1-7 大誤算

 ハルの態度を見て、むしろ大福の方が顔をしかめたいぐらいの気持ちだ。


「何ですか、先輩はちょっと顔が良くて男子にチヤホヤされるからって、可愛くお願いしたら誰でも従うとでも思ったんですか。世の中そんなに甘くありませんよ」

「え!? いや……え?」


 大福の反応はとんでもなく意外だったらしく、ハルは怪訝けげんそうな顔を浮かべながら距離を取った。


 心なしか警戒レベルが高まったように思える。


 しかし、警戒心を強めたいのは大福の方だ。まさかこんな性格に難のある女性だとは思わなかった。学園の男子連中は、どうやら顔面だけに引き寄せられた羽虫でしかないようである。


「先輩、そんな性悪しょうわるでは全学園のアイドルは成り立ちませんよ。これまでは良かったかもしれません。その顔面偏差値のみで他の凡百ぼんぴゃくを蹴散らすことが出来たでしょう。しかし、今後は中身も磨いていかなければ、夢のトップアイドルになんて届きませんよ!」

「いや、別にアイドルは目指してないし、むしろ言い寄られるのは迷惑だと思っているっていうか……って、そうじゃなくて!」


 マイペースを貫く大福の雰囲気に釣られそうになるハル。

 なんとか思考を引っ張られないようにかぶりを振り、再びジッと大福を見つめた。


「秘匿會ではない、ということは、ウノ・ミスティカ……? いや、だとしたら悠長すぎる。私を前にそんな……」

「何をぶつぶつと喋ってるんですか。まさか先輩は高二にもなって中二病ですか?」


「失礼なこと言わないでよ! 私はとっくに卒業してるわ!」

「……一応、罹患りかんはしてたんですね」


「ゆ、誘導尋問です! 法廷では認められない行為です!」

「残念ながら、ここは法廷ではないですし、裁判官も居ません。そして別に、俺もひっかけようと思ったわけでもないですし……」


 勝手に口を滑らせたのはハルの方だ。

 顔を真っ赤にして背を向けたハルは、落ち着くように深呼吸を数回挟んでいた。


 大福はそれを待ちつつ、なんとか思考をまとめる。


 今は話題を軟着陸させる着地点を見つけるはずだった。このままではハルをなじっているだけではないか。


 何か小粋なジョークを挟んで、場が和んだところで適当に退散すべきなのである。

 そんなことを考えている間に、ハルがようやくこちらを見る。


「もう一回、試してみよう。……えっと、キミは」

「申し遅れました、木之瀬大福と申します」


「……ん? なに?」

「木之瀬大福です。ニックネームでもハンドルネームでもありません。本名です」


 出来ればこのふざけた本名で場が和め! と願っていたのだが、それもうまく行かなかったようで、ハルは怪訝そうな表情を強める。


「え、いや……疑うわけじゃないけど、ユニークな名前ね」

「そうでしょう。俺の名前を聞いた人間は皆、そう言います」


 一応、証拠として電子端末に学生証を表示させて見せると、ハルは『へぇ~マジなんだぁ』と興味深そうに眺めていた。


 大福にとって自己紹介という行為はトラウマを呼び起こすトリガーであったが、この時ばかりはまだ心も穏やかであった。


「じゃあ大福くん」

「はい、なんでしょう」

「私の喋った事は一切忘れて、今日のところは家に帰って!」


 今度は可愛く笑いかけられたわけでもなく、割とマジな表情でそんな命令をされてしまった。


 しかし、大福側にその命令を無条件で受諾じゅだくする理由はない。

 何せこのままではハルとの関係が微妙にこじれたまま解散となってしまう。美人な先輩女子と変にこじれたままでは人生の損である。


 ここは黙って退くわけにはいかない。


「そうしたいのは山々ですが、そうできない理由というのがこちらにもあります」

「あ! やっぱりきいてない!」


「聞いてますよ。傍若無人ぼうじゃくぶじんな命令だ」

「そうじゃなくて、効いてないって言ってるの! なんで!?」

「なんで、と言われても、俺には何のことだか……」


 ケロッとしている大福を前に、いぶかるどころか狼狽ろうばいし始めるハル。

 どうやら自分のお願いが聞き届けられない事が、それほどまでにおかしく感じるらしい。


 ここまで来ると大福にも現状の異常性が理解出来つつある。


「先輩、マジで世の男性全ては自分の言う事を聞くべき、と思ってる人間ですか?」

「あー、そうじゃなくて! そうじゃなくてね! 別に私、性悪とかじゃないの! ホントに! これは信じて!」


「信じてもなにも……これまでの言動から察するに、そうとしか考えられないんですが」

「そうよね! 私もそう思う! でも違うの! いつもは上手くいくのよ!」


「上手くいく、ってやっぱり男子を言いなりにさせてるって事じゃないですか」

「あ~も~こじれるぅ……!」


 頭を抱えてしまうハルを前に、大福の方も困惑してきた。


 どうやらハルは一定の正当性を信じて大福に命令を下しているようである。

 もしかしたら、命令を聞かないと今後不利益を被るのでは?


「あ、あ~、今なんか、急に全ての記憶をなくして、家に帰りたくなってきたぞぉ」

「やめて! そんな棒読みで演技なんかしないで! こっちがみじめになる!」

「……なら、どうしたいんスか、先輩は」


 暗に演技力をディスられた大福であったが、こうなってしまってはもうお手上げだ。


 どうしていいかわからずに困っていると、もう一度、大きく深呼吸をしたハルが顔を上げ、まっすぐに大福の目を見た。


「こうなったら、ちょっと本気出す」

「本気を出したらどうなるって……」


 大福がハルの瞳を見返すと、そこには不思議な光が宿っているように見えた。


 いや、幻覚ではない。

 さっきまで深い漆黒であった彼女の瞳が、今は狂気をはらんだような真紅に染まっているのである。


 それを認識した途端、急に周りが暗くなったような気がした。


 照明の明度が落ち、冷房がガンガンに効いたかのように寒気を覚える。

 そして身体はこわばって動かない。

 蛇に睨まれた蛙というのはこういう状況なのだろう、と実感を伴って理解が出来た。


「せ、先輩?」


 震える喉が、ようやく声をひねり出すと、その声に反応したのか、ハルが大福の両肩をがっしりと掴む。


 そして、その大きな目で大福を見据え、まるで思考の奥底まで見透かすかのような眼力を放っていた。


 逃げ場を失った大福。

 ハルはギリギリまで顔面を近付け、大福の鼓膜に言葉を突き刺すように口を開く。



 声音こわねは静かで、内容は先ほどから何度か聞かされたもの。

 しかし、そこには確かな力が感じられた。


 例えるのであれば超能力というものであろうか。


 ハルが放った言葉そのものに特殊な力が宿り、それを聞いた者に有無うむを言わせず従わせる。


 絶対的な上位者による命令。

 そんな雰囲気がハルからは発されていたのである。


 もし、心の弱い人間がこの空気にてられれば、しっぽを巻いて逃げ帰るか、もしくは泡を吹いて卒倒そっとうしてもおかしくはない。

 だが、相手が悪かった。


「……先輩、すごめば良いってもんでもないですよ」

「……もうヤダッ!!」


 しかめっ面の大福を見て、ハルは少し涙をこぼした。


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