第114話 武田秋子
「まぁ、お座りよ。ちょっと長くなるからね」
婆ちゃんの言葉でソファーに座った僕達に、黒夢が紅茶を煎れてくれる、京香さんはちゃっかり僕の隣に座ろうとしてたが貴子ちゃんが強引に割り込んできた。
そんな僕達を呆れた顔で見ていた婆ちゃんが話し始める。
「貴子や児島は知ってると思うが、夏子の実の母は私の妹で武田秋子と言う」
「婆ちゃんの妹?」
「ふん、やたら乳のでかいクソ牛女だ」
「ちょっと変わった人でしたね」
貴子ちゃんがうげぇと嫌な顔をして児島さんは思い出すように言葉を発した、お知り合い?
「鉄は今の世の中、男性が激減した原因は知ってるね」
「あ、うん、教科書にも載ってるし、歴史の授業で習うからね、貴子ちゃんのせいでしょ」
僕はそう言って隣に座ってる貴子ちゃんを見た、目が合うと「いや〜それほでも」と呟きながら照れ笑いを浮かべた、いや、褒めてないし。
「失恋のショックで世界を滅ぼすなんて悪夢としか言いようがないけどね」
「鉄郎くん、女の執念は時に世界をも焼き尽くすんだよ」
すくっと立ち上がった婆ちゃんが貴子ちゃんの脳天に手刀を振り下ろす、鈍い打撃音がした。
「あうちっ!」
頭を抱えて悶える貴子ちゃんを無視する形で婆ちゃんは話しを続ける。
「で、このなんの反省もしてない馬鹿は、50年前に一人の男に振られたショックで世界を滅ぼそうとしたわけだが、その振られる原因に私の妹が関係してるのさ」
「はい?」
52年前、長野県松代。
春子には妹がいた、名を秋子と言う。顔は姉妹だけあってどことなく似ていたが、武闘派の春子とは違う優等生タイプでどこか線の細い色白な女性であった、そしてその胸はとても大きかった。
武田の美人姉妹と言えば当時地元では知らぬ者がいないほど有名であった。
若くして武田道場の家督を継ぐほどの腕を誇る春子、その快活な性格と美貌でよくモテたのだが、その化物じみた強さのせいでなかなか良縁には恵まれていなかった。
純和風の庭園に紺の道着に身を包んだ長い黒髪の春子が立っている、その手には朱鞘に納まった刀が握られていた。
その立ち姿は明鏡止水、実に凛として美しい、庭の池尻に咲く花菖蒲が霞むほどだ。
さわりと吹いた風で松の木が揺れてザザッと小さな音を立てる、その時閉じていた切れ長の瞳が開かれた、手にしてた刀を静かに抜くと右手1本で逆袈裟にゆっくりと振るった。
キン
納刀され鯉口から金属音が小さく響く、すると女性の前にあった石灯籠が真ん中あたりでゆっくりと斜めにずれてゴトリと崩れ落ちた。
それを見て春子は満足そうに微笑む。
「春姉様!!」
石灯籠の切断面を確認していると屋敷の縁側から自分を呼ぶ声で顔を向けた、そこには自分とよく似た顔立ちの女が眉間に皺を寄せて春子を睨んでいた。
美人な顔が台無しだと春子は思った。
「秋子、いつもそんな顔をしていると眉間の皺が戻らなくなるぞ」
「春姉様のせいでしょう、その石灯籠高かったのですよ、そんなに何かを斬りたかったら木こりか石材屋にでもなったらいかがです」
「おう、その手があったか」
「まったく、お父様に言いつけますよ」
「はは、お父さんは警備隊の仕事が忙しいからしばらく家には戻ってこんよ」
「姉様、お父様は警備隊ではなく自衛隊ですよ」
「お父さんは未だ警備隊と言ってるぞ?」
はははと笑いながら縁側に歩いて行くと秋子が手にしていたお盆に乗っていたコップを「どうぞ」と春子に差し出す、白い液体?カルピスか牛乳かと思いつつ一気に煽った。
「ぶーーーーーっ!!」
綺麗な虹がかかる。
「な、何を飲ませた秋子!! ど、毒か!」
「ぷろてひんと言う物らしいですよ、飲むと体が強くなるそうです、それに姉様に毒を盛るなんて…………しませんわ」
「何だ今の間は。にしても怪しげな物を飲ますな!」
「怪しくなんかありませんよ、勤めてる研究所の所長さんが作ったんです、なんでも筋肉が多くなるお薬らしいですよ」
「ん、あの百年に一人の天才科学者と言われてる者か」
「ええ、あの方は本物の天才です、その上とても美人なんですよ」
「ほう、秋子が言うんだから本当なんだろうな、お前より美人なのか」
「私とはちょっとタイプは違いますが、とても綺麗な方ですよ」
興味を引く話ではあったが所詮自分とは畑違いの人物だ、その時春子はさほど気に留める事はなかった。
「ところで秋子、このお茶請けはなんだ?」
「カブトムシの幼虫の唐揚げですよ、昆虫食は良質なタンパク質がとれて身体を動かすお姉様にはピッタリだと思いまして」
「食えるのか?」
「もちろん、外はカリッ、中はトロッとして美味しいです」
「いや、私も信州人だから蜂の子やいなごぐらいは食えるが、カブトムシはちょっとな」
「あら、好き嫌いはいけませんよ姉様、医食同源、外国の方は食べてらっしゃいます」
「いや、私日本人だしな」
秋子は食事に関してことさら栄養を重視する傾向があった、漢方にも詳しかったので昆虫はおろかは虫類や植物、野生の獣まで何でも春子に食べさせようとしてくる、善意でやっているので無下に出来ないのが辛い。しかも見た目を我慢すれば、味はそこそこなのがたちが悪いのだ。
長野市松代、皆神山の麓に一つの研究所があった、一人の天才科学者に目をつけた中国系企業がパトロンとなって建設された施設だ。
当時の長野は新幹線や高速道も開通してるはずもなく本当に田舎だったのだが、どこと取引してるのか隣県新潟からのトラックの出入りは激しく、近所では妖し気な建物と噂されていた。その研究施設に秋子は勤めている。
「だからある特定のテロメア細胞に投薬する事で実現可能だと思うんだが」
「いや、老化を抑制は出来てもそれ以上は不可能では、それより所長、本社から海洋プラントの設計はまだかと催促が来てるんですが」
「ああ、それならすでに終ってるから安心しろ、それより今はこの新薬だ、もうちょっとで思いつきそうなんだ、う〜〜ん」
研究所の食堂で白衣の女性二人が昼食をとりながら話をしている、一人は高校生くらいの女の子でキリッとした目鼻立ちをしている、もう一人は20代半ばで寝癖の付いた長い黒髪に眠そうな三白眼で頭を抱えて唸っていた。
そこにお弁当片手の秋子が通りがかり声をかけた。
「あら、児島ちゃんと所長が食堂で一緒に食事なんて珍しい、私もご一緒してもよろしいですか」
「武田先輩。私はかまいませんが……所長は」
秋子の挨拶に児島は反応を示すがもう一人は頭を抱えて唸ったままだ、こちらのことなど眼中にないらしい。
「ああ、いいわよ児島ちゃん、所長が何か考えている時はいつもこんなだから、それよりここにはもう慣れた? 所長の助手は大変でしょう」
「はい、大丈夫です。それに所長のような天才のもとで働けるのは光栄です」
「へ〜、流石にその若さでスカウトされるだけの事はあるわね、所長の助手って結構心が折れちゃう人が多いのよ」
「それはわかる気がしますね、私も最初は衝撃を受けましたし自分が凡人であると強く実感しました!」
「はは、所長と比べたら誰もが凡人よ、この人に着いていける人なんてこの世界にいるのかしら」
そう言って秋子がお弁当の包みを解くと、その香りに誘われたのか目の前に座る女性がようやくこちらに目を向けた。
「ん、牛か。なんだその弁当?薬の匂いがするぞ」
「おはようございます所長、薬じゃないですよ朝鮮人参とマムシの黒焼きのトッピングです、滋養強壮にいいですよ」
「薬じゃないか、美味いのかそれ?」
「ちょっと苦いですけど、体には良いですよ」
「ふ〜ん、ん、漢方薬か、使えるか?」
何か思いついたのかガタリと席を立つとそのまま自分の部屋に向かってツカツカ歩いて行く、秋子と児島は互いに目を合わせて肩を竦めた。
この研究所の所長こそ後に世界最恐のテロリストと呼ばれる加藤貴子その人である。
加藤事変のちょうど1年前の出来事だった。
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