2-11 一触即発

 大福の父親というのは、長らく謎であった。


 母親も父親の事を知らず、周りの人間も思い当たる人物はなし。

 いつの間にか子供を授かり、そして産んだ。


 結果としての大福だけが残り、原因である父親の存在だけがぽっかり抜け落ちた状態となっていたのだ。


 しかし、いつしかその原因を探る事も忘れ、『あるのだからある』という現実だけを受け入れる様になった。


 何せ、母親は大福を産んですぐに死亡し、真実を知る人間はいなくなってしまったのだから。


 そんな誰もが忘れていた謎の答えが、こんなところで明らかにされるとは。

 一通り話を聞いた大福であったが、それでも首を振る。


「……いや、やっぱり荒唐無稽すぎる。信憑性が薄い!」

「これが信用に足る話かどうかというのは、もうすぐわかる事だ」


「どういう意味だ?」

「さてね。……そんなことよりだよ」


 大福の疑問を放り投げ、矢田は両手を広げる。


「君は人間として生まれ、おそらく朝倉ハルとの出会いをきっかけにミスティックとして目覚め、今も覚醒の途中だ」

「覚醒の、途中……?」

「ああ、君は一度、死ぬような目に……いや、確実に一度死んだね」


 矢田にそう言われて、大福は記憶の奥底に沈めていた感情を掘り起こす。

 確かに、大福は春に一度、死んだ。


 ウノ・ミスティカの襲撃により、ハルを助けるために身をていして。


「お前がどうしてそれを……!?」

「どうして知っているか、というのは重要ではない。気になるのは『朝倉ハルの能力が通用しないはずの君』が、どうして『彼女の能力を受けて生き返ったのか』だ」


 それは確かに謎であった。


 秘匿會の見解では、大福が一度死んだことで『ハルの能力を受け付けない』という特殊体質が無効化されたのではないか、という話だったが、実際のところ、どうなのかはわかっていない。


 その謎を今一度提起ていきされ、大福は矢田を見据える。


「お前は、その原因を知っているのか?」

「ああ、わかるとも」


 余裕ありげにニヤリと笑う矢田。

 彼は何の予兆もなく、手刀で自分の左腕を切り落とした。


「なっ!?」

「気にするほどの事ではない。ミスティックであれば、この程度の傷は何でもない」


 矢田の言う通り、その傷口から血が吹き出る事もなく、床に転がった左腕はその断面から触手を伸ばし、元の位置へと戻っていく。


 数秒と経たずに、矢田の左腕は元通りになった。


「僕たちミスティックにとって、死というのは遠いものだ。ちょっとやそっとで死ぬことはない。……これが、どういうことかわかるかな?」


 言いたいことを、なんとなく察する。


「俺が受けた致命傷が……そうはならなかったってことか」

「そう。君がミスティックである証拠だ」


「……先輩の能力が通用した可能性の否定にはならないだろう」

「じゃあ、どうして今現在の君には彼女の能力が通用しない? どうして都合のいい時だけ通用する? 秘匿會の唱える論法ろんぽうの方が一貫性いっかんせいに欠けると思うがね」


 それは言う通りである。


 秘匿會ですらあの時の不可解な事象について、明確な回答を見いだせていない。

 だが、大福がミスティックであるなら、それも納得が出来る。


「君はその時、死の淵から蘇るためにミスティックとしての能力を解放した。それは生物としての本能でもあるんだろうね。それをきっかけに君の中のミスティックが活性化し、時間をかけて君を人間から逸脱させている」


 矢田の指摘を受けて、大福の脳裏に様々な疑問がぶり返されていた。

 いつの間にか過敏になった五感、五百蔵を遥かに凌駕する身体能力……大福はすでに平凡な男子学生とは言えない能力を身に着けていたのだ。


 図星を差されたように閉口する大福に、矢田は微笑みかける。


「僕にとって、それは望ましい話だ」

「……どうして?」


「僕は今、君に完全な覚醒を望んでいる」

「……そうすることで、お前に何の得がある? 俺を仲間にでも引き込むつもりか?」


「それこそありえないね。ミスティックは基本、他の存在と協力しない。本能的に頂点を目指すように思考するからだ」

「じゃあ何を企んでやがる?」

「それを君に教える義理はない」


 言いながら、矢田は片手を突き出す。

 その瞬間、悪寒が走る。


 まるで目の前から巨大トラックが勢いよく迫ってくるかのような、圧倒的な何かが突進してくるような感覚。


 正体不明の圧力が大福に襲い掛かってくるのが、本能的にわかった。

 それは通常、どうあっても回避しえない『終わり』の予感でもあった。


 普通、人はトラックにかれれば死ぬ。

 異世界転生など、安い夢物語だ。


 その正体不明でありながら強い存在感を放つ死期に対し、大福は反射的に防御姿勢を取った。


 おそらくはまるで役に立たない、ぺらっぺらの防御。しかし生物の生存本能は極低確率であろうと生存出来る方向へと無意識に向かう習性がある。


 頭部を守るように両腕を交差させ、顔の前に突き出しては見たものの、大福の脳裏には『もうダメか』という諦念ていねんがよぎる。


 このまま、目の前に迫る『何か』によって轢き潰されるのだ。

 そんな思考に塗りつぶされている刹那に、


「ぐ、あっ……!」


 その声が背後から聞こえてきた。

 驚いて振り返ると、青葉が宙に浮いていた。


「あ、青葉!?」


 大福が青葉に飛びつくが、しかし彼女の身体はビクともしない。


 苦しそうにもがこうとしている青葉だったが、指の一本すら動かせない様子だ。

 原因は考えるまでもない。


「矢田ァ!」

「怖い顔をするなよ。僕らミスティックにとって、人間一人なんて取るに足らない存在だろ?」

「一緒にするんじゃねぇ!!」


 頭に血が上った大福は、床を蹴り飛ばし、全速力で矢田へと近付く。


 全身の力を込め、握り込んだ右手を振りかぶり、突進の勢いすら乗せた右ストレートが繰り出されようか、としたその瞬間。


 大福と矢田の間に、もう一人、現れる。


「矢田さんを殺すのであれば、まず私を殺してください」

「……蓮野ッ!?」


 大福の動きが止まる。


 憎い敵をかばうように現れたのは、ついさっきまで友人だと思っていた女の子だ。

 どこから、どうやって、というのはもう考えない。


 矢田が急に湧いた様に出現したのだから、蓮野だって急に現れるだろう。矢田が本当にミスティックであるなら、それぐらいは造作ぞうさもない。


「そこをどけ、蓮野ッ!」

「出来ません。矢田さんを殺すのならば、先に私を」


「お前がそいつを守る理由がどこにある!? お前がウノ・ミスティカだからか!?」

「少し違います」


 大福の問いに、蓮野は小さく首を振る。


「私はウノ・ミスティカの構成員ではなく、矢田さん……いいえ、ミスティックであるエルスウェムヤダの眷属けんぞくであるからです」

「眷属……?」


「私はエルスウェムヤダの切れ端から産まれた存在。あなたが以前出会った事のある矢田さんと同じような存在です」

「何を、言って……?」


 整理しないといけない情報が多すぎる。

 大福の頭も混乱し始め、何をしていいのか、何を信じていいのかの優先順位がこんがらがってきてしまった。

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