第78話 交渉
武田邸の居間に僕の話声だけが響く、婆ちゃんは正座したまま何も言わず聞いてくれている。
「……と言う訳で、僕貴子ちゃんの国に行こうと思うんだ」
婆ちゃんが目の前で腕を組みながら、黙って僕の説明を聞いていたのだが、一つため息をつくと温くなってしまったお茶を一口飲んだ。
「鉄、私はねえ、いまさら世界がどうなろうとどうでもいいんだよ、そう言う絶望感は50年前に済ましているからね」
「婆ちゃん……」
「でもね、孫であるあんたの幸せだけは守ってやらなきゃと思ってるんだ、……本当にいいんだねあんなの (貴子)に付いて行って」
「婆ちゃん、僕だけが幸せになったってしょうがないよ、皆んなで幸せにならないと、その為にも貴子ちゃんに賭けてみようと思う」
「鉄郎くん任せて!! 人類は滅ばないよ、私がいる限り大丈夫!!」
スコーン!みぎゃ!!
婆ちゃんに刀の鞘でおでこを小突かれ、転げ回る貴子ちゃん、うん、君は今は黙っていようね。
「全ての元凶である貴様が人類を語るな、腹が立つ!!」
「いつつぅ、春子、過去を振り返るなよ、反省なんかで腹は膨れないぞ」
スコーン!みぎゃ!!ゴロゴロゴロ
うわ〜、懲りねぇな貴子ちゃん。
「鉄、本当にいいんだね、こんなのに賭けて……」
「ちょっと自信なくなってきたかも」
説明を終えると居間の空気が少し弛緩する。
「それにしても建国に人類救済ね、はあ〜、あたしの両手 (武力)じゃ救える人数にも限りがあるからね、鉄の方がよっぽど多くの人間を救うことが出来るんだろうさ、せいぜい頑張りな」
「はは、頑張るのは貴子ちゃんなんだけどね」
キキィーーーッ、バタム
「――おや、誰か来たようだね……」
外で車が止まる音が聞こえた、李姉ちゃんが私出ますねと玄関に歩いて行くが、すぐに困惑顔で戻ってくる。誰だったの?
「春さん、尼崎総理が……」
「お通ししな」
居間に通された尼崎総理はすぐさま、それはそれは見事なスライディング土下座をかましてきた。
ズシャーって言ったよ、ズシャーって吃驚したなぁ。
「春子先輩、この度は大変申し訳ございませんでした!!」
畳に頭を擦り付けながら謝罪の言葉を口にする尼崎さん、今回の件は政府としても苦渋の決断ではなかったのだろうか、貴子ちゃんが原因とは言え、こうして土下座なんかしてるの見るとなんか申し訳なくってきたよ。
真澄先生が小声で話しかけて来る。
「なぁ鉄君、あの土下座してんのって総理大臣さんやないの、なんで春子お婆さまにそんなお偉いさんが」
「ああ、婆ちゃんが軍にいた時の後輩なんだって、時々僕にもお小遣いくれるよ」
「はぁ〜、なんや鉄君が男性特区じゃなくて、ここ長野に住んでられる理由が判った気がするわ」
「顔を上げな、尼崎。大体の話はさっき鉄と本人から聞いたよ」
「済みません、多数決で押し切られてしまって、会議が始まる段階で根回しは終わっていたようで」
ここで貴子ちゃんが、ふふんと無い胸を張る、こいつは……。
「まあ、貴子の奴が派手にやってたからね、世界政府が危険視するのも無理ないさ、でも家の孫をこいつの生け贄みたいに扱われるのはちょっといただけないね」
「そ、それは……」
「ちょっと春子、生け贄なんかじゃないよ王様待遇だよ!」
スコーン!みぎゃ!!ゴロゴロゴロ
またしても転げ回る貴子ちゃん、それを見た尼崎さんが苦虫を噛んだような表情になって怒りだした。
「と言うか加藤貴子!! なんで貴女がもうここに居るんですか、交渉に一月は時間を頂いてた筈でしょう、今朝新潟の陸自から連絡受けて慌てて来たんですよ、これじゃあ私の面子丸つぶれじゃないですか!!」
「いや〜、こういうのは早い方がいいかなって、それに昔から言われてるじゃないか、恋という戦争ではあらゆる手段が許されるのだよ」
何言ってんだこいつって顔の尼崎さん、悪びれもしない貴子ちゃん。なんだ僕の移籍ってまだ正式に決まってたわけじゃなかったのか、どうりで事前に何も伝わってないのかとは思ったんだよな、結果尼崎さんとしては事後報告になってしまったわけか。
パチンと婆ちゃんが扇子を閉じる。
「尼崎、鉄はこの馬鹿の作る国に行くことに決めたみたいだよ、まったく健気じゃないか、貴子の暴走を自分の身を呈して止めようって言うんだ…………でだ、政府としてはそれに対してどんな対応をしてくれるんだい」
あっ、婆ちゃんとお母さんがニヤリと悪い顔してる、僕の身体の秘密は隠したまま交渉する気だな、尼崎さんごめんなさい、まだ僕が男の子製造機だって事を話すわけにはいかないんです。
「ええっ、本当に鉄郎君!! そりゃ日本政府としてはこんなにすんなり行くと助かりますけど、本当にいいんですか?」
う〜ん、ここは婆ちゃんに乗っとくか。
「尼崎さん、僕が行けば貴子ちゃんは大人しくしてくれるし、技術の提供も惜しまないって言ってます、平和な日本を作る為に僕は貴子ちゃんの国に行きます!!」
「……て、鉄郎君、ありがとう。 不甲斐ない総理でごめんね、君みたいに良い子をあんな奴の所為で……」
お礼を言いながら涙ぐむ尼崎さん、やばいちょっと罪悪感が半端ない。
「……なんか私、凄く悪者扱いされてないか?」
「なにを今更、貴子さまは政府にとって危険物以外の何者でもないでしょう」
貴子ちゃんと児島さんがコソコソと話してると、婆ちゃんがそれを遮るように声を出す。
「私もさっき事情を聞いたばかりだからまだ何とも言えないが、鉄に付いて行こうって者も何人かは出て来るだろう、さしあたってそう言う連中の渡航費や生活費は政府で出してもらえるんだろうね」
「そ、それは勿論、安心して下さい、それぐらいの費用は政府からいくらでも出させますよ」
へっ、僕に着いて行こうって人って身内以外では、婚約者の真澄先生に京香さんも着いて来るって言ってたか、うわ〜その辺のお金を政府から出させようって言うのか、婆ちゃんも結構したたかだな。
でも考えて見れば外国に無一文で渡るわけには行かないもんな、僕も向こうに行ったらいっぱい働いて、生活費くらいは稼がないと真澄先生に愛想尽かされちゃう、頑張らなきゃ。
決意も新たに拳を握る鉄郎だったが、現実はその想像の上を行く、明くる日九星学院に転校の手続きをしに行った鉄郎を待っていたのは、春休み中だと言うのに全校生徒が校門にズラリと集まる風景だった。
鉄郎が生徒達を前に呆然としていると、クラスメイトで委員長でもある多摩川 忍が駆け寄ってくる、今日も三つ編み似合ってますね。
「鉄郎君、今朝生徒会長からラインが入ったんだけど、外国に転校するって本当なの!!」
藤堂会長から。そっか、皆にお別れくらい言わなきゃいけないよな、流石藤堂会長だ、そこまで頭が回らなかった、この機会を設けてくれた事に感謝しないと。
「うん、本当なんだ、ごめんね卒業までいられなくて、忍さんには、この1年間随分と世話になって本当に感謝してる、ありがとう」
「そ、そんな〜、いきなりそんなのって無いよ、鉄郎君が居なくなったら、私達これから何を生き甲斐にしたらいいの!!」
ガクリと膝をつく忍さん、後ろの女生徒達からも嗚咽の声が聞こえる。
「いやーーーっ!! でちゅぐん、お願い、いがないでぇ!!」
「せっかく、仲良くなれてこれからが本番なのに」
「神よ!これは何の罰ですか!」
「せめて後2年! それまでは転校を待って〜〜っ」
一斉に泣き出す女生徒達はちょっと怖いものがあるが、それだけ僕との別れを惜しんでくれてると思うと、こっちまで涙腺が緩くなってくる、あと最後の人、それじゃただの卒業だからね。
この1年間は本当に楽しい時間を過ごさせてもらった、男としてせめて最後くらい笑顔でお別れを言おう。周りを取り囲む彼女達に改めて向かい合あう。
「皆さん!! 今まで…」
「皆さん、落ち込んでる暇はなくってよ!!」
僕のお別れの言葉が凛とした声に遮られる、えっ、この声って藤堂会長? 後ろから聞こえたその声で女生徒達が二つに別れて道を開ける、玄関の方からツカツカと歩いてくるのは生徒会の赤いブレザー、やはり藤堂会長だった。
僕の前で足を止めた藤堂会長がニコリと爽やかに微笑む、なんか今日は一段と凛々しい感じがする。
「おはようございます、鉄郎さん」
「お、おはようございます、藤堂会長」
あれ、なんだろうニコニコと笑う会長から凄いプレッシャーが、なんか嫌な予感がする。
「え、なんで会長あんなに冷静なの、鉄くんが居なくなったら一番取り乱しそうなのに」
「しかもなんか笑ってるんですけど、ショックで頭おかしくなっちゃったのかな」
「か、会長、鉄郎くんが転校しちゃうんですよ、これで落ち込むなというのは無理ってもんです!!」
「全校生徒で転校反対の署名を集めて、嘆願書を出しましょう!」
藤堂会長は騒ぎ出す生徒達を一瞥すると、呆れたように話し出す。
「この学院の生徒とあろうものがおたおたと情けない、鉄郎さんが転校するのなら付いて行けばいいだけのことでしょう、そんな覚悟もない者はそのまま落ち込んで校庭で埋まっていなさい」
「「「「えっ」」」」
「彼に付いて行く気があるならすぐに留学の申請を出しなさいな、今なら政府から資金が全額支給されますわ、理事長が何人許可するかはわかりませんけど」
「「「「えぇーーーーーーーーっ!!!!」」」」
ザワザワザワ
「ちょ、マジ、ちょっとお母さんに電話してくる」
「留学申請書って理事長が持ってるの?」
「鉄くんってどこに転校するんだっけ、英語話せなきゃ駄目?」
「早い者順なの、急がなきゃ!!」
「いやいや、ここは成績順でしょ」
「なに言ってんの、最後に立っていた者が勝者よ!」
「…………」
蜘蛛の子を散らすように皆んながこの場から居なくなる、いや、ちょっと、これじゃ転校と言うより移民に近いんですけど。そんなに大勢で留学したら学校潰れちゃうんじゃないの。
その場にとり残されたのは僕と会長の二人、ああ、李姉ちゃんもいるか。正直この展開に頭がついてこない、え〜となんて言ったらいいんだ。
「ふふ、鉄郎さん。私、本気ですわよ、あんな年増供に好きという気持ちでは負けませんわ」
いつになく妖艶な雰囲気で藤堂会長が迫ってくる、貴方のお母さんも時々そういう表情しますよ、って、えっ。
チュッ
「「なっ!」」
「これで一歩踏み出せましたわ、わ、私のファーストキスですのよ、そ、それではまた向こうでお会いしましょう」ダッ
呆然、また女性の方から奪われてしまった。唇に残る柔らかな感触、顔が真っ赤になって去って行く藤堂会長、僕の後ろで般若の顔をしている李姉ちゃん、校舎の方からも寒気がするような視線を感じる、まさか真澄先生、今の見てないよな。
「どうしてこうなった……」
一方、校舎の中で鉄郎と生徒達の別れを、大人の余裕で暖かく見守ろうと廊下で見ていた住之江であったが、思わぬ展開にあの場に居なかった事を悔やんでいた。
「あんの藤堂のジャリガキ!! うちの鉄君になにしてけつかんねん、後で上書きせなあかんな」
武田邸では縁側で貴子と春子が呑気にお茶を飲んでいた。
「ワーハッハ、物事がトントン拍子に進む様は快感だな。ところで春子は日本に残る気はないのか、ほら、この家って持ち家だろ、離れるのはまずいんじゃないか」
「今更日本に未練はないよ、この家は尼崎にでも管理させるさ、なによりあんたのお目付役が必要だろ」
「え〜っ、春子まで来ちゃったら日本にいるのと同じじゃないか、嫁いびり格好悪いぞ」
「ふん、だれもあんたを嫁と認めた覚えはないよ」
「くぅ〜っ、ままならない……」
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