1-6 それでも

 実はこの問答もんどう、ハルの中ではこの一か月間、ずっと繰り返されてきたものだ。


 大福がミスティックだと判明してから、ハルは自分の中の欲求を天秤にかけ続けてきた。


 乞い焦がれた『普通』を取るのか、それとも大福を取るのか。


 答えはいつも決まっていたが、それでも一時の気の迷いかもしれないという疑念を捨てきれず、何度も何度も繰り返し問いかけ続けた。


 だがそれでも、ハルの答えは変わらない。


「日下さん。私は今の生活が好きです。学生としての日常が、友人と語らう日々が、なんてことのない毎日が続く事が、とても貴く思えます」


 ハルの脳裏に浮かぶ、これまでの思い出。


 親元を離れ奈園へ移り住んできてから今までずっと、奈園でのハルの生活は裏で秘匿會が支えてきたものだった。


 あらゆる生活環境を整え、ハルに何不自由なく生活を送らせていたのは、他でもない秘匿會の尽力があってこそのモノである。


 ハルはその秘匿會の働きに感謝こそすれ、恨むことなど全くない。


「秘匿會のみんなが作り、守って来てくれたこの奈園が……監獄のように思えたこの島が居心地の良いものだと思えたのは、秘匿會のみんなのお蔭です。何よりも大切で何物にも代えがたい宝物だと思っています」

「ならば……!」

「それでも」


 食い下がろうとする日下に対し、ハルはもう一歩近付く。


 それはとても緩やかで、静かで、自然であった。


 最早そこに一点の敵意もなく、ハルには日下達と敵対する意志など微塵も感じられなかった。


 気が付くと戦闘によって荒れていた歩道周りが綺麗に片付き、動けなくなっていた護衛たちの身体は癒え、当然日下と羽柴の身体からも痛みが消えていた。


 そして、ハルは日下の手を取る。


「それでも、私は一番大事なものを見つけたんです。今までの生活を投げ捨ててでも、どうしても欲しいモノ。今の私には、大福くんこそが必要なものなの」

「朝倉さん……」


 ハルが握る日下の手に、じんわりと熱が感じられる。


 人の感情が発するその熱は、心のわだかまりを優しく溶かすかのようであった。


「日下さん。私はあなたを……いいえ、秘匿會のみんなを家族のように思っている。私の事を守り、育て、そして愛してくれた。本当の親の愛が少なかった私にとって、みんなこそが育ての親なの。……だから、認めてほしい」


 ハルがまっすぐに射貫いてくる視線。


 日下はそれを受けて、しばらく黙り込む。

 彼の中でも葛藤があるのだろう。


 秘匿會支部長としての責務、ハルに対する情。


 相反する二つの感情がせめぎ合い、それはややしばらくして一つの結論にたどり着く。


「朝倉さん、手を放してくれ」

「日下さん……」


 その言葉を拒絶と取り、ハルは項垂うなだれて彼の手を離す。

 こうなる可能性も考慮していた。


 しかし、これから無理やり日下の口を割って、大福の居場所を吐き出させるつもりはない。


 お互いに譲れない事情がある。


 それをぶつけ合っても折り合いがつかないのであれば、ハルはこれ以上、日下達とやりあうつもりはない。


 これ以上は本当に、命のやり取りになってしまう。

 そこまでの事態は望んでいないのだ。


(こうなると、地道に探すしかないか……エルスウェムヤダが動く前に見つけられるかどうか……)


 タイムリミットはわからない。何せ刻限を決める相手がミスティックである。その思考を読めというのは難しい話だ。


 だが敵が動く前に大福を見つける事が出来なければ、ハルは心に遺恨いこんを残したまま、ミスティックと相対する事になるだろう。


 そんな状態で未知の敵と戦って、無事でいられるかどうかは甚だ謎だ。

 おそらく、勝率はいちじるしく下がるだろう。




――ピロン♪




 そんなことを考えていると、不意にハルの端末が着信を報せる。

 それは日下からのメッセージであった。


「……日下さん?」


 ハルが顔を上げると、日下が自分の端末を持って自嘲じちょう気味に笑っている。

 慌てて内容を確認してみれば、それは座標データである。


「これ……奈園の地下!? 日下さん!」

「早く行ってあげな。ここから先は、どうなっても知らないけどね」


 話の流れから察するに、送られてきた座標は大福の居所。


 日下はハルの熱意に負け、秘匿するべき情報をハルに開示したのだ。

 これも親の情というものなのだろうか。


 独り身である日下には、その判断がつけられなかった。


「ありがとうございます!」

「おっと!」


 しかし、急にハルに抱きつかれ、めいっぱいの感謝をされると、悪い気はしなかった。


 おそらく間違ったことはしていないのだろう、となんとなく自分を誤魔化せる程度には、気分も良い。



****



「良かったんですか?」

「……わからない」


 ハルがいなくなった公民館前で、日下は羽柴の質問に首を傾げた。


「支部長がわからないなんて、珍しいですね」

「そうだな……でもまぁ、人と人の気持ちの問題だからなぁ。明確な答えってのはないのかもしれない」


 いつもは部下を不安にさせないよう、なるべく明確な答えを用意するように心がけていた日下であったが、今回の件ばかりは本当に何もわからない。


 自分の下した判断は、果たして正しかったのだろうか?


 それがわかるのはきっと、ハルと大福がどういう結末を迎えるのか、を確認した後だろう。


「……それで、支部長。これからの会議はどうします? もう十五分は遅れています」

「急ごう。こちらの事情は、先方には関係ない。平謝りの準備もしなくては」


 ハルの能力によって真っ平に戻った歩道を歩きながら、日下はふと空を見上げる。


「なぁ、羽柴……娘が嫁いでいく時の気持ちってのは、こういうものなのかな?」

「私も独り身ですので、返答しかねます」

「はは、それもそうか」

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