにしまっておいてね」


胸元から抜いた試験管を川崎くんに手渡せば、あわあわと慌てて落としそうになった。


あっ、温めてはいけない薬品でしたね、失敗失敗。





「それにしても凄い数を試すんですね、これ全部あの所長が考えて……」


試験リストをパラパラと見ながら川崎くんが感嘆の声をあげる、その膨大な数に吃驚している。


「色々試験を繰り返すのは所長の薬の効果を実証する為なの、けど大体間違う事はないから答え合わせみたいなものね、所長は答えは閃いちゃうけど途中の式が説明出来ない方だから」


「へ〜、凄い人なんですね、天才ってやつですね」


「天才などと安っぽい言葉では表す事は出来ませんよ加藤所長は、あの方は正に知恵の神メティスが人類に遣わした希望の使徒と言えますね」


「あら、児島ちゃん」


私達の会話に調合室にやって来た児島ちゃんが加わってくる、相変わらず所長への信仰心がだだ漏れね、お姉さんちょっと心配だわ。


「所長はどうだった?」


「体調不良で今日は休むそうです、珍しいですね研究所じゃなくて家に帰って休むなんて、ちょっと心配です」


「確かに、朝礼の時様子が変でしたもの、明日元気が出るお薬出して差し上げましょう」


「えっ、ここって家に帰れない程忙しいんですか?」


児島ちゃんの言葉に川崎くんが不安そうに聞いてくる。


「ああ、大丈夫よ、研究所に寝泊まりしてるのは所長と児島ちゃんぐらいだから、他の所員さんはちゃんとお休みもありますよ、優良企業です」


「寝泊まりって、それはそれで問題が。児島さんは助手なんですよね、つきあわされてるんですか」


「あの方の研究を一瞬たりとも見逃す訳にはいきませんから」


当然のように答えた児島ちゃんに川崎くんがちょっと引いている、結局この日は何回かの調合を行うだけで帰宅する事になった。そう言えば歓迎会ってどうするんだろう。







貴子のシルバーのメルセデスが中央通りにある白い建物の前に横付けされる、田舎では珍しいスポーツカーだけに道行く人々の注目を集めた。


百貨店巡りの末、店員に勧めらるままに服と化粧品を買い漁った、化粧水ってなんだ?アルカリイオン水じゃ駄目なのか、慣れない買い物はどうにも気疲れが酷い。

次に向かうのは生まれてから3回目の美容室、前回行ったのは高校の入学式の時だったか、いや中学生の時だったかな、ん、あれは美容室じゃなくて床屋だったか。

店に入れば研究所の臭いとは違うパーマ液の薬品の匂いに一瞬とまどうが、空いていたので待たされる事なく椅子に案内された。

今日1日で気付いたが、どうも私は、自分の理解を超える事態に直面すると、リセットして無かったことにしたがる思考傾向の持ち主らしい、注文の仕方がわからない。

仕方ないので今日何回目かの言葉を口にする。


「おまかせで」


「はいよ、あんた綺麗な顔してるんだから、こんなボサボサの髪じゃもったいないよ、まかせときな今流行りのヘアスタイルにしてやるよ」


私の後ろで美容師のおばはんが何か言っている、考えてもわからない事をぐだぐだ思考しても時間の無駄だ、少なくともこのおばはんもプロだ、美容室素人の私が自分でやるよりマシでおしゃれな髪型にしてくれるだろう。私も女だ一度「おまかせ」と決めた以上覚悟を決めよう。







次の日の朝、研究所に現れた所長の姿に遠沈管の入った投薬トレーを思わず床に落とす、カランコロンと足下に転がってくるが拾うのも忘れて呆然としてしまった。


長かった髪をばっさり切ってフレンチボブに、膝上10cmの真っ赤なAラインワンピース、バサリと音がするようなつけまつげ、耳元には大きなイヤリングがぶらさがっている、濃いめのアイシャドウに真っ赤なルージュ。


一瞬誰だかわからない変身ぶりだが、かろうじて白衣を着ていたので判断出来た、児島ちゃんなんか驚き過ぎて埴輪みたいな顔になっている。


「所長……。な、何かのパーティーのご予定でも?」


「な、何を言ってるんだ牛子、普段着だろこんなの、科学者たる者常に時代の最先端を心がけないとな、ハッハッハ」


「いやこの研究所は私の家みたいなもんだから、ジャージで充分」と言っていた所長がオシャレを……一体何がおこってるの、地球が滅ぶのかしら。

所長単品で見ればまぁ美人だし似合ってなくもないが、所内でそれは浮きまくりですよ、後メイクが派手過ぎです、明らかに化粧慣れしてません。


「ああ、そうだ。新人君、昨日はちょっと体調が悪くてね、休んでしまって申し訳なかった、今日の夜は君の為に歓迎会でも開こうじゃないか」


「は、はぁ、ありがとうございます」


「ハッハッハ、遠慮することはないぞ、か、か、川崎きゅん、どこかレストランでも貸し切るか。おい、牛子、予約してあるだろうな」


なんだろう所長の変貌ぶりに付いて行けない、本当にどうしちゃったの?


「いや、そんな予定聞いてませんよ、いつも歓迎会は近所の焼き鳥屋さんでやってるじゃないですか」


「なぬ、気が利かないなぁ牛子は、貴様は、胸に栄養取られ過ぎて脳みそ働いてないんじゃないか、我が研究所期待の新人君の歓迎会だぞ、幸恵のとこのしょぼい焼き鳥屋で済ます訳にはいかんだろ」


むむ、なんですってぇ、私の時なんか所内でワンカップ飲んで済ませたくせに、気分を害した私は所長を睨みつけた。


「い、いや、所長、僕は焼き鳥屋さんで充分です、皆でビールでも飲んで楽しくやりましょうよ」


「ん、そうか、か、川崎きゅんがそう言うのなら仕方ないな、それにして君は奥ゆかしいな、そ、そう言う男は嫌いじゃないぞ……そ、それじゃ研究があるのでこれで失礼するよ」


そそくさと自室に戻る所長に向かって恨みの籠った念を送る、すると慣れないヒールのせいかグキッと足首を捻って転びそうになっていた。


「えっ、私の所為じゃないよね」


「武田先輩、なんかすいません僕達の所為で……」


川崎くんが頭を下げて来る、おっといかんいかん、後輩に気を使わせてしまった。


「ああ、大丈夫よ気にしないで、所長が態度でかいのはいつもの事だから、さっ、昨日の続きを始めましょ」



でも今日のはちょっといつもと違ってたなぁ、まさかねぇ、あの所長に限って……。ふと川崎くんを見ると爽やかな笑顔を向けられた、



まさかねぇ……。

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