なにもかも、上手く行っていたんだ。
ある日のことだった。
親戚のおばさんに、「紹介したい女性がいるから会ってみない?」と言われた。
付き合っている人はいなかったし、おばさんの顔を立てるために、その女性と会ってみた。
おばさんの利用している、介護施設で介護士をしている女性だった。
食事をして実際に会ってみたところ、彼女は化粧っ気の無い顔で控えめな性格。しなやかな身体をしている……という印象。介護士をしているとのことで、体力には自信があるようだ。
「真面目で、献身的な介護をしてくれるし。努力家で、いい子なの。彼女、どうかしら?」
と、どうやらおばさんのお気に入りの介護士のようで、結婚相手にと勧められているらしい。
それから、何度か会ってみて・・・
まあ、悪くないと思って結婚した。
彼女は、幼い頃に両親を事故で亡くし、児童養護施設で育ったそうだ。
道理で。控えめで、面倒見が良く、我慢強い性格をしているワケかと思った。
結婚するに当たり……俺は働く女は好きではないので、彼女に仕事を辞めてもらった。これからは、俺が彼女を養って行くから、と。
彼女との結婚生活は、割合上手く行っていると思う。
育ちのせいか、少々俺とは合わないところもあるが、それもキチンと言い聞かせれば少しはマシになった。
まあ、何度言っても直らないところには苛立ったりもしたが……基本的に彼女は俺に従順で、これまでに付き合って来た女達に比べると、非常によく出来た女だと思う。
俺は彼女と結婚して、煩わしいと思っていた家事を彼女に任せ、以前に比べると苛立つことも少なくなり、仕事の効率も、人当たりも良くなり、色々なことが上手く行くようになった。
そして――――一応、我慢はしていた。
以前に付き合っていた女達は……軽くでも怒鳴ったり殴ったりすると、すぐに連絡が途絶えて、逃げられていたから。
でも、気付いた。コイツには、行く当てが無い。親族が、仲の良い友人が、頼れる人が、誰もいない。
そう気付いてから、段々歯止めが利かなくなった。むしろ、我慢する必要性を感じなくなった。
誰も頼れる人がいない。行く先がどこにも無い。誰も心配する人がいない。
今のまま、家の中に閉じ籠めてしまえば、殴りたいだけ殴れるんじゃないか? と。幸い、コイツは身体が丈夫だ。すぐに死ぬことはないだろう、と。
少々やり過ぎたのか、離婚を切り出された。
目の前が真っ赤になり――――
気が付くと手に血が付いていて、彼女が気絶していた。丁度いい。今のうちにと、ケータイや通帳などを取り上げて、隠した。
もう、これでこの女は俺から逃げられない。
それからは、俺の気の済むまで、アイツを殴ったり蹴ったりと繰り返した。
ああ、気持ちいい。快感だ。
俺は、今まで以上に他人に優しくできるようになり、仕事もプライベートも充実して行った。
それで、調子に乗ったのがいけなかったのかもしれない。
アイツに、妊娠したと告げられた。
そう言われても、俺にはピンと来ない。今まで通りの生活を続けていたら・・・
アイツが、体調が悪いからと家事をサボるようになった。
何度かは、我慢した。けれど、俺が疲れて家に帰って来ても、全然食事が用意されていない。服が畳まれていない。食器やらなにやらが出しっぱなし。家の掃除がされていないこともある。
綺麗好きな俺には、我慢できなかった。
ある日。我慢の限界が来てアイツを殴り、いつもの流れで
アイツは苦しそうに呻いて、腹を押さえて動かなくなった。
いつものように、気絶したのだと思って放置した。
その翌朝。俺の着る服の準備がされてないこと、食事の匂いがしないことに不機嫌になっていると・・・
アイツが、血溜まりの中で気絶していることに気が付いた。
これは、さすがに死なれるのはまずいと思って、慌てて救急車を呼んだ。
朝に帰って来たら、妻が倒れていたと救急隊員に告げ、親族の経営している病院へ連れて行くように指示を出した。
緊急手術が行われた。そして、流産を覚悟してくださいと言われた。
アイツは・・・本当に妊娠していた。妊娠を告げられてはいたが、腹も薄かったし。なにより、俺にはそんな実感が全く無かった。
けど、でも、そうか。死んだのか。
手術が終わり、面会謝絶が解けたので様子を見に行くと・・・アイツは、腹を撫でて泣いていた。
取り敢えず、口止めをしておいた。妻が、家で転んで流産した。そう、救急隊員に言ったし。医者とも口裏を合わせてある。親族が経営している病院だから、俺の不利にならないようにカルテを書いてもらった。
これで安心だ。
そして、こうやって俺がせっかく見舞いに来てやっているというのに、コイツは俺の方を見ない。救急車を呼んでやったのは俺だ。入院の手配もしてやった。普通は、そんな俺に感謝して然るべきじゃないか?
それとも・・・これ見よがしに、俺を責めているつもりか?
「お前が腹を庇わないから、俺の子供が死んだじゃないか」
頭に来てそう言ったが、アイツは反応しなかった。
更に苛立ったが、コイツは今重傷人。そして、ここは病院だ。
さすがに、今ここでコイツを殴るのはまずい。
我慢した。
何度も我慢して我慢して――――
アイツが退院して、家に帰って来たときにようやくコイツを殴れるのだと、嬉しくて堪らなくなった。
ああ、やっぱり俺にはコイツが必要不可欠なんだと、強く強く実感した。
コイツがいない間、どうにもイライラして、仕事中にミスを繰り返してしまった。同僚や上司には、妻が入院して……と言って、気を使わせておいたが。
やっぱり、サンドバッグが無いと駄目だな。
そう思っていたが――――
ある日、会社の後輩に告白された。
アイツよりも若い女に好意を寄せられて、俺もそう悪い気はしない。
ダメ元で告白とか言って、なのに俺にキスをして来た。これは、そういうことだよな? 俺が結婚していても構わない。遊びましょう、というお誘い。
俺は、後輩の誘いに乗ってやることにした。
アイツは……まぁ、いい。煩くなにか言うようなら、黙らせればいいだけ。そう思っていたが、アイツがなにか言うことはなかった。
仕事をして、そのストレスをアイツを殴ることで解消。仕事は上手く行って、可愛い後輩とも関係を持って・・・
上手く行っていた。
なにもかも、上手く行っていたんだ。
なのに、あの女が!
あの、馬鹿女がっ!!
アイツに、俺と別れろと言いにうちまで来ていた。離婚届に、アイツの名前まで書かせてっ!! 俺は、アイツと別れる気は無いって言っていたのにっ!?
妊娠までしているだとっ!? ふざんなよなっ!!
あの馬鹿女とは遊びだ。そもそも、俺が既婚者でも構わないと言って来たのは、そして俺を誘惑して来たのはあの馬鹿女だ。俺が既婚者で、妻と別れるつもりは無いって言ったんだから、お前は遊び相手だって、察しろよなっ!?
なに本気になって、勝手に俺と結婚しようとしてんだよっ!?
怒りが収まらないまま、俺は早朝から家を出た。
そして、あの女と話を付け、階段から突き落とし――――
・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・
ああ……ああ、ようやくお前の気持ちがわかったよ!
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