4-5 まさかの即死

 一方、大福はと言うと。


 地上から飛び立ってわずか十数秒で成層圏を突破、そこからさらに十数秒でカーマンラインを超え、合計一分を数える前に外気圏に到達していた。


 これは平均時速四万八千キロ程度の速度であり、喩えるなら弾道ミサイルの二倍程度である。


 大福は生身でこの速度を叩き出し、地上からかなり離れた地点で最高速をマークした。


 それは初速のおよそ十倍であり、時速にして二十一万キロメートルとなる。


 こんなバカげた数字の速度を発揮しても、周辺への影響が全くなかったのは、ひとえにミスティックの力によるものであった。


 無事に宇宙空間まで到達した大福は、気付く。


(呼吸が出来ないのに、全然苦しくない……)


 地球の空気の層を突破した現在、生物がまともに生きる環境ではない。

 そんな環境でも大福の生命活動は全く影響がないようであった。


 自分が最早人間ではない事を強く実感しつつ、大福は漆黒の宇宙を睨みつける。

 視線の先にあるのは禍々しい色をした螺旋状の『何か』。


 既知の物体ではない事だけを理解させるそれは、赤黒く輝き、中央の暗闇からは巨大な瞳がこちらを見ている。


 大福と比べ、彼我の大きさはまるで人と星程度の隔たりがあった。


『よく来たね、木之瀬大福くん。……いや、オルフォイヌと呼んだ方が良いか?』


 頭の中に声が響く。

 真空である宇宙空間ではまともな音が伝播でんぱすることはなく、鼓膜が震えることはない。


 そのため、対話を行うためには別の手段を取る必要があるのだが……。


『まさかこんなところでテレパシーが役に立つとはな』

『ああ、君もコミュニケーション手段を持っていて良かった。僕だけ一方的に話すハメになるかと危惧きぐしていたよ』


 大福が返事を返すと、喜色がにじんだ声が聞こえてくる。

 この声は間違いなく、矢田鏡介のモノだ。


『矢田……ちょっと見ない間に随分とイメチェンしたじゃないか』

『これが僕の本当の姿だ。エルスウェムヤダとしての、全力のね』


 エルスウェムヤダの本体はとてつもなく大きく、パッと見では距離感を大きく狂わされる程度だ。


 人間一人で立ち向かうには強大すぎるような印象を受けるのだが、それでも大福には少しも恐怖心が湧いていない。


御託ごたくはいい。テメェが全力だっていうなら、それをぶちのめしてしまえばおしまいって事だろ? さっさとやろうぜ』

『おやおや、血の気の多い。拙速せっそくは身を亡ぼすよ?』


『拙速かどうかはやればわかる。……正直、テメェの事はこれっぽちも怖くない』

『減らず口を。……じゃあ、試してみようかッ!』


 エルスウェムヤダの身体が、大きく膨張する。


 大きさを考えれば、少し変形するだけでも相当な時間を要するはずなのに、それを感じさせないほどにグニャリと歪む。


 変形した螺旋の先っぽが幾本もの触手へと変化し、それらが猛スピードで大福へと殺到してきた。


 その数は数百とも数千とも、数えきれないほどに多い。

 しかも戦場は上も下もない宇宙空間である。


 無数の触手は大福を取り囲むように展開し、三百六十度、あらゆる方向から襲い掛かってきているのだった。


 およそ人間には対処しきれない範囲攻撃であったが、しかし、


『しゃらくさい』


 大福は腕の一振りだけでそれに応じる。


 真空空間であるのだが、大福の腕が振るわれるのと同時に、そよ風が吹いたように感じられた。


 そして、その風に触手が触れた瞬間、それらがボロボロと崩れていく。


 その崩壊はエルスウェムヤダ本体にまで到達すると、巨大な本体がひび割れ、音を立てて弾け飛んだのだった。


 呆気ない終幕か、と思ったのだが、エルスウェムヤダの残骸の中に小さく拍手をする存在があった。


『お見事だね、大福くん。ミスティックのチカラを充分使いこなせているようだ』


 宇宙空間に似つかわしくない存在がもう一つ。

 大福とほとんど変わらない、一見して生身の人間である姿の矢田が、そこに現れていたのだ。


 その姿を見つつ、大福は眉間に力を込める。


『さっき言っただろうが。テメェをぶちのめしてそれで終わりに出来るなら、早く終わらせたいんだ。妙な遊びはやめて、本気でかかってこい』

『くく……随分大口を叩く。ちょっと前までタダの人間だったクセに』


『タダの人間だとあなどれば、手痛い目に遭うのはわかってんだろうが。だから怖気づいて手札を小出しにしてるんだろ?』

『僕が君に怖気づいてる? バカなことを言うなよ』


 ニヤリと笑った矢田の瞳が怪しく光る。


 彼にはもう、詰めの一手が見えていたのだ。

 そして、それはすでに大福の背後に迫っている。


『すでに死んでいるような人間を、恐れる必要がどこにある!?』

『なッ……!?』


 先ほど、全てが崩壊したと思っていたエルスウェムヤダの触手。

 しかし、崩壊した破片に紛れて、まだ生きている触手がいたのである。


 その鋭利な切っ先は大福の背後に忍び寄り、無防備なその胴体を貫いたのだった。

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