第8話

8.  

華やかなシャンデリアの下、佳純の顔に居心地の悪さが漂っていた。いつもはこのような場を避けていたため、顔を合わせたことのある人がいないだけでなく、知り合いだとしても自分の存在を皮肉るだけの親戚ばかりだった。


幸いにもパーティー会場へは家族と一緒に注目を浴びながら入ったおかげで、彼女のバックグラウンドに好感を持った人々が群れをなして近づいてきたので、一人でぽかんと立っているという事態は避けられた。


もちろん、群衆の中で作り笑いを浮かべているのも簡単ではなかった。しかし、少なくとも自分を敵対視する人々を相手に盾の役割は果たしており、佳純はそれなりに安堵した。


「あんた、まだあの建設会社の息子と付き合ってんの?この前、偶然レストランで見たんだけど…」


「まあ…あまりにもすがってくるから~。私って冷たくできないでしょ。結局、また付き合うことにしたんだ。」


「あ…じゃあ、あの時見たのって、あんただったんだ。先週彼が背の高い女性とホテルに入っていくの見たんだけど。一瞬、別の女だと思ったじゃ~ん。アハハ…」


「なに!?ホテル?」


エリートの子供である彼女たちは、一様に高級な衣装とアクセサリーに身を包んでいた。彼女たちは表向きには笑っていたが、よく分からない神経戦を繰り広げ、張り詰めた雰囲気を醸し出していた。


さっきから同じ話題で声を荒げながら話している彼女たちの姿に、佳純は無理やり微笑みを保ちながら手に持ったジュースをすすった。


裕福な親の元に生まれ、平凡な人々とは違う人生を送ったとしても、関心事は特別ではなかった。このような状況で、まだ社会にも出ていない大学生の娘たちが上流階級が集まる席にあえて参加する理由は、彼女の常識では理解しがたかった。結婚や社会進出の際に必要な人脈を築くためだというが、体質的にこのような社交パーティーをひどく嫌っているため、立っているだけで苦痛だった。


「あのさ、もしかしてあなたのお兄さんって彼女いる?」


盛んに話をしていた一人の女性が佳純にに質問を投げかけると、全員の視線が彼女に集中した。


柳原一樹会長の一人息子であり、紅海グループの後継者。


この事実だけでもすべての女性の関心を受けるに値するが、財力と共に容姿と能力まで備えた隼人が、横柄な彼女たちの羨望の的になるのは当然のことだった。


だが、あまりにも彼は気難しいうえに近づきがたいカリスマがあり、誰も気軽に彼に話しかける勇気さえ出せなかった。そんな中、パーティーに姿を見せたことがなかった佳純が現れたのだ。彼女たちにとっては砂漠でオアシスを見つけるよりさらに嬉しい状況に違いなかった。


「私もよく知らない」


佳純は彼女たちの大きな関心事に、ぎこちなく笑いながら視線をそらした。しかし、一度噛みついたら獲物を逃さないように、彼女たちは佳純との距離を縮めながら両目を輝かせた。


「知らないわけないでしょ~。妹なのに!」


「本当なのよ」


「じゃあ、好きな人は?それともどこかと縁談があったとか」


佳純はは執拗に尋ねてくる彼女たちの姿に困惑した表情を浮かべた。


「さぁ…」


はっきりしない佳純の態度に意欲を失ったのか、皆は残念な表情を見せた。普通は知人が一人もいない、このような状況に置かれると、注意を引くために作り話でもするだろう。しかし、佳純はどうしてもこの状況から逃げたかった。そうすることで、ぶ厚い壁でもできたかのように、彼女たちの間に重い静寂が流れた。


「私ちょっとトイレに…」


無駄に雰囲気を台無しにしたようで、佳純は申し訳ない気持ちでトイレに行くと言って席を立った。


考えてみれば、関心のない人たちの間に挟まって無理矢理笑っているよりは、パーティーが終わるまで人がいないところにいたほうがよさそうだった。もしお父さんやお兄ちゃんに見つかったらどうしようと迷う気持ちがあったが、一瞬の悩みに過ぎなかった。


まずは、この息苦しい空間から抜け出したいという思いから、急いで外に出ようとしたその時だった。佳純は一人の女性に道を塞がれ、その場で立ち止まった。見慣れた顔に、佳純の表情が固くなっていった。


「顔を一度も見ることのできないお姫様が、こんな所にいるなんて!?」


黒くて大きな瞳に、ウェーブがかかったロングヘア。ピンク色のドレスを着た姿は、パーティー会場の中でもひときわ目立っていた。突然の彼女の登場に佳純は嬉しくない表情を浮かべた。


「アリサじゃない?」


「だよね?アイドルグループの?」


「ちょっと前にグループを脱退したって記事出てなかった?ところで、どうしてここに?」


「知らなかったの?アリサの実家って紅海グループと親戚なんだって」


アリサの登場に周りの人たちざわめいた。あっという間に降り注ぐ視線に、佳純の口の中はすっかり乾いてきた。思いもよらなかった状況だった。アリサがこのパーティーに参加しているなど想像すらしていなかった彼女としては、息が詰まる状況を前に、真っ青な顔で立っているしかなかった。


「久しぶりに会ったのに、挨拶ぐらいしてよね」


アリサの視線が佳純に注がれた。


「母親みたいに口がきけないって訳じゃないでしょ?どうして黙ってるの?」

見下した口調で皮肉るアリサの態度に、佳純は下唇をぎゅっと噛んだ。今にも彼女に向かって悪口でも吐き出したい気持ちだったが、雰囲気に流されて最悪の状況になるのを避けるため我慢した。


二人に向かって人々の好奇心に満ちた視線が少しずつ集まり始めた。佳純は気まずい状況では相手にしないという思いで黙って彼女のそばを通り過ぎた。


「相変わらずね。いつも我慢してる犬みたいに逃げるのは」


通り過ぎようとした瞬間、佳純の手首をつかんだアリサがニッコリと微笑みながら話を続けた。


「愛人の子だから?習慣的に隠れようとするのって」


「なんですって…?」


佳純の目が不安そうに揺れた。声が細く高く震え始めた。受け入れるには行き過ぎたアリサの言葉に羞恥心がわいたのか、佳純の顔は赤く熱くなった。アリサはそんな佳純の反応にこれ見よがしにあごの先を上げ、にやりと笑った。


「どうして?間違ったこと言った?」


「……」


「孤高なふりだとか、被害者面するのも相変わらずよね…そのムカつく顔も」

アリサは冷たい目つきで佳純の手首を自分の前に引っ張った。


「気持ち悪い」


心臓を突く残酷な一言に佳純の胸は崩れ落ちた。どうしても気まずい状況を作りたくなかったので、アリサの無礼を無視してその場を去ろうとした。しかし、静かにパーティーを終えたがる佳純をあざ笑うかのように、アリサは彼女に向かって鋭い攻撃を仕掛けてきた。


怒りがこみ上げてきた。なぜ毎回このような扱いを受けなければならないのか。なぜオープンな場所で一人で裸になっているような気分を味わわなければければならないのか。彼女の頬を叩きながら大声で聞きたかった。だが、今日は父親と兄の知人たちが大勢集まっているうえに、何よりも重要な柳原家の行事の場である。むやみに台無しにすることもできなかった。


我慢しなければ。佳純は癖のように息を止め、しばらく目をぎゅっと閉じた。目を開けた瞬間、周りが止まったように静かになり、爆発しそうな息の詰まる気持ちが少しは落ち着いたように錯覚した。佳純は淡々と心を落ち着かせ、アリサの手をポンと払いながら言った。


「それくらいにして」


「やめろって?」


「騒いだところで、あなたも私も何も得しないでしょ」


佳純は声を抑えて話しを続けた。


「おとなしく消えてあげるから、もうやめて」


本気だった。今すぐにでも、こんな場所から飛び出したかった。単純だった。このような地獄みたいな状況から抜け出すことができれば、アリサのその屈辱的な言葉すら忘れられそうだった。いや、忘れようと努力はできそうだった。


しかし、佳純の望みとは裏腹に、アリサはそのつもりが全くないのか、つまらないというように鼻を鳴らした。佳純はますますブラックホールに吸い込まれるような状況を前にして絶望した。


「ずいぶん偉くなったわね。昔は私の前では何も言えずに泣いてたのに」


アリサの眉が上がった。


「なに?みんながあんたのバックだけ見て、関心を示したから勇気でも湧いたわけ?」


「……」


「仲間はずれのくせに、偉そうに…」


アリサの発言に周りがあっという間に重く沈んだ。佳純はショックを受けたように真っ青な顔で、拳を握った手をブルブルと震わせた。彼女のせいで地獄のようだった学生時代、過去のそのつらい時間が頭の中で走馬灯のように通り過ぎていった。


「アリサ、もうやめて…」


誰が見ても度が過ぎたアリサの行動に、周りにいた彼女の取り巻きも慌てて引き止めた。しかし、アリサは気にすることもなく、むしろ勢いに乗った表情で佳純を睨んだ。


時間を引き延ばしても状況だけが悪くなっていきそうな雰囲気に、佳純は彼女に背を向けて反対側に足を運んだ。アリサは自分を無視するような佳純の態度にひどく腹を立てた表情で佳純の腕を思いっきり引っ張った。


「あっ…!」


アリサが荒々しく腕を引っ張ったため、ヒールを履いていた佳純はバランスを崩し、大きな音をたて、その場に座り込んでしまった。幸い、横に置かれていたテーブルに手をついたので、バッタリと倒れる惨事は避けられたが、足首を捻挫したのかピリピリした痛みに佳純の唇の間からうめき声が流れ出た。


「佳純!」


「どうしよう。大丈夫?」


周りにいた他の女性たちが驚いた顔で佳純に駆け寄り、ホールの中が騒がしくなった。近くにいたウェイターたちや、談笑していた人々の視線まで集まった。思いもよらない事態にアリサは戸惑いを隠せず、後ずさりした。


「何事だ?」


助けを借りてやっと体を起こした佳純の耳に隼人の声が聞こえた。佳純はビクっとして俯いた。騒がしい雰囲気の中、憂慮していた状況になり、不安な気持ちで佳純の心臓が激しく鼓動した。


「隼人さん!」


まるで海が割れるかのように人々の間に隼人が姿を現すと、アリサは明るい顔で彼のそばに近づいた。いつも彼の後を追いかけ、隼人に憧れていたアリサとしては、誰よりも彼の登場が嬉しかった。だが、まるで自分は見えていないかのように、そのまま通り過ぎ佳純に近づく隼人の姿に、アリサは真っ赤な顔をして虚しい笑い声を上げた。


「どうしたんだ?」


全く立てない佳純を見つけた隼人の目つきが冷たくなった。仕事上、大切に応対しないとならないゲストのために、佳純を気にかけることができなかったことに対する後悔が押し寄せてきた。


怪我をした姿を見ると、ただ腹が立つだけではなく、胸の奥から怒りがこみ上げ、今にも理性を失いそうだった。佳純とアリサの姿、デジャブのように目の前にどんなことがあったのか鮮明に描かれた。


「大丈夫よ。大したことないから」


佳純は大丈夫だと言って手を振り、アリサは急いで言い訳を並べ立てた。


「私は挨拶しただけなのに、この子が勝手に驚いて転んじゃったのよ。隼人さんが気にすることは…」


「黙れ」


胸が凍りつくほど、冷たい隼人のひと言にアリサの表情は急激に固まった。


「隼人さん…?」


「もういいから。本当に大丈夫よ」


いつの間にかひざまずいて足首の状態を調べる隼人の行動に、佳純は恥ずかしくなり、彼のことを押しやると、ゆっくりと一人で立ってみた。ズキズキと痛んだが、幸いにもケガは大したことはなかったのか、なんとか持ちこたえることができた。隼人はため息をついた。


「よかった」


佳純は自分の足首から視線を離すことができない様子の隼人をじっくりと眺めた。彼女はいつもと違う彼にぎこちない表情を浮かべた。


「特別な兄妹なのね?」


佳純を起こすために手を差し伸べていた隼人は、耳に突き刺さるアリサの鋭い言葉に両目を細めた。


「いつから隼人さんはこの子のこと気にかけてたって、今日に限って大げさなのよ?」


アリサの鋭い声に隼人はゆっくりと彼女に近づいた。皆の視線が集まる中で、隼人はびっくりしながら後ずさりするアリサの肩をつかんで耳元に向かってささやいた。


「お前…事務所から追い出されたんだろ。そろそろ、まともにならないとな?」


思いもよらない彼の言葉に喉が詰まったように、アリサの目つきが急激に揺れた。


「お前の父親のおかげで、学業というもっともらしい言い訳で、イメージを作り上げたなら、黙って静かに生きろよ。招待されてもいない場に現れて、一体これはどういうことだ」


隼人は首をかしげてアリサをちらりと見た。追い出されたという事実をどうして知っているのかというように、彼女は目を見開いて睨んでいた。しかし、隼人は黙って振り返った。明らかに自分を無視する彼の態度に理性を失ったように、アリサは目くじらを立てて素早く佳純のそばに近づき叫んだ。


「私が何をしたっていうの?こうなったのは、この子のせいなのに!」


「アリサ…!」


突然アリサに両肩を掴まれ揺さぶられた佳純がバランスを崩し、テーブルで体をかろうじて支えた時だった。目を疑うことが目の前で繰り広げられ、佳純はあまりにも驚いて息を止めてしまった。

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