9. 楽しさと惰性

 やっと来ましたよ、表題の章。

 楽しさと惰性というと、読者はきっと「惰性」というネガティブな言葉の方が気になると思うので、そちらを先に書く。

 「惰性なんててめえ、なんてふざけた態度だ、とっととやめちまえ」という声が聞こえてきそうだが、気にせず私の好きに書く。

 最初にも書いたが、イベントに参加し始めて数年が経つ。

イベントに参加する事、それ自体はとても楽しい 。

 自分の作品に興味を持ってくれる人、買ってくれる人がいてものすごく嬉しい。創作仲間と再会したり新しく出会うのも楽しい。素晴らしく好みの作品と巡り会える喜びもある。カレーとドーナツ美味しい。そもそもお祭り騒ぎが大好きなのでとりあえず何やっても楽しい。ただ、その楽しさには必ず、切なさが伴う。それはこれまでの章で既に書いた通りだ。他に出来る事、やらねばならない事に費やす時間とエネルギーを削って、新刊を作ったり店番していたりする事をふと思い出すと、何してんのかね、と遠い目をせずにはいられない。

 じゃあなんで続けるの、と言われれば、もう単純に惰性としか言えない。

 またイベントあるのか、じゃあ本作ろうか。そんな反射である。

 新鮮なたまねぎを切ったら涙が出る、そんな感じ。

 イベントを生活の中心にすると、生活のサイクルが整いやすく、一年をスケジューリングしやすいという点もあるが、惰性のサイクルから抜け出せないだけだとも言える。

 楽しいからまたやろう!とか、あまりポジティブな感覚は持っていない。

 強いて言えば、書きたい話と作りたい本が無くならないからかもしれない。またイベントがあるなら、書きたい小説があるから本を作って持っていこうか、という感じだ。いくら惰性でも、推進力が無いとどこかで落下するものだろう。

 結局、心底嫌だったらもう参加しないだろうから、どこかで楽しさが損失をわずかに上回っているのだと思う。あまり実感は無いけれど。

 それが良いことなのか、それとも愚かな事なのかはわからない。何年か後、「なんでイベントなんか出てたのだろう、もっとすべき事があったのに」と後悔する可能性はゼロではない。そうならないかが私は不安で仕方ない。

 ここで突然だが、不安を一度忘れて、落ち着いて考えてみよう。

 そういうぼんやりした不安を感じるのは、実は、イベントに限った話では無いのだ。

 ある日は、友達とカフェで三時間だべった。あるゲームを四十時間かけてクリアした。会社の飲み会で一晩つぶした。お店で一時間悩んで服を買った。

 そういったささいな出来事の一つ一つに、漠然とした「自分よ、今それやってていいのかい?」という何とも気持ちの悪い感覚を覚える。

 私はこれをしている場合ではない気がする。しても無駄じゃないか。

 もっとやるべき事がある気がする。他の人はもっと有意義に時間を使っている。

 一体何してんだろ。

 何をやっても、大なり小なりそう思うのだ。

 イベントが突出してつらく感じるのは、単純に、かけている時間とお金が突出して多いからだ。

 突然だが、私はいま三十才手前、アラサーと呼ばれる年代だ。

 私の陥っている無差別不安現象は、どうやら私に限った事では無いらしい、という事を、最近ようやくネットや本で知った。例を挙げると、宮下奈都「太陽のパスタ、豆のスープ」という本を読んだ時の事である。

 主人公のアラサー女性が、恋人に婚約破棄され、趣味も好きな物も無い事に気づき、空っぽになってしまうところから始まる小説だ。

 あるシーンで主人公が「自分は周りの人よりとても遅れているような気がする」と焦りを語る。すると主人公の叔母が「二十代はみんな焦るよ」「焦らなかったら嘘、ってくらい焦るよ」と言うのだ。

 それが何だかとても、グワッ、と来て、いつまでもそのシーンだけが心に残って消えない。読書好きの方ならこの感覚がわかると思う。

 という訳で、この年代はちょうど「なんとなく焦る、不安になる」時期らしい。

 その「アラサー何となく不安現象」が、私の中で一番よく表れているのが、イベントなんじゃないか。

 で、先ほどの小説で叔母は、続けてこう語る。「三十になってしばらくすると不思議と楽になる」と。

 そんなもんなのか。なんか思春期みたいだな。

 だから何にもしなくていい、という意味では無いと思う。ただ、不安に振り回されず、世の中にあふれるキラキラ女子に目を眩まされずに、自分がやりたい、必要だと思う事を選んで、それに自信と覚悟を持って取り組む。それが実に難しいのだけれど、結局そういう事だと思う。

 じゃあイベントって自分に必要? それはやっぱり、よくわからない。

 けれど一つ言えそうなのは、このまま惰性でイベントを続けて年を取れば、いずれ不安感や切なさは感じなくなっていき、最終的には楽しさだけになるのではないか?

エッセイ第二段タイトルは『楽しさがヤバい』とかになるかもしれない。


――※以下、Web公開にあたり追記※―――

 この文章を書いてから6年が経ち、筆者はすっかりアラサーを卒業して、アラフォーが見えてきました。人生早いものです。アラフォー視点でのエッセイはいつかまた別の機会に書くとして、今ちょっとだけ感想を言うとすると、「長期的に見ると無駄なことなんて何一つなかった」と思います。

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