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体育の授業なんてサボるか手を抜いているから、本気で走るのなんて、記憶にないくらい久しぶりだった。完全に息を切らして中学の正門につくと、鈴村さんは、もう来ていた。夏特有の水色の夕闇の中に、華奢なシルエットが滲む。
「……はやい、ね。」
ぜえぜえと酸素を求めてあがきつつ、辛うじてそう口にすると、鈴村さんは笑った。
「家、すぐそこ。」
「そう……なんだ……。」
「走ってきたんだね。」
「……うん。」
「ちょっとね、嬉しかったよ。」
なんと答えていいのか分からず、黙り込んだ俺に、鈴村さんはまた笑顔を向けてくれた。
「いいの。勝手に好きになっただけだから。」
勝手に好きになっただけ。
それは俺も一緒だった。章吾のことを、勝手に好きになった。それでも俺は、章吾に鈴村さんがしてくれるみたいに優しくできない。どうしても、いつだって、冷たくなる。章吾がそれに気が付いて、昔みたいな関係に戻りたくて、戸惑いながら努力してることだって分かってるのに。
「……やさしいね、鈴村さんは。」
「そればっかりね、上原くんは。」
「だって、本当に優しいから。」
なんとか息を整え、全屈していた姿勢を元に戻すと、鈴村さんの頭が半年前よりずっと下の方になっていることに気が付いた。どうやら俺にも、ようやく成長期が来たらしい。鈴村さんもちょっと驚いたみたいに目を丸くして、背が伸びたね、と言った。
「背だけだよ。俺は全然大人になれない。鈴村さんみたいになれないままだ。」
「私みたいに?」
「優しく。」
そうかなあ、と、鈴村さんは首を傾けた。長い黒髪が、肩の上をさらりと流れた。
「十分優しいと思うよ、上原くんは。」
「俺が?」
「うん。いつもいつも、中村くんのこと考えて行動してるじゃない。」
「……でも、優しくはなれてないよ。章吾は昔に戻りたいみたいだけど、俺がそうさせないでいるから、章吾、多分悩んでる。」
「昔って?」
セックスする前、とは言えなくて言葉に詰まると、鈴村さんはすぐに察して軽く頷いてくれた。
「でも、それってしょうがないじゃない。」
と、鈴村さんが言う。夕闇の中で、彼女の表情ははっきりとは見えないのだけれど、声が揺れていた。
彼女の事を傷つけてしまったのではないかと俺は慌て、とっさに言葉が出なかった、すると、鈴村さんは一呼吸の間を置き、落ち着いた声を取り戻して先を続けた。
「好きな人とそんなことしたら、元には戻れないよ。……中村くんは、上原くんが中村くんを好きって、全然気が付いてないの?」
「……気が付いて、ないね。……俺も、気が付かれないようしてるしね。」
気が付かれないように。
そうすればするほど、俺は章吾に冷たくなっていった。それでも、気が付かれたくなくて、これ以上惨めになりたくなくて。だから俺は、やっぱり優しくない。
「……俺はいつも、俺のことばっかり考えてるよ。」
自己嫌悪とともに吐き出した言葉が、夕闇の底に沈んだ。
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