1-4 悪手とフォロー
その後、二年生の教室が並ぶ校舎五階には二年生たちによる
どうやら大福に知られるとまずい情報があるようだ。
……というより、単に
おそらくだが、大福とハルが良い仲であることは、すでに学園中に広まっている。
大福とハルは当初、その事実を隠す気ではいたのだが、いつまでも隠し通せるとも思っていない。
ゆえに、二年生はおろか、他学年、ひいては中等部や初等部にまでも二人の仲は伝わっているだろう。
そうなってくると、男子連中は面白くないのだ。
これまでアイドルとして高嶺の花の様に扱って来たハルが、どこの馬の骨とも知れない男に掻っ攫われたわけである。
ハルの幸せを願えば祝福したい心も半分、しかし嫉妬という狂おしい炎が心を燃やし尽くすのも止められない。それこそが男の悲しいサガというものだ。
結果、文化祭当日になればどうやっても隠し通すことが出来ない『二年八組の出し物の情報』というものですら、大福には出し渋っているのだ。
「五百蔵くんめ、もしかしたらこの情報を俺のメッセージに誤爆したな……?」
当然、この連絡網は五百蔵にも伝わっているだろう。
それが何かの手違いで、五百蔵から大福へメッセージが飛び、五百蔵は慌ててそれを消去したのだ。
彼も思いのほか早く既読がついて焦ったに違いない。
「さて、だがこうなるとどうするかな」
二年生連中は是が非でも大福の邪魔をしてくるだろう。
しかし、そこまで邪魔されたからには逆に燃えてしまうのも男の子としての心情である。
どうやってでも情報を暴く。
そこに熱意が灯ってしまった。
「ククク、二年生連中め、この俺様を焚きつけたことを後悔させてやるぞ……ッ!」
息巻いて大福がやって来たのは、
「何か用ですか?」
「あー、うん。蓮野は何か知ってるかなーってさ!」
現在も写真に
男子が全て敵に回ったとなれば、頼れるのは女子である。
「蓮野が二年の情報を知ってたら、何か教えてくれるとありがたいなぁって」
「……そうすることで、私に何か得あります?」
「えっ!?」
眉を寄せて首を傾げる蓮野。その仕草は可愛いのだが、投げかけてくる言葉は鋭利だ。
攻撃的な姿勢の蓮野に対し、大福はなんとか取り繕う。
「そ、損得で物事を考えてはいけないよ! 情けは人の為ならずだ!」
「それって、情けは人のためにならないから、やらない方がいいって意味では?」
「よく勘違いされるけど、そうじゃないんだよ! 情けをかける事は、相手のためではなく、情けをかけた相手から巡り巡って自分に帰ってくる! だから、情けは人の為ならず、自分のためなんだ、という意味。だから蓮野が今、俺に情けをかけることで、きっとゆくゆく、蓮野にも良い事が巡り帰ってくるはずなんだ!」
「ふーん……」
「あ、全然興味なさそう」
変なうんちくを混ぜて説得しようとしたのだが、どうやら逆効果だったらしい。
蓮野の瞳からハイライトが消え失せ、すっとそっぽを向いてしまった。
「私、写真に忙しいので」
「待て待て! じゃあ……ジュース
「安いですね」
「高いヤツでも良い! エナジードリンクとかお高いぞ!」
「私、エナジードリンクって苦手なんですよね……」
「ぐっ……じゃあ、百パーセント果汁のヤツはどうだ? お高いうえに美味しいぞ!」
「……そもそも、私をモノで釣ろうとしていること自体が気に食わないんですけど」
「……それはスミマセンデシタ」
自分が悪手を切っている自覚はあったのだが、大福には切れる手札が少なすぎるのだ。
というか、蓮野が何を求めて判断基準としているのかすらよくわかっていない。
考えてみれば蓮野との付き合いも長いようで短い。
人となりを知るにはまだまだ時間が足りないのかもしれない。
「木之瀬くんがどうしてもというなら、その交渉、乗ってあげなくもないですよ?」
「え? マジ?」
「マジ」
端末のカメラアプリを閉じつつ、蓮野はようやく立ち上がって大福とまともに目を合わせてくれた。
そして急に大福の制服の胸倉を掴む。
「今ここで、朝倉さんの事を忘れて私にキスしてください」
そう言われた時、大福は心臓を掴まれた気持ちだった。
心のどこかではわかっていたのである。蓮野の判断基準を揺るがすためのカードが、大福にはあるという事。
しかしそれは大いなる自惚れの可能性もある。
それを考えればおいそれと切る事が出来ないカードでもあった。
蓮野は今、それをテーブルに要求したのである。
「お、おま……ッ!」
「ふ……なんて、ね」
大福の胸倉は、掴まれた時と同じく急に離される。
シワになった箇所を伸ばすように、蓮野が制服をポンポンと叩き、小さく微笑む。
「以前にも言った通り、私が木之瀬くんに気があるように見えたのは、ミスト能力の条件であるからです。それ以上の理由はありません」
「……じゃあ」
「ただ、あなた方のもめ事に巻き込まれるのは、心底不愉快です」
夫婦喧嘩は犬も食わない、というように、他人の痴話喧嘩なんて誰も関与したくないのである。
実際のところ、別に大福とハルが仲違いをしているわけではないのだが、二人を取り巻く環境のゴタゴタであることは間違いない。
そんな面倒事に巻き込まれるようなら、蓮野だって気分を害してしまう。
「私の不機嫌の理由を知ったなら、すぐに去ってください。もしくは私が場所を変えます」
「……悪かったよ」
確かに、相談する相手を間違ってしまった。
そのせいで蓮野を不機嫌にさせてしまった。
責任を重く感じたのか、大福は静かにその場を去った。
「……ふぅ」
大福の背中を見送り、姿が見えなくなった後に、蓮野は改めて端末のカメラを立ち上げる。
ファインダーから見える世界が、少し薄暗く見えた。
学園内のそこかしこでは文化祭の準備で慌ただしく、青春の輝きが感じられるというのに。
被写体は撮影者の心を映す鏡だ。
自分の心が曇れば、ファインダーにそれが乗る。
こんなことでは優秀賞ももらえまい、と思い、蓮野はため息をついて今日のところは切り上げて別の作業をするため、一度教室へ戻ることにした。
「……」
蓮野が教室に戻ってくると、自分のロッカーに異物がくっついているのが発見された。
それはまだ、汗の浮いている未開封のパックジュース。ご丁寧に百パーセント果汁のヤツであった。
ガムテープでドアの表面にくっつけられたそれは、特に何かのメッセージが
だが、先ほどの会話を思い出して、蓮野は困ったように笑った。
おそらくこれは、大福からの詫びの品である。
「まぁ、今回の不機嫌はこれで許してあげますか」
ベリッとパックジュースを剥がし、それを大事そうに抱えた。
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