1-8 お偉いアッシー

 なんとかハルを寝かしつけると、図書室はかなり静かになった。

 外から聞こえてくる物音も少なく、ただただハルの寝息のみが聞こえる。


「……先輩が寝付いてから一時間ちょいか」


 端末を確認すると、もうすぐ閉館時間となっていた。


 大福は暇つぶしに持って来ていたペーパーバックを本棚に戻し、ハルの肩をゆする。


「先輩。起きて下さい。そろそろ時間です」


 だが、起きない。

 どうやら深く眠りについているのか、寝息は乱れず、身じろぎすらしない。


「先輩! 先輩! 起きて下さい!」


 多少声を張り上げてみたし、なんなら肩を叩くくらいにしてみたが、やはり状況変わらず。


「な、何この人……一度寝たら起きない人……!?」


 全く目覚める気配のないハルに対し、大福は少し困る。

 なんと言っても相手は女性。


 変にド突いたりすることも出来ず、これ以上声を張り上げるのもはばかられる。

 最早打つ手なしであった。


「あー、もー、どうしよう!? もうすぐ図書館しまっちゃうし……」

「あのー」


 そこへ、また別の声が転がってくる。

 声のした方を見ると、受付にいた人がこちらを窺っている。


「そろそろ閉館時間ですので」

「あ、はい! わかりました!」


 退出の催促であった。

 こうなってはもう、大福に手は残されていない。


 とりあえずハルを背負って、図書館から脱出することが優先された。




 眠りこけている人間を背負う事の、なんと大変なことか。


 それを実感しつつ、大福はなんとか図書館を出て中央広場までやって来た。

 すでに夕日も沈みかけ、そこかしこには街灯の光が灯っている。


 こんな時間にハルを放置出来るはずもなく、起こそうとしても相当骨が折れる事が予想される。


 こうなれば……援軍を呼ぶべきだ。


「頼む、出てくれ……!」


 大福は器用にもハルを背負いながら、ポケットから端末を取り出し、通話ツールを使ってとある人物を呼び出す。


 電子音のコールが幾度か鳴ると、


『もしもし?』

「あ、日下さん!?」


 日下が応答してくれた。


「今、ちょっと大変なことになってて……」


 大福がそんな切り出し方をしたので、日下の方も少しえりを正した雰囲気があった。


『どうしたんだ? 落ち着いて、ゆっくり説明してほしい』


 この時、大福は知らなかったことだが、支部長である日下へ直で電話が飛ぶことはほとんどない。


 奈園にいる秘匿會員は一度支部を通して日下にアポイトメントを取るか、もしくは支部の段階で解決することが多いのである。

 ゆえに、日下の方も重大な事態なのだろう、と身構えたのだ。


 大福もそれを理解し、『やっちまったかもしれない』と心中で思いつつ、話を続ける。


「ハル先輩が、眠っちゃったんですよ」

『……うん? それで?』

「全然起きないんです! どうにか車を出して、先輩を部屋まで連れ帰ってくれませんか!?」


『……それだけ?』

「それだけです」


 電話口でもわかる程度に、日下が肩を落としていた。

 おそらく、受話器を抑えてため息でもついているに違いない。


『……大福くん。まさかとは思うけど、神秘秘匿會の奈園支部支部長である僕を、単なる移動手段として使うつもりか?』

「秘匿會にとっても、日下さんにとっても、ハル先輩は大事にするべき人でしょ?」


『そりゃそうだが……わかった。とにかく、車を回そう。どこにいる?』

「学校です。校門まで出ますね」


 通話が切れ、大福はハルを背負いなおして校門へと歩き始めた。


「先輩、思ったより軽いな。身長も低いわけでもないし、肉付きが悪いわけでもないのに」


 ヒョイと担げる程度の重量は、大福にとっては少し拍子抜けであった。


 同時にハルの柔らかい感触が襲い掛かってきて、煩悩の波に押し流されそうになるのを必死にこらえながら、一歩一歩進む。


「無だ。無になれ、俺……」


 まるで修行僧の如く、無我の境地を目指しながら、しかし校門は遥か遠くに感じられるのであった。




 大福が校門までやって来てからすぐ、学園の前を通る道路に一台の乗用車が停まった。


 ブイーと音を立てて助手席の窓が下がり、その奥の運転席には日下の顔があった。


「ご要望通り、車を回してきたよ」

「日下さん本人が来るとは思いませんでした」

「そりゃもう、大事な人材の移動ですから」


 若干皮肉が混じっているような気もしたが、それも甘んじよう。

 変に大仰に伝えてしまった大福が悪い。


 そんなことを考えつつ、大福はハルを後部座席に座らせた。


「……ホントによく寝てる。全然起きないんだもんな」

「なんでも、東京からここまで瞬間移動したって話じゃないか。そりゃ疲れもする」

「だからって、もうちょっとこっちの声に応答しても良いもんですけどね」


 あれから何度も声をかけてみたが、ハルは寝息を立てるばかりだ。

 少し心配になってしまうほどであったが、おそらく問題はあるまい。


「じゃあ、日下さん。後は頼みました」

「ん? ついでだし、君も送っていくよ?」

「そこまでしてもらうには……」


 大福の居候させてもらっている森本宅は、言うてそこまで離れた距離というわけでもない。


 路面電車を使えばすぐである。

 だが、日下は笑って首を振る。


「いや、実を言うと、君と少し話がしたいんだ」

「話? 秘匿會関係ですか?」

「まぁ……それもありつつ、世間話かな」


 どこか掴みどころのわからない日下であったが、秘匿會のお偉いさんだし、別に警戒する必要もないか、と大福はハルの隣に座るのだった。


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