第112話 当然の結末

130KM先のキャンディを目指してコロンボの屋敷を飛び出した3台のモンスターマシンは、まずワッタラの町に向かう、3車線ある長い直線道路を高速で北上していた。

一般車やあきらかに遅いトゥクトゥクの間を信じられないスピードでスラロームを繰り返す、オープンカーだけに風鳴りの音がゴォーっと途切れることがない。チラリと横目でスピードメーターを覗けば260と言う数字が見えた、まるで自分達だけが動いていると錯覚を起こす速度に鉄郎の顔が引きつる。


「流石にこのスピードだと風が巻き込むわね、鉄くんもサングラスかける?」


前を行く児島さんのポルシェのテールを見つめながら夏子が自分とお揃いのレイバンを白衣のポケットから取り出した。


「うん、かける。ちょっと風が目にしみる」


鉄郎が素直に自分とお揃いのサングラスをかけると夏子がペアルックみたいねと微笑んだが、鉄郎はちょっと嫌な顔をした。


「それにしても児島のやつ速いわね何馬力出してんのよ、ポルシェ相手に高速区間じゃ分が悪いか。それにババアにずっと張り付かれてんのも気分悪いわね」


山間部に入るまでは長い直線が続いている、児島はポルシェのパワーにモノを言わせ先頭を譲らない、反対に春子は夏子の後ろで沈黙を守っていた。


「婆ちゃんの車って遅いの?」


鉄郎が夏子に尋ねると返事はいつも胸元に付けている翻訳機のスピーカーから返ってきた、トランクの中の黒夢だ。


「パパ、お婆ちゃんの車は速いヨ、アッ、今音が変わっタ」


「えっ」


いきなりスピーカーから聞こえる黒夢の声に吃驚する鉄郎、黒夢は視覚の無いトランクの中だろうとセンサーと人工衛星からのデータを処理出来る。

見通しの良い川にかかる橋の上、バックミラーに映る春子のRX-7のボンネットに付けられたダクトから薄く白煙があがる、次の瞬間エキゾーストからオレンジ色の炎を吹きながら猛然と加速を開始する、ロケットのように加速して行く春子のテールを睨みながら夏子が舌打ちする。


「チッ、ナイトロか! ババア本気だな」


ナイトラス・オキサイド・システム(日本ではニトロの愛称で呼ばれる)、シリンダーに亜酸化窒素を噴射することで燃焼効率を上げ通常の約1.6倍の出力を得ることが出来るカーレースにおける必殺技だ。

ちなみに日本ではニトロの愛称からかダイナマイトの原料に使われるニトログリセリンを連想する者が多いがまったくの別物である、タンクの容量の関係で長時間の使用が出来ないなどのデメリットはある。




狂った猫のようにウギャーと唸りをあげる春子のRX-7、タコメーターはレッドゾーンギリギリ、スピードメーターは300に届こうとしていた、パワーに負けたタイヤが白煙を撒き散らすが加速するのをやめない。


「山間に入る手前、ここで頭に出とけば後はコーナー勝負、RX-7が有利だよ」


ナイトロでブーストされたRX-7が夏子どころか児島のポルシェも一気に捉えた、タンク容量の問題で使い所が難しいがそこは年の功、春子は絶妙なタイミングでトップに躍り出た。


「のわーーっ、抜かれたぞ児島!もっとアクセル踏めぇ」


「直線区間が終わります、春子さん、嫌らしい所で抜いてきますね」




市街地の広い車線が終わりを告げケーガッラの街に向けて山間部に入ると対抗2車線の勾配のきつい田舎道に突入して行く、抜ける様な青い空、南国らしくバナナやヤシが植えられた民家跡が両端に並ぶ道を爆音で震わせながら3台は進む。



ヴァボウ!


「いくよ、ついてこられるもんならついてきな!」


先頭の春子がハンドルを切りながらアクセルを踏み込む、この瞬間、春子は違和感を覚え自分の作戦ミスを悟った、今までの2ローターの13Bエンジンから3ローター20Bに換装したためフロントの重量が増し思うように後輪にトラクションがかからない、直線の多い区間では目立たなかった欠点だがコーナーが続くと立ち上がりの加速が伸びない。


「くっ」


これなら最初にトップに出て先行逃げ切りの方が有効だった、テストなしのぶっつけ本番だっただけに悔やまれるミスだ。


一般のドライバーなら気づきもしない差だが、ピタリと後ろにつけた児島はその隙を見逃さない、勾配のきついペアピンでリアエンジンのトラクションを生かして強引にアウトからかぶして行く。


「立ち上がりならポルシェは負けませんよ」


700馬力を誇る水平対向エンジンが野太い咆哮をあげる、するすると前に出る児島のポルシェを歯噛みしながら見送ることしか出来ない春子、その横にはいつの間にか夏子のS2000が並んでいた。


「くっ、バカ娘、いつの間に」


次のコーナーではインとアウトが入れ替わる、内側に並ばれた春子はなす術もなく抜かれることになった。横に並んだ時の夏子の勝ち誇った顔がいまいましい。


「さ〜て、ババアも抜いたしそろそろお母さん本気出しちゃうわよ」


「いや、出さなくていいから! 安全運転で!」


「ま〜かせて!!」


鉄郎の言葉にさらにアクセルを踏み込む事で答える夏子、鉄郎の身体がシートにめり込むような急加速を開始した、トランクの中からはゴンとにぶい音が聞こえた。大丈夫か?


「おい児島、夏子に張り付かれたぞ、もっと踏めぇ!」


「この路面ではこれ以上は踏めません、でも大丈夫この区間の道幅なら抜けませんよ」


サーキットとは違い一般道のアスファルトは大きなパワーを路面に伝える事が難しいのだ、ましてや田舎の整備がされてない道だ砂は浮いてるし道幅は狭い、通常なら抜こうなどとと考える事はない区間だ、児島も勝負は下りに入ってからだと思っていた。(サーキットの路面はかなりギザギザしていてタイヤが食いつくようになってます)


「ラインが甘いわよ児島」


右に抜けるコーナー両脇には短い草が茂っている、夏子は児島の横、車幅半分しか空いてないスペースにS2000の鼻面をねじ込んだ。


「ちょ、お母さん、そこ道じゃなーい!草むらに入ってる!!」


「や〜ね、タイヤ1本だけよ、残りの3本は道の上走ってるでしょ」


手首の動きだけで外側に加重を移した夏子は、右前輪を草むらに浮かしながら見事なドリフトを維持する、どっかの頭文字がF君なみのドラテクだ。鉄郎の真横ではいつも冷静な児島が驚愕の表情を浮かべていた、貴子も口をぽか〜んと開いている。


児島を抜き去った夏子の前にはもう誰もいない、ここからは夏子の独壇場だ、コーナー一つ抜ける度に児島との差が開いて行く、下りの区間が始まる頃にはミラーにポルシェとRX-7は映らなくなっていた。この化物め。


ギャギョーーーッ!ギャギャギャ


「パパ?」


しばらくして黙り込んでいた鉄郎に黒夢が声をかける。顔色がよろしくない。



「お、お母さん、車止めて、気持ち悪い」


「えっ、ちょっと待って後20キロくらいなんだけど」


「無理」


ケーガッラの街を抜け後20キロの地点で鉄郎と夏子を載せたS2000が路肩に停車する、道端でうずくまってケロケロする鉄郎、トランクから這い出て来た黒夢が背中をさすっていた。その横を心配そうに児島のポルシェと春子のRX-7が通りすぎる、いい大人がはしゃぎまくった結果だけに非常にばつが悪かった。

鉄郎の名誉のために言っておくと、夏子の本気運転に耐えられる人間なんぞ一握りだ、ラクシュミーなんぞ高速道路だけでギブアップしていたのだ、コーナーが続く山間部で鉄郎は良く持ったと言える。


こうして3台のレースはなんとも微妙な結末を迎えた、バベルの塔で待っていた京香が呆れ顔を浮かべる。


「だから、どうして貴女達はヘリで来ませんの? 馬鹿なんですの?」


「「「めんぼくない」」」


京香はまだふらつく鉄郎に肩をかしながら塔の中に入って行く、残ったメンバーは互いに「あんたがあんな運転するから悪いのよ」といい大人達が責任をなすり付け合うのだった。




「イラッシャイマセ、お姉様」


「精子のサンプル持ってキタ」


研究所の中で待っていた真紅しんくがちょこんと頭を下げる、黒夢は無表情にアタッシュケースを渡す、このサンプルがもたらす結果は世界を救う事ができるのだろうか。

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