3-5 ハルと

 とある週末。

 冬の夜は、空が高い。


 ひんやりとした空気を吸い込むと、なんだか気持ちが凛とするような気がしてくる。


 背筋が伸び、意識がクリアになる。


「やっぱり、冬は寒いね」

「ああ……」


 第一奈園学園、高等部校舎の屋上にて。


 本来は立ち入り禁止になっている屋上なのだが、頑丈な錠がかけられていたとしても、大福やハルの前では何の意味もなさなかった。


 二人は警備員に見つからないように屋上へと侵入し、二人だけで夜空を見上げていた。


 孤島でありながら大都会さながらの街並みである奈園では、夜空に浮く星など見えるはずもなく、ぼんやりと照らされた夜空はのっぺりしている。


 そんな空を見上げながら、ハルは屋上の縁に座った。


「もうすぐクリスマスだねぇ」

「……ん? え!? ああ、うん」


「なに、そんな動揺して」

「いや、だって……」


 眉を寄せる大福に対し、ハルは口を尖らせた。

 確かに、時期的なモノを考えると、そろそろクリスマスであるのは間違いない。


「だって先輩、クリスマスよりも先に片付けるべき仕事があるでしょ」

「そりゃそうだけど。でも、そのことばっかり考えてても仕方ないじゃない」


 仕事というのは言うまでもなく、エルスウェムヤダとの戦いの事だ。


 天文台の観測や人工衛星の情報によれば、エルスウェムヤダが接近してくるタイミングはクリスマスよりも手前の日程となっている。


 まずはそれを片付けなければ、お祭りを楽しもうという気持ちになりにくい。

 しかし、ハルの言う事にも一理ある。


 先の心配事の事ばかり気にかけてメンタルをすり減らすのは詮無せんない事でもあるだろう。


 であれば楽しい事を考えてテンションを上げるのも一つの手である。


「考えてみてよ。私と一緒に歩くイルミネーション、私と一緒に食べる夕食。私と一緒にやるプレゼント交換」

「あ、プレゼントとか用意してないっスわ」

「もうっ! そういうとこ! 良くないと思う!!」


 ハルからのグーパンチに甘んじつつ、それでも大福は仕方ないよなぁ、と思う。

 何せ直前に控えているイベントがミスティックとの戦闘である。勝てるかどうかもわからない勝負を前に、先の事など……


「いや、違うか」

「うん? なにが?」

「いや、ちゃんとプレゼントを用意しようと思いまして」


 首を傾げるハルに対し、大福も一つ決意を抱いて答える。

 勝てるかどうかわからない勝負を前に、先の事を考えないというのは、後ろ向きの考え方だ。


 ここはゲンを担ぐという意味でも、先の出来事に目を向けて、勝利に対するモチベーションを上げるべきなのである。


「よぅし、先輩! クリスマスだけじゃなく、大晦日や正月の事も考えましょう」

「い、いきなりどうしたのよ」


「先輩が始めた話でしょうよ」

「そりゃそうだけども……」


 急に乗り気になった大福に怪訝さが爆発してしまったのか、ハルは少し困惑した様子を見せている。


 それに構わず、大福はさらに夢想を広げる。


「大晦日には一緒に年越しそばを食べましょう。そんで、日付変更間近に奈園神社に向かうんです。そして一緒に初詣もしちゃいましょう」

「えぇ~……初詣に行くなら、それなりに準備がしたいかなぁ」


 渋るハルの言葉を聞いて、大福の脳裏にビジョンが浮かぶ。

 それは、綺麗な着物を着たハルの姿。


 夏祭りの時に浴衣姿は見たが、晴れ着となるとまたちょっとおもむきの違った姿になるだろう。


「あぁそうか。先輩の晴れ着を見れるチャンスかもしれない……ッ!」

「私、着付けとか出来ないけどね。浴衣の時も能力でズルしたし」


「じゃあ今回もズルすりゃ良いじゃん」

「というか、そもそも面倒なのよね、着物。色々作法とかあるらしいし、歩きづらいし」


「じゃあ、先輩は晴れ着を着てくれないんスか?」

「そもそも着物なんか持ってないし。……まぁ、その気になればレンタルって手もあるかもしれないけど」


「それだ! お店でレンタルすれば、当然着付けのプロもついてくるでしょ!?」

「まぁ、そうだろうけど……」

「他に何か問題が?」


 ハルが渋っているのは、着付けの問題ばかりではなかった。

 夏のとある出来事を思い返しているのだ。


「私が水着に着替えた時、大福くん見てくれなかったし」

「あ、あれはしょうがないでしょ」


 夏のとある日、大福が友人と連れ立って海水浴に出かけた日の事だ。


 その日は偶然にも、ハルも水着に着替える用事があり、着替えた後の自撮り画像を大福に送りつけていたのだが、大福は海水浴場のロッカーに端末をしまい込んでおり、着信に全く気付かなかったのである。


 結果、ハルが抱いた『自分の水着姿は、一番最初に大福に見てほしい』という願いは叶うことはなかった。


「どーせ私が着飾っても、また大福くんは見てくれないんだろうなぁ」

「今度は違うでしょ! 一緒にいれば、最初に見る事も出来ます!」


「いや、多分最初に見るのは着付けの人だけど」

「それはそうだろうけど!」


 その時、大福に電流走る。


「そうだ! 俺が能力で着付けの技術を身に着ければ良いのでは!? そうすりゃ、先輩の晴れ着姿を一番に見れる!」


 大福が手に入れた異能力も、ハル並に『なんでもできる』能力である。

 着付けの知識と技術を瞬間的に身に着ける事も、不可能ではあるまい。


 だが、そんな大福の発現を受け、ハルは目に見えて嫌悪感を示した。


「は? ヘンタイ発言?」

「なんで!?」


「だって、私の着替えを見るって堂々と宣言してるんですけど」

「確かにッ!!」


 盲点であった。


 ハルの着付けを行うということは、ハルに着物を着せるという事である。

 彼女の着替えの場に居合わせるわけなので、それを堂々と宣言するのは確かにおかしい話ではあるか。


「詰んだ……八方塞はっぽうふさがりだ……」

「まぁ……大福くんが、そこまで見たいっていうならァ……考えてあげなくもないけどォ……」

「じゃあ初詣は諦めましょう! 次のイベントに注力する痛いッ!」


 話を展開しようとしたところで、ハルからの鋭いパンチが大福の肩に突き刺さった。


「なにするんスか!?」

「うるさい。バカ」


 横暴な話であった。


 パンチを喰らったからその理由を尋ねたのに、返答が『うるさい。バカ』では解決しようもなかった。


 しかしハルの方はそれで片付いたと思ったのか、それとも元々解決する気すらないのか、困惑する大福を他所に想像に花を咲かせる。


「お正月の次はバレンタインかなぁ」

「え? あ、うん」


 納得いかない大福であったが、蒸し返すとまた肩パン喰らいそうだったので、とりあえずスルーする。


「バレンタイン、先輩はチョコくれるんですよね?」

「えぇ、どうしようかな」


「なんで!? くれる雰囲気じゃないの!?」

「だって大福くん、ホワイトデー忘れそう」


「忘れないしッ! 内蔵売ってでも三倍返しするし!」

「いや、そこまでしなくても……ってか、そこまで高価なモノあげないし」


 大福はこれで律儀な男である。

 約束は出来るだけ守ろうとするし、義理があれば恩を返す。


 きっとバレンタインのお返しだって忘れないだろう。


「なんならここで約束を交わしましょうか。俺は絶対にホワイトデーのお返しを忘れない、と腕に刺青いれずみを刻んでおきましょう」

「やめてやめて、変に重たいし、なんかよくわからん刺青になるから。……あ、そう言えば」


 ふと思い出し、ハルが手を叩く。


「約束と言えばさ、私たちが春に交わした約束、覚えてる?」

「どれの事です?」

「そんなにたくさん約束したっけ……? ほら、勝負の事」


 それは大福とハルが出会ってからしばらくした後の事。


 大福がハルの能力を開花させるために頑張っていた頃に、ハルと交わした勝負の約束があった。


「覚えてますよ。もちろん、あれは俺の勝ちって事で良いんですよね?」

「まぁ……遺憾いかんながら」


 大福の勝利条件はハルの能力を完璧に開花させることである。

 今現在、ハルの能力は当時の域を超え、本当に『何でもできる』能力になっていた。


 これは誰がどう見ても大福の勝ちで良いだろう。

 そして、勝利者への報酬とは、相手への命令権一つ。


「さぁて、先輩には何をしてもらいましょうかねぇ!」

「それなんだけど、ちょっと後回しにしない?」


「お? なんだ、日和ひよったか?」

「そうじゃなくて!」


 語気の強さとは裏腹に、ハルは不安げに大福の服の裾を掴んだ。


「なんか……その約束まで終わっちゃうと、次がないような気がして……」


 消え入りそうな声で、そんなことを言う。


 さっき、エルスウェムヤダとの戦いよりも楽しい事に目を向けよう、と言ってきたのも、彼女の本心でも不安が勝っていたからなのだろう。


 敵に勝てなかった場合というのを考え、そのプレッシャーに押しつぶされそうになる。


 その感覚は大福も同じく感じているものだ。痛いほど理解出来る。

 だからこそ、大福はハルの手を取り、隣に座った。


「先輩、来年の夏は、今度こそ一緒に海に行きましょう」

「……え、なに急に」


「今年は俺がダウンしちゃったんで、夏休みのほとんどを無駄にしましたからね。来年こそは一緒に海に行くんです。プールでも可。そして先輩の水着姿を堪能するんです」

「なんか下心が見え隠れしてるけど……」


 大福の言動に困惑するハル。


 だが、そんな彼女をグイグイ引っ張るように、大福が夢想を続ける。


「秋はまた文化祭でエンジョイしましょう。他にも山に紅葉狩りに出かけてもいい」

「……その頃には私、受験で忙しいと思うんだけど」


「先輩なら幾らでもズル出来るでしょ」

「そこはさすがにズルしちゃいかんでしょ……」


 来年はハルも高校三年生。受験に忙しい年である。

 大福と遊んでいる余裕があるかどうかは、ちょっと謎である。


 もちろん、ハルが能力を使ってズルをすれば、なんだってどうにでもなるわけだが、授業でズルしても試験でズルするのはハルの良心が咎めるらしい。


 なのでおそらく、来年は今年のように遊び惚けてはいられまい。

 しかしそれでも、大福の願望は膨らむ。


「とにかく! 来年もいろんな事しましょう。来年が終われば再来年も!」

「どうしたのよ、急に」

「約束が果たされるのが怖いなら、また新しく約束すりゃいいんですよ! 俺たちにはまだまだ未来があるんですから!」


 それは『約束が終わるのが怖い』と零したハルに対する、大福なりの答えだった。

 約束が果たされる前に新しい約束を取りつければ、理論上、約束が全て果たされることはない。


「差し当たって、俺から先輩に勝利をお約束しましょう。ミスティック何するものぞ」

「なにそれ、すごい自信」


 尊大な大福の態度に、ハルは思わず吹き出してしまう。

 その笑顔が勝ち取れた時点で、この場は大福の勝ちだ。


「先輩、大丈夫です。俺を信じて下さい」

「……うん、わかった」


 ハルは大福に握られた手を強く握り返す。

 二人一緒なら、もう何も怖いものなどなかった。


「私は大福くんを信じる」

「ええ、大船に乗ったつもりでいて下さい」


「……裏切ったらエグい方法で殺す」

「うわ……」


 本気がにじみ出ていた言葉に多少の怖気を覚えつつ、大福は覚悟を固めた。

 どんな敵が来ようとも、必ず勝つ、と。

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