3-8 涙のキス

 秋も中盤ともなれば、夜が訪れるのも早くなる。


 六時を回ればすでに夜闇が世界を覆い、地上は人工の光に満たされる。


 まるで夜にあらがうかのように煌々こうこうと照る明かりは、奈園学園にも灯っていた。


 一日目の文化祭の日程がほとんど終了したのだが、祭りの熱に浮かされたように、生徒たちは自主的に校内に残り、野外ステージなどでイベントを続けている。


 これはどうやら毎年恒例の光景のようで、教師連中も黙認していた。

 あまり危ない事をしなければ、そのまま気が済むまでやらせてくれるらしい。


 そんな様子を眼下に眺めながら、大福はたった一人で夜風に吹かれている。


「楽しかったな……」


 今日の事を振り返って、それを反芻はんすうして追体験するかのように。

 大福には昼間の光景の場面場面が、瞼の裏に映し出されていた。


「あ、大福くん、こんなところにいた!」


 ガチャン、と音がして扉が開く。

 振り返るとそこにいたのはハル。


「もう、探したよ。ミスコンの後から全然姿が見えないんだもん」

「ハル先輩……」


 正直、ハルからは逃げていたつもりだった。


 ミスコンで感極まった大福は、これ以上ハルとは会わないつもりだったのである。

 だから、通常は立ち入り禁止である高等部校舎屋上まで来ていたのだ。


「どうして俺がここにいるとわかったんですか?」

「いや、遠目に見えたし」


 どうやら中央広場の方を探していたらしいハル。

 その超人的な視力によって、屋上の縁に立つ大福を視認したらしい。


「大福くんはこんなところで何やってるの?」

「……時が来るのを待ってました」


「どゆこと?」

「もうすぐタイムリミットなんです」


 大福が端末を見ると、もうすぐ午後七時を回ろうとしている。

 それが大福ととある人物が約束したタイムリミット。


 大福の言葉に不穏な雰囲気を感じ、ハルは少し眉を寄せてトーンを落とす。


「何を言ってるの? 詳しく説明して」

「……先輩」


 真面目なトーンのハルに対し、大福は彼女に向き直る。


 このまま何も言わずに去るのは、確かに卑怯か、と思ったのだ。


 きっと大福が言わずとも、誰かから伝わる。

 しかしそれでも、自分の口からハッキリと言うのが、最低限の義理だ。


「先輩、俺……どうやらミスティックだったらしいんです」


 大福の言葉を聞いて、一瞬、時が止まる。

 ハルはその言葉の意味を理解しようとして、しかし思考が固まってしまった。


「……は? え? なに、急に……」

「冗談なんかじゃないですよ。……先輩も薄々わかってたんじゃないですか?」


「そんなわけない。大福くんが……」

「矢田鏡介も俺と同じ、ハル先輩の能力を受け付けないミスティックだった。この共通点は見過ごせなかったでしょ?」


 大福に図星をさされ、ハルは喉を詰まらせる。


 何も言葉が継げなかった。

 声もなく口を開閉するハルを前に、大福は諦めたように笑いながら話を続ける。


「俺も自分がミスティックであると自覚したのはつい最近で、ほぼ同時に日下さんにもバレましてね。……じゃあどうして、日下さんの思考が読めなかったのか、って思ってるでしょ?」


 またも図星をさされる。


 ハルであればあらゆる人間の思考を読むことが出来る。

 その能力は普段、他人に使わないように気を付けているのだが、ふとした瞬間に漏れてしまう事も往々にある。


 日下が抱えている秘匿會の重要案件であろうと、看破するのは難しくない。

 それに、これまでの期間で日下と会う機会も少なくはなかった。


 その間に思考が読めなかったのは、不思議であった。


「まさか、大福くん……」

「ミスティックの力というのも便利なものですね。他人にハル先輩の能力を通用させなくする事も出来るらしいですよ」


 ハルが日下の思考を読めなかったのは、大福が日下を含め、大福の正体を知る人間全てに、テレパスに対するジャミングをかけていたからであった。


 これがあればハルが対象の思考を読むことが出来ない。


 ミスティックに覚醒したての大福でも、一部の記憶をロックすることぐらいなら可能であったのだ。


 それが逆にミスティックの恐ろしさを際立たせてもいた。


 充分に習熟したミスティックの力は、いったいどれほどのモノなのか、と。


「大福くん……どうして……」

「俺は最後まで、先輩と人間として付き合いたかった。そのために変なバイアスなんてかけてほしくなかった。だから、今まで黙ってました」

「最後って何!?」


 最早悲鳴のように叫ぶハル。


 大福の言葉がいちいち不穏で、心配で、不安で、堪らなかったのだ。


「やめてよ! なんでそんな喋り方するの!? なんでそんな顔するのよ!? なんでそんな……悲しい目をするのよ……?」

「これで最後なんです。先輩」


 大福は涙を浮かべるハルの手を、ぎゅっと握る。

 これは大福が決めた事。


 日下に恩情おんじょうをもらって先延ばしにはしたが、すでに決定事項である。


「俺は秘匿會に封印処理されます」

「封印……?」

「詳しい内容は言えません。誰かから思考を読もうとしても、関係者には俺がすでにロックをかけてます。もう、あなたと会うことはないでしょう」


 それは明確な『お別れ』の言葉。


 しかし二人の気持ちが離れたからではない。


 お互いに好き合っているからこそ、一緒にはいられない。


 大福だって断腸の思いだ。

 笑顔の下ににじんでいる諦念ていねんが、それを痛いくらいわからせてくる。


 ハルもこの処置が妥当だということもわかっている。


 秘匿會にとってミスティックは敵であり、秘匿すべき最大の対象。


 いくら大福が人間の形をとっているからと言って、それを野放しにすることは出来ない。


 いや、人の形をしているからこそ、封印しなければいけないのだ。

 ミスティックが人間世界に紛れ込むなんてことを許してはおけないのである。


 しかし、心ばかりはどうしようもない。


 離れたくない。別れたくない。ずっと一緒にいたい。


「い……イヤだよ……だって、私……あなたがいないと……」

「先輩、俺も大好きです」


 不意に唇が触れる。


 同時に、野外ステージから打ち上げられた花火が、パッと弾けた。

 ロマンティックな光景ではあったが、それでもこれは別れ話だ。


 彼の唇の感触が、切ない気持ちのせきを壊そうとしているように思える。

 しかし違う。これは決別のための合図。


 もう二度と会うことはないという誓い。


「大福くん……」


 唇が離れ、ハルが再び目を開けた時には、そこにはすでに大福の姿はなかった。

 残った手のぬくもりだけが、ウソのようだ。

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