1-1 新生活、開始


 春は出会いと別れの季節と言われるが、別れは三月が、出会いは四月が担っていると思う。

 であれば大福の今の環境は、出会いとしては最大級のモノであろう。


 十数年の間、慣れ親しんだ地元を離れ、新たな土地、新たな環境で、新たな学校へと入学する。

 それはまるでピッカピカの小学一年生がはじめて学校の門をくぐるような環境。

 真新しいカバンと、真新しい教材、そして真新しい制服に袖を通し、大福は洗面台で自分の顔を見る。


「……緊張にまみれてやがる。この俺ともあろう男が」


 見るからに凝り固まっている表情を見て、苦笑してしまうぐらいだった。


 大福にとって、人生ではじめての引っ越しである。

 全く顔なじみがいない環境に飛び込むというのは、普通の人間である大福にとって、普通に緊張しても仕方のない状況だった。


 だが、それを大っぴらにしていては、また青葉にからかわれてしまう。

 兄貴分である大福が、そんな弱みを見せるわけにはいくまい。


「ここは大人の余裕というやつを取り戻してから居間に戻った方が良いな……」

「なぁにが大人の余裕よ。あたしと一つしか違わないくせに」

「おわっ!」


 急に背後から声をかけられ、大福はギャグマンガのように飛び上がる。

 音もなく背後に立っていたのは、青葉であった。


「お、お前、どこから!?」

「どこからもなにも、洗面所の入口は一つでしょうよ。それともなに? アンタ、勝手に我が家の洗面所を占有するつもり?」

「そ、そういうわけでは……」


 口ごもりつつ反論しようとする大福であったが、兄貴分の威厳など微塵も残らず、青葉に蹴り飛ばされてしまう。


「こっちも急いでんのよ。さっさと退いてくれる?」

「ちょ、待て待て、脛を蹴るんじゃない!」


 容赦のないローキックを弁慶の泣き所に浴びつつ、撤退せざるを得なくなった大福は洗面所からすごすごと逃げ出すのであった。

 洗面所から出て廊下を横切ると、すぐに居間である。


「あら、大福くん。制服姿もサマになってるじゃない」

「おはようございます、真澄さん」


 朝食を用意してくれた真澄は、湯気の立つ白飯と味噌汁、小鉢に入った卵を二人分並べているところであった。

 やや広めの居間はダイニングキッチンも併設されており、作られた料理もすぐにテーブルに並べることが出来るように作られている。


「昨日はよく眠れた? 慣れないベッドと緊張で寝不足、なんてことはない?」

「いえ、快眠でしたよ。俺はその器の大きさに見合った神経の図太さを備えていますから、寝る場所や時を選びません。その気になれば、白昼堂々、スクランブル交差点のど真ん中で、スペイン人も真っ青のシエスタを決めてみせますとも」


「ははは、朝から元気が良いな。それぐらい舌が回れば、緊張も少しは和らいだかな」

「ば、ばばば、バカを言わないでください! 俺ほどの男が、たかが新天地に転入してきた事ぐらいで緊張などと!」

「はいはい、とにかく座った座った」


 明らかに動揺する大福の背を押し、椅子に座らせる。

 真澄も大福の対面に座り、両手を合わせていた。

 それに倣い、大福も手を合わせる。


 目の前に揃えられている食器は使用感の薄いモノで、箸に至っては割りばしである。


「大福くんの食器も用意しないとねぇ。ごめんね、色々バタバタしててさ」

「あ、いえ、こちとら居候の身ですから。贅沢は言いませんよ」


 そう言いながら、大福は割りばしをパキッと割る。景気よく、割りばしは真っ二つであった。




 大福は真澄と青葉の住む家に、居候として住むことになっていた。

 というのも、数週間前に大福の保護者であった彼の祖父母が亡くなり、親戚一同は大福の引き取りを拒んだためだ。


 行く先を失った大福は路頭に迷うところであったのだが、知り合いであった真澄が身元引受人として名乗りを上げ、あれよあれよという間に手続きも済み、現在に至るというわけだ。


 大福としては夜露よつゆをしのぐ家があるというのは大変助かる話なのだが、真澄は年頃の娘を持つシングルマザー。

 そんなところにどこの馬の骨とも知らん男が転がり込んでよいのだろうか、と悩んだのだが、真澄はかなり奔放ほんぽうな性格なようで。


「青葉がなんて言おうと、家長かちょうは私。大福くんを引き取ると言ったら引き取るの!」


 と、ごり押しで青葉の反論を封殺し、居候を決めたのであった。

 当然、青葉からは強い反発があっただろうに、家長というものは強いものだった。




「そういや、青葉は待たずに朝食をとって良いんですか?」

「良いのよ、青葉は毎朝、準備に時間がかかるんだから」


「……まぁ、女子の準備に文句を言うのは日本男児としては本意ではありません。幾らか待つぐらいの甲斐性はありますよ」

「一時間くらいかかるけど」

「さて、冷めないうちに食べてしまいましょうか」


 日本男児の矜持きょうじなんてかなぐり捨てて、大福は白飯に手を付け始めた。



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