1-6 おねがい

「おかしいわね、今は誰も入れないようにしてたはずだけど」


 小首をかしげながら、ハルは大福を物珍し気にじろじろと眺めた。

 美人から舐められるように凝視されるというのも悪くはない体験ではあるのだが、そこに甘んじてはいけない。


「人の事をじろじろと見るだなんて、淑女しゅくじょにあるまじき行為ですよ」

「え? ああ、ごめんなさい、つい」


 てへっ、と笑う姿も可愛い。

 しかしそんな姿にほだされるわけにはいかない。こちらは無礼を働かれたのだ。


「こんな白昼堂々、男子を品定めするかのようにねめつけるとは。恥を知りなさい!」

「え、なに、急に叱られてるんですけど、私……」


「そりゃそうでしょう。あなたは叱られて当然のことをしたのです」

「そんなに悪い事だった……? いや、気を悪くしたなら謝るけど」


「謝意は受けとりましょう。今回は初犯ということで大目に見ますが、次はないですよ」

「えぇ……なんかすごく上から目線なんですけど……」


 大福の態度にげんなりした様子のハル。


 謎のふてぶてしさを見せる大福に、どうやら気後れしてしまったようである。

 だが、平常心でいられないのは大福も同じである。


 これほどの美人を前にして、さらにまともに会話しようなどと未曽有みぞうの経験である。

 高鳴る鼓動を抑えるのに必死で、平常心を保つことが出来ない。


 テンションがおかしいのは割といつも通りではあるが、それでもギアの入れ方を間違っている自覚はある。


(さて、どうしたものか……)


 話の入りを変なテンションで駆け抜けてしまったので、今後の展開に困ってしまう。


 別に『それじゃあ失礼します』で離脱しても構わないのだが、それはそれでバツが悪い。

 なにかしら小粋こいきなジョークでも挟んでおかなければ、印象が悪いままで終わってしまうだろう。


 今後お付き合いがあるかどうかはわからないが、同じ学校で勉学を共にする相手である。一学年上だとしても不意のタイミングに廊下ですれ違うこともあるかもしれない。


 そうした際に気まずい雰囲気になるのは避けたい。

 であれば、ここは話題を軟着陸させてから離脱をした方が良いだろう。


「しかし、絵になるものですな。昼下がりの静かな図書室の中、美しい少女が一人で窓際の席に座り、ゆっくりと読書に耽る姿というのは」

「その口振りからすると、あなただって私の事をジロジロ見ていたんじゃない。だったらさっきのはお互いさまでは?」


「他者を意図的にジロジロと眺めるのと、無意識的に目を奪われるのでは、責任の所在しょざいが違うでしょう。むしろ、俺の目を奪った先輩に責任があると言って良い」

「うわ、ものすごい責任転嫁……ってあれ? 私、先輩って言ったっけ?」

「胸の校章を見ればわかりますよ」


 奈園学園の制服には、年度ごとに色の違う校章バッヂがつけられている。


 大福の年度の制服には群青ぐんじょう、一つ上のハルの年度にはだいだいと言った具合である。

 これは初等部から高等部までの十二学年全てに違う色があてられており、最上級生である高等部三年が卒業すると、その次の年の初等部一年に色が引き継がれる仕様になっていた。


 それを見れば、誰がどの学年なのか一目瞭然というわけだ。


 まぁ、バッヂを確認せずとも、朝倉ハルというのが先輩であるという情報と、外見の情報は先ほど五百蔵から教えてもらっている。


 大福がハルの事を上級生だと認識するのは容易よういなことであった。

 だがここは目敏めざとい人間だと思わせた方が得だろう、と思い、事前にハルの事を知っていた事実は黙っていることにして、話題を逸らす。


「俺にとがめられる責があったとすれば、先ほど先輩がおっしゃっていた言葉……もし、図書館に立ち入り禁止の札でもあったなら、それを見逃したことですかね」

「あ、ああ、聞こえてたのね」


 ハルはもう一度苦笑する。


 どうやら聞こえるとまずい言葉だったのだろう。

 慌てて手を振りながら、ハルは訂正を始める。


「別に立ち入り禁止って話じゃなくて、うーん、説明がちょっと難しいんだけど」

「まさか先輩は特別な権限を持っていて、図書館を好き勝手出来る権力者なのでは!?」

「いや、そういう話でもなくて……」


 大福の茶化しにも真面目に受け答えし、『どうしたらいいかなぁ』と考え始めているハルは、おそらく良い人なのだろう。

 変にからかうとこちらの良心が呵責かしゃくさいなまれそうだ。


「先輩、なんというか、その……」

「キミは、秘匿會ひとくかいの人間では……ないのよね?」


「ヒトク……なに?」

「あ、いいの。聞き覚えがないなら気にしないで」


 聞きなれない言葉を聞いて、大福も少し耳を疑ってしまう。

 何かの聞き間違いかと思ったが、そういうわけでもないようだ。


「奈園学園特有の部活か何かですか?」

「そういうわけでもないんだけど、参ったな……」


 どうやら失言に失言を重ねているらしいハル。

 こんなにうかつな言動をとっていて大丈夫なのだろうか、と心配になってしまうくらいであったが、次の瞬間、ハルは大福の鼻先に人差し指を付きつけ、


「忘れて?」


 と軽く笑いかけてきた。


 美人から可愛くお願いされて、それを無下むげにするのは心苦しいところなのだが、しかしそうは言われても、という話でもある。


「忘れられるものなら忘れたいんですがね。俺もそれほど記憶力が壊滅的というわけでもないものでして、難しい話です」

「……んん?」


 大福の反応がお気に召さなかったのか、ハルは眉間にしわを寄せた。

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