scene9 手話

―大知―

悠貴が予約しておいてくれた店は、大通りから一本外れたところにあるイタリアンの居酒屋だった。

絞った照明がおしゃれな雰囲気を醸し出す個室で、眞白と向かい合って座る。ネイビーのダッフルコートを脱ぐと、眞白はスマホを出して音声入力のアプリを開き、俺にも見えるようにテーブルに置いてくれた。

「マフラー、ありがとう」

お礼を言って、顔を隠すのに借りていたマフラーを眞白に返す。それを受け取ろうとこちらに伸ばした眞白の手が、真っ赤になっているのに気付いた。寒い所から暖房の効いた場所へ入ったせいだ。

「手、真っ赤……」

思わず呟くと、画面に表示されてしまった。気づいた眞白が自分の手を見る。

「ごめんね、寒い中待たせて。俺がちゃんと眞白の連絡先聞いておけばよかったのに……いや、ていうかちゃんと変装してこれば、あんな事には……違うか、そもそもハルがスケジュール忘れてたのも悪いし……とにかくごめん。本当に」

眞白が遮るように俺の前で手をばたばた振ってみせた。スマホを持ち上げ、俺の目の前に突き出してくる。

「……あ」

今、俺が慌てて並べ立てた言い訳の数々がびっしり画面に表示されている。

眞白は何か打ち込むと、再び俺に画面を向けた。

『こんなに一気に喋っても読めへん』

「あ、ほんとだ。ごめん」

画面を確認した眞白が小さく吹き出した。文字を打つ。

『もう、ごめん禁止な』

「あ、えっとごめ……んなさい」

結局謝ってしまい、気づいた眞白にまた笑われた。

『平気やて。心配してくれてありがとう』

そう打って見せてきたので、うん、と頷くに留めておいた。

「注文どうする?」

メニューを広げる。

「まだハル来ないし、飲み物だけにしておこうか」

提案すると頷いてくれたので、俺はウーロン茶、眞白はグレープフルーツジュースを注文して悠貴が来るのを待つことにした。

すぐに飲み物が運ばれてきたので、とりあえず喉を潤す。

「眞白は、大学で何の勉強をしてるの?」

聞くと、スマホに返事を打って見せてくれた。

『福祉学部で、手話の勉強をしてる』

「へえ。じゃあ、将来は手話の先生とか?」

眞白は少し、首を傾げた。

『そうかな。わかんないけど』

「そっか……」

ストローでグラスの氷をつつきながら、悟られないように視線を眞白の右耳へ向けた。聞いても、いいだろうか。

「聞いてもいいかな」

眞白の目を見る。

「耳が聞こえないのは、生まれつきなの?」

画面に表示された俺の質問を確認した眞白の表情が、微かに強張る。

「ごめん、答えたくないならいいよ」

慌てて言った時には、眞白はスマホを手に返事を打ち込んでいた。ゆっくり、俺の方に向けてスマホが置かれる。

『中学の時、病気になった。原因が分からなくて、どうしようもなかった』

「そっか……じゃあ、手話はそれから勉強したの?」

少し考えたのち、短く返事が返ってくる。

『高校で習った』

「そう……」

これ以上聞かない方がいいのか、とも思ったけれど、気になる事をそのままにしておくのも違う気がして、思い切って聞いてみた。

「耳、全然聞こえてないの?」

聞きながら、自分の右耳を指さした。眞白の右耳には、今日もきちんと補聴器が着いている。

眞白はゆっくり、首を横に振った。すこし、と唇の動きで言いながら手のジェスチャーをつけてくれる。

それが、少しは聞こえているという意味なのか確認しようとしたところで、お待たせー、と聞き覚えのある声が割り込んできた。個室の戸が開く。

「ごめん、遅くなって」

「ハル。お疲れ」

「大知くん、ごめん!眞白も」

悠貴は眞白に向かって手話で謝ると、俺の隣に腰を下ろした。

「眞白の横じゃなくていい?」

「だってこっち座らんと、二人と話しづらいやん」

「あ、そっか」

確かに、眞白と向かい合わせにならないと手話は見づらいだろう。

「もうご飯頼んだ?」

「まだ、ハルが来てからの方がいいと思って」

「あー、そうなん。ごめんごめん。眞白、何にする?」

俺に向かって喋りながら、同時に眞白に向かって手話で通訳する。

「すごいね、ハル」

「何がー?」

「通訳……」

「ああ、慣れとるもん。眞白と二人で話しとっても、ずっとこんなんやで」

「喋りながら、手話も使って?」

「そうそう。あ、俺これ食べたい」

悠貴がメニューを指さす。

「眞白は、どうする?」

聞きながら、そっと様子を窺う。さっき根掘り葉掘り聞きすぎたせいで気分を害していないか心配したけれど、眞白は特に気にした様子もなく、これ、とメニューの一部を指さしたのでほっとした。

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