第77話 女の意地

屋敷の門を潜る。


「婆ちゃん、ただいま〜」




「あ、て、鉄君お帰り、は、早かったわね」


玄関で僕達を出迎えたのは、バイクで先行して家に戻っていたお母さん、ん、その手に持ってる氷は何? なにやらキョロキョロと目線を泳がせて怪しい雰囲気だな、婆ちゃんはどうしたんだ。


「お母さん、婆ちゃんは? それにその氷の袋は?」


「えっ、ババアなら居間に、こ、この氷は喉が乾いちゃったから冷たいものでも飲もうかな〜と」


未だ目を泳がすお母さんに何かを隠していると直感が告げる、僕は靴を乱暴に脱ぎ捨てると婆ちゃんのいる居間へと急いで駆け込んだ。

そこで目にしたものは……。


「婆ちゃん!」


「おう、お帰り鉄、なんだいそんなに急いで」


居間に敷かれている布団、傍らに座る婆ちゃん、ん、誰か寝ているのかな。


「へ、鉄君!! ちょい待った、今はあかん」


「その声、真澄先生? えっ、どうしたの具合悪いの」


「あっ、こら鉄」


慌てて布団に駆け寄ると、真澄先生が布団に包まって丸くなる。あちゃーとばつが悪そうに顔に手を当てる婆ちゃん、ガヤガヤと貴子ちゃん達も続いて居間に入って来る。


「真澄先生、ねえ、どうしたの、お腹痛いの、お願い顔を見せてよ」


「うぅ〜〜〜っ、笑わへんて約束して、それやなかったら今は嫌や」


布団の中からくぐもった声でそんな事を言ってくる、貴子ちゃんが興味深そうにこっちに寄ってきた。


「僕が真澄先生を笑う訳ないじゃないか、ほら出て来てよ」


僕のお願いとギャラリーが増えたことに観念したのか、おずおすと布団から出て来る真澄先生、その顔は左の頬が真っ赤に腫れ上がって酷く痛々しいものだった。なぜか僕以外の人達は、その傷を見ても大して驚かない、李姉ちゃんなんか「ああ〜」とか言って何か納得したような表情をしている、何か知ってるの?


「くーーーーーっ、プププ、デカ乳、その顔、プププ」


顔の腫れた真澄先生を見て貴子ちゃんがゲラゲラと笑う、流石に腹が立ったのでキッと睨みつける、まったく貴子ちゃんはそう言う所がデリカシーに欠けていて駄目だ。


「一体どうしたのその顔、凄い腫れちゃってるよ、ま、まさか誰かに殴られた」


「あっ、ちゃうねんこれは!! 仕方ないんや、ちょっと稽古しててん、そん時にちょっと怪我してもうただけやねん」


「稽古? ちょっと良く見せて」


そっと顔に手を当てて近寄って傷跡を見る、至近距離で見つめると先生は赤くなってあうあうと声にならない、よほど痛いのだろう少し目が潤んでいる。

明らかに殴られた跡、さっきの怪し気なお母さん、まさか……。


「お母さん!!」


「ひゃい!」


「まさかと思うけど、これってお母さんがやったんじゃないよね」


「て、鉄君、こ、これはね、ごめ……」



「ちょい待ちい鉄君!! これは女同士のけじめの問題や、そやから鉄君と言えど口は出さんといてや、うちも納得しとることやねん」


「真澄先生……」


なぜか真剣な顔でお母さんの言葉を遮る真澄先生、2人の間で何かがあったという事は確実だ、でもそれは僕が口を挟んではいけない事らしい、これ以上何も言うなと目で訴えてくる真澄先生を無視することは出来なかった。


わかった、もうその事について口は出さない、2人の間で決着していることなのだろう、だから僕は何も言わずそっと真澄先生を抱きしめる事にした。


「「「なっ」」」


「て、てちゅくん」


「わかった、もう何も言わない、でも今度何かあったら、その時は僕に言ってね絶対に守るから」


抱きしめながら耳元でそう囁くと、「うん、わかったぁ」と小さな声が聞こえた、良し、まずは婆ちゃんと真澄先生に貴子ちゃんの国へ行く事を説明しなきゃいけないな。




抱き合う鉄郎達を見せつけられたギャラリーは……


「な、なあ、あのデカ乳教師は夏子お母様に殴られて当然じゃないか、なんかアイツだけ狡くない?」

「そうね、私もちょっと殺意が生まれたのを感じたわ」

「今度は殴る時は顔はやめといた方がよさそうね」(反省ゼロ)

「男性に守るからとか言われるの、ちょっといいですね、そそられます」


「あんた達……」













松代総合病院1階、レストラン交響曲。


「あ、院長いらっしゃいませ。珍しいですね、今日はお嬢様もご一緒ですか」

「まあね、ほうれん草のクリームパスタを二つお願いできるかしら」

「は〜い、すぐにお持ちしま〜す」


ウエイトレスが元気よく厨房に消えて行く、病院という場所ではああいう明るい娘はありがたい。

中庭の見える窓際席に、テーブルを挟んで京香とリカが腰を下ろす。ここレストラン交響曲は入院患者はもちろん、お見舞いに訪れた者にも好評の食事処だ、院長である京香の肝いりで力を入れているだけに味は保証済みである。


席に座り、運ばれてきたパスタを食べていると京香がリカに問いかける。


「で、リカ。貴女はどうなさいますの?」


「お母様は、本当にケーティーさんの作る国に行くんですの、この病院は……」


「ええ、鉄ちゃんのご指名とあらば、女として行かないわけにかないでしょう、この病院は妹にでも託すわ、それになんか楽しそうじゃない」


人類滅亡という、この数年続いていた閉塞感から解放されたからか、京香は満面の笑みで答えた。


「ぐっ」


リカはグリーンノアでの出来事を思い出す、住之江が鉄郎の婚約者になっていた事にも凄く驚いたが、その後にケーティー貴子が国を作る、いやもうケーティーとは呼べない、加藤貴子か、そして事も有ろうに鉄郎を国王として迎えると言う。

それだけでは驚かせ足りないのか、鉄郎が人類存亡の鍵を握っているなどと、目の前の母親が言っていた。驚きの連続、一体なんの冗談かと思う。


だが一番ショックを受けたのは、あの場で鉄郎に婚約者の住之江以外で、肉体関係を持っていいと思うのは誰かと問いただした時のことだ。


以下回想。




「じゃあ、鉄君はこの中で誰とだったら、そう言う事出来そうなの?」


「えっ、こ、この中で」


「「「「さぁ、言って!」」」」


「……ま、真澄先生以外で……どうしてもと言うのなら……り、李お姉ちゃんか、京香さん?」


「「「なっ」」」


「鉄君♡、やっぱり私の事選んで♪」


「あら、私ですの、あらあら」


鉄郎さんの言葉でその場が一瞬凍り付く、お母様と麗華さんは頬を赤く染め、ケーティーさんはがくりと膝から崩れ落ち、夏子さんはムンクの叫びのポーズをとる。

私といえば、声も出せずに呆然としてしまった。……麗華さんは仕方ないとしても、な、なんでお母様。


「鉄君ちょっと待って、麗華は百歩譲って、いや譲りたくないわね、後で覚えてらっしゃい!! それより京香ってどう言う事よ、なんでお母さんじゃないの!!」


「いや、そこでお母さんだけはありえないでしょ!! それにまだ、もしもの話だよ」


「鉄郎くん、私は!! 超絶可愛い美少女の貴子ちゃんは!!」


「流石に幼女は……ねえ」


「グガ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン、くっ、じゃ、じゃあ大きくなったら考えてくれるんだね、絶対だからね、約束だよ!!」


「私はいつでもOKですよ〜」


「黙っとれ、ビッチインド人!!」


「ひどっ」


「鉄郎さま、そこで私や藤堂リカさんの名前が無いのは、どう言った理由かお聞かせ願えますか?」


ハッ、スーツ姿の綺麗な娘の言葉で我に返る。そ、そう、そこですわ、なぜ私ではなくお母様なのですの。ホワイ?

それにしてもこの娘、あの時廊下にいた黒の組織の……。凄い迫力ですわね、目が怖いですわ。


「えっ、だってそれは、児島さんも藤堂会長も綺麗過ぎて僕なんかにはもったいないし、高嶺の花と言うか、気後れしてしまうと言いますか」


「ほほ〜う。それはこの児島が鉄郎さまが手を出すのを躊躇してしまうほど綺麗で、そこの乳がデカいだけの麗華さんや、若く見えるだけの京香さんならお手軽でチョロいと言う事でよろしいですね」


「な、なんか言葉に刺がありますね児島さん、怒ってます?」


「いいえ、決してそんな事はございませんよ」ニコッ


「うわ〜、分かりづらい、どっちだ〜」


「ふふ、ようするに鉄郎さまは、強そうに見える方や、優しそうに見える女性がお好みと言うことでですね、わかりました、いずれ時間をかけて私の良さは証明してみせましょう」


「あ、やっぱり怒ってますよね」



回想終了。




くっ、思い出したら涙が出てきましたわ。でも鉄郎さん、私の事綺麗で高嶺の花って言ってくださいました。そこが嬉しいやら悲しいやら。


「私がもう少しだけ不細工に生まれてきたならば、ああ、今程自分の完璧な容姿と性格を恨んだことはありませんわ!!」


「リカ、貴女、私に喧嘩売ってますの、それに勘違いしないでくださる、私が鉄ちゃんに選ばれたのは日頃の努力の賜物ですわ」


「どう言う意味ですの?」


「鉄ちゃんはこの時代には珍しいとても情の深い子ですわ、ですから仲良くなった女性にはどうしても心を開いてしまう、ですからスキンシップがなにより大事なのです、そのために私は何度も何度も鉄ちゃんと電話して、検査のたびに2人きりでお話して、誕生日にはプレゼントも送ってますの、リカとは親密度が違いますわ」


「お、お母様。私に内緒で何してますの、なんで鉄郎さんの誕生日まで知ってますの、ずる過ぎですわ!!」


「医者ですもの、それくらい聞き出せますわ」


「職権乱用ですわ!!」


お母様がニコリと優しく微笑む、その上から目線の笑顔、ちょっとイラッとしますわね。


「リカ、婚約者となった住之江先生を見習いなさい、貴女に足りないのはそういった貪欲さですわ、恋愛においては、とにかく一歩前に出ることが敗者と勝者をわけるんですのよ」


「うぐっ、確かに、教師のくせにあの図々しい押しの強さは、生徒の私達でも引くくらいでしたわ、あれが勝利の秘訣」


考え込む私にお母様は言う。


「私は後一月程で病院の引き継ぎ業務を終わらせて、日本を立ちます。それまでに自分がどうするべきかじっくり考えなさい」



「わ、私は……」

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