脱出


 機械の低いうなり声のほかに音はない。

 それが俺たちの間にある沈黙の時間を、より重いものに感じさせる。


 音のない世界で、暗闇が俺の胸を押しつけてくる。

 俺は今すぐここから逃げ出したくなるほどの圧迫感を感じていた。


「そして書類によると――

 この『Xー2156-0808-EMI』は、すべての血清の効果を打ち消します。

 つまり、血清を打った人を人間に戻す力があります」


「ちょ、ちょっとまってくれ!

 それじゃ俺も……?」


「――はい。

 私も、ルイさんも、シェルターの子たちも……。

 みんな人間に戻れます」


「それは……いいことなのか?

 恵美が犠牲になった血清で元に戻るなんて」


「お気持ちはわかります。ですが――」


「いや、シヴァ、お前は何もわかってない。わかっちゃいない!

 俺がどんな思いで、どんな気持ちでいたか!」


 俺の頭の中で色んな感情がぐるぐると回る。

 何ていう名前なのかわからない。黒くてドロドロとしたもの。

 それが胸元に来てカッと熱くなる。


 黒い怒りは、シヴァよりも俺に向いている。

 俺は一体いままで何をしてきたのか。

 後悔と嘆き、怒りの入り混じった何かが俺を染める。


「――失言でした。私はあなたのことを何も知りません。

 気休めでも『わかった』などと、言うべきではありませんでした」


 シヴァはすぐにあやまちを認めた。その様子はどこか機械的だ。

 だが、これで俺の怒りは自分以外に向ける矛先がなくなってしまった。

 やるせなさで俺の拳に自然と力が入る。


「恵美……」


「――いえ、待ってください。

 ……やはり。この書類には推測値とあります。

 この血清は存在しません」


「え?」


「この『Xー2156-0808-EMI』という契約血清は、

 開発中どころか、計画段階にあります。

 実際に作られているわけではなさそうです」


「じゃあ、恵美は!」


「おそらく無事だとおもいます」


「本当なんだな?!」


「は、はい。確信はありませんが、

 この書類が真実なら無事のはずです」


「はぁぁぁぁ……」


 俺は崩れ落ちるようにその場に座り込む。

 まだドキドキしている。

 指の先から血の気が引いて、

 自分の顔を触ってもどこか実感がない。


「ところで、恵美は何のモンスターなんだ?」


「ちょっと待ってください……。

 すみません。そこまではわかりません。

 モンスター名の記載はありますが、番号で管理されています」


「でも、ライカンのところにはモンスターのイラストがあったろ。

 そういうのはないのか?」


「ありませんね」


 シヴァは資料のページを俺に見せる。

 たしかに彼女が言うように、そこにはイラストも何もない。

 ただの記号だけだ。


「……そうか」


 なんか妙だな。絵や写真を載せないなんて。

 普通に資料として不便じゃないか。


 ――いや、そうじゃなくて載せられない、とか?

 でもどうして?


 ……うーん、わからん。

 おれはそんなにモンスターに詳しいわけでもないしな。


「ともかく、ここはただの組み立て工場じゃなかったってことだな」


 シヴァはこくりと頷いて赤髪を揺らす。

 彼女の顔色が悪いのは、ここの暗さのせいだけじゃなさそうだ。


「事態は思った以上に深刻です。

 すぐにここを出ましょう」


「……このことを知られた天笠が放っておくとは思えないものな」


 俺はあらためて部屋を見回す。

 どれだけの人間がヤクザと天笠の犠牲になったのか。


 いくら今の世の中が終わっていようとも、

 これを表に出されて天笠が無傷ですむとは思えない。


「そうですね。政府はともかく、

 他のメガコーポが放っておかないでしょう。

 天笠を叩くチャンスですから」


「それも何だかなって感じだけどな。

 まぁいい、証拠を持ってここを出よう」


 俺とシヴァは宿直室を出て、入り口のハッチを見張っていたリーと合流する。

 これ以上ややこしいことになる前に、ここを出ないと。


「もういいのかー!」


「ああ、見張ってくれてありがとう。

 さっさと外に出よう」


「だなー! ここキライだ!

 シーンってしてるのに、なんかざわざわする!」


「……同感だ」


 俺たちはハッチの裏から登ってきた階段を見る。

 階段はさっきの戦闘で壊れている。

 まだ登る分には問題ないが……心配なのはヤクザだな。


「ここを行くと、上からやってくるヤクザたちに丸見えだ。

 シヴァ、別のルートはないか?

 この階段をのんびり登っていたら、

 また連中に見つかってえらいことになりそうだ」


「そう言われましても……

 いえ、方法ならありますね。

 多少リスクはありますが」


「?」



★★★



『こちらギルマン。

 アワアワ2、状況をしらせろ』


「こちらアワアワ2。

 先行した連中が消息を絶ったポイントに向かっている。

 現在位置は深度200メートルだ」


 虫の羽音を何十倍にもしたような、

 けたたましい騒音を立てるドローンが空中をいく。


 ドローンに乗った何人ものヤクザは、みな違う方向を見ている。

 四方八方に視線を散らして、必死に何かを探している様子だった。


『……深度200か。

 できるだけそこでの戦闘は控えろ』


「ちっ、勝手なことを」


『聞こえてるぞ』


「聞かせてるんだ。

 アワアワ2、交信終りょ……いや、待て!」


 ドローンのライトが照らし出す先に、

 こちらに背中を向けた女性が倒れていた。


 彼女の背中が開いたスーツからはコウモリのような羽が見え、

 黒髪の間からは、牛のそれに似た赤い角が突き出ている。


 ドローンはゆっくりと女性に近づきながら、ライトの光を強める。


「ターゲットを発見した。倒れている!」


『何だと……クソ!!

 ルイちゃんの体に何かあったら……!!

 すぐに救助しろ!!!』


「了解、いますぐ――」


「今だ!!!」


「えっ?!」


 バイロットがドローンを着地させた瞬間だった。

 倒れていたと思っていた女性が起き上がって声を上げる。


 状況を飲み込む間もなく、パイロットは横殴りでふっとばされる。

 パイプの影から黄色の疾風が現れて、彼に突進したのだ。


 暴風はそのままドローンの上に乗っていたヤクザを薙ぎ払う。

 ドローンはあっというまに制圧されてしまった。


「でかしたリー!」


「へっへーん!」


『どうしたアワアワ2! 応答しろ、アワアワ2!!』


 死んだふりをしていた女性はドローンにまたがり、

 がなり立てる無線のスイッチを回す。

 するとブチッと音を立てて、機械は沈黙した。


「うまくいきましたね」


「リーのおかげだな。

 こいつを借りるとしよう。」


 ドローンの操縦席はバイクに似ている。

 ルイがハンドルのスロットルを開くと、

 埃をまき上げながらドローンが上昇しはじめた。


「みんな乗れ!

 これで地上まで一気に上がるぞ!」


「おー!」


 リーはドローンの3人用の長い座席にちょこんと座り、

 シヴァはしがみつくようにして、ルイのシートの後ろについた。

 すると、シヴァはいぶかしげに彼女に尋ねる。


「これの免許……あるんですか?」


「いや? お巡りさんに止められないよう気をつけないとな」


「ちょ――?!」


 浮き上がったドローンは向きを変え、

 地上を目指して飛び立った。





※作者コメント※

久しぶりの更新デス

申し訳ねぇ…

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