3-2 青葉と

 廊下の途中、青葉の部屋の前で足を止める。

 一度、咳払いを挟んでから、ドアをノックした。


「なぁ、青葉。ちょっと良いか?」

「良くないから帰ってもらえる?」


 ドアの奥から聞こえてきたドライな声に、なんとも心が抉られる気持ちであったが、それでも大福はへこたれない。


「お前が地球に意識を奪われてた時の話をしよう。お前も詳細を知っておかないと、なんか気持ち悪いだろ?」

「詳細、って何かあったわけ?」

「そりゃもう。誰も来ないはずの密室で、俺とお前の二人きりだったわけだ。筆舌に尽くしがたいあれやこれやがウォ!?」


 喋っている途中でドアが開き、奥から伸びてきた腕に胸倉を掴まれ、その勢いのままに部屋の中に引っ張り込まれる。


 その様子を見ていた真澄は、少し驚いたような顔をしていたが、すぐにクスクスと笑い、家事に戻るのだった。




「お母さんの前で変なこと言わないでッ!」

「バカヤロウ、青葉。自分の部屋に人を連れ込むなら、もっと方法があるだろうが。首が取れるかと思った」

「取れちゃえばいいのに! 取れちゃえばいいのに!!」


 どうやら多感な年頃の青葉は、母親に良からぬ話を聞かれるのも忌避きひしているらしいので、大福の口封じのために部屋に引っ張りこんだらしい。


 本当に首を取るかのごとく、胸倉を掴んで大福を前後に揺らす。


 その衝撃たるや、ジェットコースターなんて目じゃないくらいに目が回る。


「ちょ、ストップストップ、青葉さん? そんなに揺らしたら、俺、酔っぱらっちゃうよ?」

「酔って吐き出したものを喉に詰まらせて窒息死すればいいのに!!」


 大福に対する死亡願望を隠しもしない青葉であったが、今死なれると青葉が殺人者になることに気が付いたのか、すんでのところで踏みとどまって手を離した。


 ぐわんぐわんと揺れる視界の中、大福はなんとか座布団の上に座る。


「うっぷ、気持ち悪い……」

「ここで吐いたらコロすから」

「あんまりにも沙汰さたが厳しくないスか……」


 情け容赦のない青葉であったが、それもまたいつも通りか、と思い、何とか気を取り直す。


 元気がないよりは何倍もマシか。


 そんな青葉は学習机の椅子に座り、具合が悪そうな大福を見下ろした。


「それで?」

「……ん?」


「ん、じゃないわよ。とぼけてるなら一発喰らわして、喝入れてあげようか?」

「いやいや! 遠慮しときますって! ……ってか、マジで何?」


「何、はこっちのセリフなのよ! アンタがあの時の詳細を教えてくれるって言うから……」

「ああ、あれ。ウソ。ジョーク危ないッ!!」


 ヒュン、と風切り音がして、大福の鼻先を青葉の足がかすめた。

 まるで頭部を薙ぎ払うかのような蹴りは、紙一重で大福の眼前を横切るに留まったのだった。


「こら、青葉! そう言う殺人キックを軽々しく繰り出すのはやめなさい! 人の頭部をサッカーボールかなんかと勘違いしてるのか!?」

「大福の頭なら丁度良さそう。軽そうだしね」


「追撃で酷い事を言うんじゃない! 泣くぞ!」

「涙を床に零したらコロす」


 あんまりにもあんまりな言い草ではあるが、いつもの調子の青葉である。


 ちょっと元気がなさそうに見えたのは、気のせいだったかもしれない。

 青葉は不機嫌そうな表情を貼り付け、もう一度椅子に腰を下ろしていた。


「じゃあ、何の用向きがあってあたしに話しかけてきてるわけ?」

「調子はどうよ、って話さ。ワッツアップ、メーン?」


「ウザ……」

「いや、マジな話、地球とやらに意識奪われてから、調子悪いところとかないのか?」

「……仮にあったとしても、アンタなんかに言うわけないでしょ」


 それはまぁ、ごもっともな意見であった。


 もし『具合悪いです』と告げられても、大福にはどうする事も出来ない。

 ……いや、今はミスティックの力であらゆることが可能ではあったか。


「今やお兄ちゃんは何でもできる完璧超人だぞ? 困ったことの一つや二つぐらい、ちょちょいと解決してやらんでもない」

「アンタを頼るぐらいなら舌を噛み切って死ぬわ」

「そこまで拒絶するもんかね!?」


 青葉からの風当たりが強いのは今に始まったことではないが、その風当たりを実感する度にちょっと傷心する大福。


 しょぼしょぼしながらも座布団から何とか立ち上がる。


「それだけ元気そうなら、心配はなさそうだな」

「……心配してくれたの?」

「そりゃそーだろ。ちょっと元気なさそうに見えたし。だがそれも杞憂きゆうだったようだな、邪魔したよ」


 片手を上げ、ドアノブに手をかけたところで、大福の服の裾が引っ張られる。

 振り返ると、神妙な顔をした青葉がいた。


「……なんだよ?」

「アンタは心配じゃないの?」


「なにが?」

「……これから、ミスティックと戦うんでしょ」


 そう言う話になっている。


 地球からの要請もあったし、ハルを一人で行かせれば勝ち目が薄いとなれば、大福が矢面に立つのもやぶさかではない。


 そこに心配がないか、と問われれば、ない方がおかしい話だ。

 何せ大福は、ちょっと前まで一般人である。


 戦闘訓練も何もしていないし、ほとんどぶっつけ本番で何が出来るのか、未だに判然としていない。


 こんな不透明な状況で安心しろという方が無理だろう。

 だが、それでも大福はお兄ちゃんである。


「心配ないさ!」


 妹に対しては、ドンと構えて、不安を払拭してやる。


 どんなに辛辣な言葉を浴びせられても、かわいいヤツめと頭を撫でてやる。

 それぐらいの器量があって初めて、血のつながらない青葉に対して兄を名乗れるのだ。


「俺とハル先輩がタッグを組むんだぜ? 史上最強に決まってるだろ」

「そう。……そうよね」


 だが、どれだけ空元気で気丈に振舞っても、青葉の表情は晴れない。

 なので大福はしゃがんで青葉の顔を下から見上げる。


「俺が負けるかも、とか思ってんのか?」

「……そりゃそうでしょ。アンタ、頼りないし」


「バカヤロウ、お前、俺ほど頼りになる人間はそうそういないだろうが! 地元じゃ負け知らずだぞ!」

「そんな話、聞いたことないし」


 過去に五年間はお隣さん同士で暮らしていた二人。


 その時に『大福がケンカに強い』なんて話は一ミリたりと聞いたことはない。

 実際、そんな噂はない。


 しかしそれでも、大福は青葉の手をギュッと握り、力強い笑みで彼女を見る。


「大丈夫だっつってんだろ! お兄ちゃんを信じなさい!」

「……どこに信用できる要素があんのよ」

「俺は青葉に、生まれてこの方、一度も嘘をついていない。それじゃ信用に足らんか?」


 嘘である。今しがた、『地元じゃ負け知らず』なんて胡乱うろんな嘘をついたばかりだ。


 いや、考えようによっては『ケンカをしたことがない』という事実があれば、負け知らずという要素は嘘にはならないだろうか。


 そんなソース不確かな情報を根拠に持ち出すあたり、大福もいつも通り、という感じがした。


 通常営業の大福に負けて、青葉も大福をバカにしたように吹き出す。


「アンタと話してると、深刻に考えてたあたしがバカみたいに思えるわ」

「そうそう。適当に構えとけ。俺も適当に仕事をこなしてちゃんと帰ってくるからさ」


 心のわだかまりが解けた青葉は、立ち上がって出て行こうとする大福の手を、しかし離さなかった。


「……どうした?」

「一応、信用してやるからね、バカ兄貴」


 なんてことのない一言。

 青葉が『兄貴』と呼んでくれたという、たったそれだけで大福には力が漲るようだった。


「おぅ! 祝勝会で食うもん、考えとけよ!」


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