第6話 夏子
近くに大きな川が流れているせいか、寒くなるこの時期は朝は霧が出ることが多い。
冬の日の出は遅い上にこの霧だ、朝の5時でもまるで夜中のように暗い。二度寝するのを我慢して起き上がり、薄暗い廊下を抜けて台所の扉を開けると冷たい床が出迎えてくれた。
「冷た。え〜とスリッパ、スリッパ」
古い造りの家だけあって、勝手口の有る台所は冷気が溜まりやすい、軽く腕をさすりながらコンロに火をいれて味噌汁の準備を始める。
「さて、今朝は温泉卵にほうれん草のおひたし、味噌漬けの鮭でいいか。よっと」
冷蔵庫から卵数個とほうれん草を引っ掴むと、勝手口を出て外にある温泉を貯めてある大きな桶にざるごと沈ませた。
温泉街の外れに建っているこの家は温泉を自宅に引いている、かけ流しで杉造りの大きなお風呂は、祖母春子の自慢で鉄郎もとても気に入ってる、まぁその大きな風呂のせいで、李麗華が一緒に入ろうとするのは問題だが。
全裸で手ぬぐい1枚で入って来て護衛も何もないだろうに。
茹で上がったほうれん草と卵を今度は冷たい井戸水にさらしていると、真っ白な霧の中から麗華が現れる。ニコニコと新聞片手に朝からご機嫌だ、昨日の酒は残っていないようだ。
「鉄君、おはよー。昨日の新聞配達の生足姉ちゃん、私が取りに行ったらガッカリしてた。ニシシシ」
「?、平山先輩が」
「あからさまに、がっかりしてたから、これからは私が新聞係になりましたって言っといた。あれは新聞配達辞めるかもしれないな」
「もう、学校の先輩なんだから、いじめないでくださいよ」
「大丈夫! 明日鉄君が新聞受け取りにいけば、絶対にあの女は辞めない!」
「なんですかそれ?」
「ん、鉄君。しっ」
麗華が人差し指を口に当てて「静かに」とジェスチャーをとる、すると遠くから音が聞こえてくる、エンジン音だ。
プァーーーーンッパンパン!パンパンパンッ!パリパリパリ!!!
甲高い爆音が国道の方角から段々と近づいている、速いな。
「あ、曲がった、こっち来る。これって……」
小走りで玄関の門まで行くと霧の向こうから1つ目のヘッドライトが近づいてくる、あまりの爆音に二人して耳に手を当てる。
近所迷惑も
赤いフルフェイスのヘルメット、青と白に塗り分けられたレーシングマシン、ラインの出るピチッとした革パンツそして白衣?
ライダーがエンジンを切ると辺りに静寂が戻ってくる、おもむろにヘルメットを脱いだと思えば中から黒髪のボブカットが現れた、長身でスレンダーな美女だ。
「良し! 78分新記録だわ。うわっ、白衣が摩擦熱で焦げ臭い、まだ熱処理が甘いわね」
鉄郎達がそりゃあ、そんな白衣でバイクに乗ったらそうなるわと思いつつ見ていると、向こうもコッチに気がついて目が合う。
3秒時が止まる。
※高速道路をバタついた服を着てバイクで走ると摩擦で服が熱を持つことが有ります。
「て、て、て、鉄く〜〜〜ん!!! お母さんのお出迎えに来てくれたの!! うれし〜〜っ!!」
ジャリっと地面を蹴ったかと思えば、一瞬で距離を詰められ強烈な体当たりを食らう。
「鉄君、鉄君、鉄君。はぁ〜良い臭いがするよぉ、はぁ、はぁ、はぁ、首筋なめていい? いいよね、だってお母さんだもん」
自分の息子に抱きつき興奮しだす母夏子。一人の変態淑女参上である。ちょ、本当に首筋なめないで!!
ちょっと焦げ臭いうえに空気抵抗の少なそうな胸のこの女性、鉄郎の母夏子42歳だった。
こんな変態母でも新世界政府医療部門の所長である。
ガラッガラッ!!
「空襲か!!!」
祖母春子がまだ寝癖を直していない頭のまま玄関から飛び出してくる、手には愛刀来国長が握られている。
麗華が指差す方を見てみれば、孫に襲いかかっている白衣姿の変態女がいた。(春子視点)
状況を理解した春子がツカツカと二人に近寄り、鞘の付いた刀で夏子の頭をスコーンとぶっ叩く。
「このバカ娘! あんたはカミナリ族かい、朝っぱらからなんて爆音出してんだい! 近所さんに迷惑だろ!!」
「痛いわね〜。大丈夫よ!! 田舎の婆さんは早起きが多いから」
「びっくりしておっ死ぬわ!」
今朝の朝食は夏子も加えた4人で食卓を囲む、祖母春子はしかめっ面をしたまま、ほうれん草のおひたしを口にしている。
鉄郎の横にピタッと寄り添っている夏子はといえば、自分の息子の手料理にだらしない笑顔を浮かべている。
麗華はいつもよりおとなしく、もそもそと鮭のみそ焼きをかじっていた、どうも夏子が苦手なようだ。
「バイクなんかじゃくて、新幹線で来ればゆっくり休めるのに」
「あんなもの6時過ぎないと動かないじゃない。私は鉄君と一緒に、鉄君が作った朝ごはんが食べたかったの」
ズズッ
「ん〜〜っ。鉄君のお手製お味噌汁美味しいーっ、これ飲むだけでもバイクかっ飛ばして来た甲斐があるわーっ!」
「ふん、食ったらとっとと東京に戻れ、バカ娘」
「あぁ〜っ、なんか言ったかババア」
カシュンと白衣の懐から一瞬で伸縮警棒を取り出す、夏子。
「そんなナマクラで私とやろうってのかい。出直してきな」
目にも止まらぬ居合抜きで刀を抜き去り、切っ先を突きつける春子。
二人の間でバチバチと視線がぶつかり合う。
麗華が一瞬ビクッとしたが、武器を持った二人を止められるほど命知らずではないらしい、彼女の危険察知能力は高い。
一流の武術家は危険な事には近づかないのだと、どっかの合気道家も言っている。
「もう! 二人とも行儀が悪いよ、食事中でしょ」
「ふん!」
「鉄く〜ん、私は悪くないのよ。でもでも、このババアが!」
「おかあさん……」
「うっ、ごめんなさい」
「それじゃあ、僕学校に行ってくるから。もう喧嘩しちゃ駄目だよ。李お姉ちゃん車お願い」
「えぇ〜!! 鉄君、今日は学校お休みしよう。お母さんと一緒にお風呂入ったり、添い寝したり、色々(エロエロ)な事をしましょう!!」
息子の足にしがみつき色々駄目な発言をする女性がそこにいた、僕の母だった。
この世界の女性と言うのは20歳を超えたあたりから肉食度が上がる傾向がある、色々知っちゃうと我慢がきかなくなるのだろか、肩こりを知らなかった外人さんに肩こりを教えたら肩こりするようになったと言う話にちょっと似ている。あぁ〜知らなきゃよかった!誰だよ肩こり教えたの。
「あ、なんか怖いんで遠慮します」
「じゃあ、じゃあ、お母さんがバイクで学校に送ってあげる」
「あのバイク、一人乗りじゃないの?」
「鉄君がぎゅ〜っ! ってしがみついていれば大丈夫! 速いのよアレ、学校までなんてすぐよ、すぐ」
まぁ、一月ぶりの再会だ、これぐらいはしないと拗ねちゃうかと軽い気持ちでOKを出す。
「お母さん。それじゃあ送ってくれる」
「オッケー! お母さんにおまかせあれ〜!」
いくら美人でも40超えて横ピースでてへペロはやめなさい、息子としてコメントに困る。
こうして母夏子と学校に行く事になった。
そう言えばあの学院、バイク通学禁止だったな、送迎だからいいのか?
学院の送迎用ロータリーの前で全校生徒450名が、鉄郎の登校を今か今かと待っている。
今日の鞄係は3年生のメガネを掛けたおとなしそうな娘だった、緊張の面持ちで時計を確認すれば8時15分。そろそろ鉄郎が来る頃だ。
「えっ、なにあれ?」
そのロータリーに落雷のような爆音を轟かせ1台のバイクが横滑りで突っ込んでくる、あまりのスピードに逃げる事も出来ず呆然と立ち尽くす女生徒達。バイクは彼女達の目の前で白煙を漂わせて停車する。
「鉄君、学校着いたわよ。ね、速かったでしょ」
ヘルメットを脱いで自分にしがみつている鉄郎に話しかけるが反応がない。
呆然と立っていた女生徒達も再起動を果たし、後ろの鉄郎に気がつく。
「「「「「「「鉄郎君!?」」」」」」
フラフラとしながら鉄郎もバイクから降りて夏子に言う。
「お母さん、速すぎ。ウプッ」
「「「「「「お母さん!!?」」」」」」
鉄郎の母の登場に衝撃を受ける女生徒達、途端にざわめきが広がっていく。
「うそっ、あれが鉄郎君のお母さんなの?若すぎない」
「でも、あの黒髪。キリッとした目元も似てるかも」
「なんで白衣?」
「美魔女だ…」
いち早く動揺から立ち直った藤堂リカが一歩前に出てくる、生徒会長の肩書きは伊達ではない。
「あの、鉄郎さんのお母様ですか?」
「あぁん、あんた誰?」
夏子が鋭い眼光でリカを睨む。
「ヒッ、わ、私、この学院の生徒会長をしてます、藤堂リカです。鉄郎さんのお母様に会えて光栄ですわ」
「ふぅ〜ん、生徒会長。じゃあ生徒代表として貴女に言っとくわ、私の鉄君に手出す奴は潰すわよ!」
夏子の目に本気を感じ取ったリカは、コクコクと頷くしか出来なかった。
「何この人、超怖いんですけど」
周りで聞いていた生徒達の顔も一様に青ざめる。
「お母さん、皆良い人ばかりなんだから、そんな事言わないの」
「鉄郎さん♡」
鉄郎のフォローに喜びをみせるリカ、対称的に夏子は膨れっ面をみせる、非常に大人気ない。
「まぁいいわ、一応釘は刺せたみたいだし。お母さん先にババアの家に戻るわね。帰りもちゃんと迎えにくるから絶対に連絡入れるのよ」
言いながら鉄郎の頬にチュッとキスマークの止めを刺し、バッハハーイとアクセル一発、綺麗にスピンターンを決めた夏子が嵐のように去って行く。鉄郎以外はポカ〜ンとした表情で走り去って行くバイクを見つめるしかなかった。
「なんか、凄」
平山智加がポツリとつぶやく事で日常の空気が戻ってくる。
「はっ、鉄郎さん。おはようございます」
「おはようございます藤堂会長。すいません騒がしい母で」
三半規管をシェイクされまくった影響で、どうにもフラフラする。今は鞄を持つのもきつい。
「て、鉄郎くん。鞄お持ちします」
3年のメガネちゃんが思い出したように鞄を受け取ろうと近寄ってくる。目線は鉄郎の頬に付けられたキスマークに釘付けである。
釘ってこれのことか!
ちょっと限界に来ていた鉄郎は、素直に感謝を伝える、それもハグつきで。
「ありがとうございます。助かります」
耳元で囁かれる鉄郎の少し低めの声に、メガネちゃんの思考回路がショートして煙を吐く。
「「「「「「キャーーーーッ!!」」」」」」
「なんで、なんで!私の鞄当番、昨日だったの」
「よっしゃー、私明日だ!」
朝っぱらからキスマーク付けながら何やってんだって話しだが、今の鉄郎にはちょっと余裕が無かった。
夏子に朝から振り回されてすでに思考能力が激落ち状態なのだ。反対に女生徒達は興奮度激上げ状態になった、こうして皆んな駄目な大人になっていくのだろう。
「はぁ……死ぬかと思った」
教室で机に突っ伏した鉄郎は思う。正直母を舐めていた、あれは人間の乗り物じゃない悪魔のバイクだ。
信号から信号の間があっという間で瞬間移動したのかと思った。
しがみ付いてないと絶対に振り落とされてた、しかし抱きつくとそれに喜んだ母がさらにスピードを上げる。
何このジレンマ?おかげで朝からぐったりだ。
「うん、今日は藤堂会長に頼んで早く帰るようにしよう。そしてお母さんには悪いけど李姉ちゃんに迎えに来てもらおう」
「あれ?そういえばお母さん、何しに帰ってきたんだっけ」
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